重川材木店密着ルポ2010-11
第1回 5年ぶりのニューイヤー駅伝出場
@5年前との違いから
A新人たちの思い

●力をほぼ出し切った新人たち
 勝負の山場は5区以降の後半にあったが、勝負の流れは4区までにたぐり寄せていたと言ってもいい。そのうち2区のジョン・カギアを除く3人が、今季加入した新人たちだった。
 1区(10.4km)はスローペースとなり、終盤勝負となった。7kmで一気にペースを上げた中部地区の選手がいて(中部地区実業団駅伝は北陸地区と併催)大集団が分裂したが、市川は自重してトップ集団に着かなかった。先頭にいったんついた高田自衛隊も間もなく後退してきたが、残り400 mでペースを上げられると市川は振り切られてしまった。
 それでもトップのYKKとは30秒、2位の高田自衛隊とは16秒の差にとどめた。
「市川は集団に食らいつくねばり強さのある選手」と豊岡監督。「最後で負けても大きくは引き離されない。想定の範囲内で2区につないでくれました」
 2区(7.2km)のカギアは0.8kmで高田自衛隊に追いついたが、1km通過が2分36秒とオーバーペース気味。高田自衛隊を引き離すことができたのは3km付近だった。
「他のケニア選手が近くにいない状況で、よく1人で突っ込み、引き離してくれた。設定よりも10秒悪いタイム(22分06秒で区間2位)ですが、よくやってくれたと思います」(同監督)
 カギアは高田自衛隊に53秒差をつけ、最長区間である3区(15.4km)の高橋秀昭にタスキをつないだ。高橋は5kmを14分45秒と速い入りを見せたが、前にいた中部地区のチームに追いつけず独走となってしまった。3区はラスト5kmが上りの厳しいコースだが、高橋は1人となっても3分05〜06秒でしっかりと押していき、設定より7秒遅いだけの47分37秒(区間2位)で走りきった。高田自衛隊とは1分54秒差に。
 豊岡監督も「トヨタ自動車Bとトーエネックを追って2分50秒で入る勇気が高橋にはありました。7kmからペースが落ちましたが極端には落ちず、設定通りに走りきってくれた」と評価した。
 そして4区(13.9km)の河野孝志も前の見えない完全な独走状態のなか、設定から14秒遅れの43分44秒で走りきった。高田自衛隊には25秒詰められたが、相手も強い選手で「マイナス20秒の負けなら合格点」(豊岡監督)という内容だった。
 4区終了時点で高田自衛隊には1分29秒差。カギアと新人3選手の走りで重川材木店の流れに持ち込んでいたのである。

   
1区で競り合う市川  中継所で待つ2区のカギア

●重川材木店で競技を続ける意味
 2区のカギアを除いた3人は、今年度になって重川材木店に加入した選手たちだ。1区の市川裕貴は今春の日大卒業後、地元の長野でアルバイトをしながら市民ランナーとして走っていた。学生時代は「故障や栄養面の問題」(市川)などで走れなかった。一時は1km8分ペースでしかジョッグができなかったという。
 しかし、卒業後もつてを頼り、実業団チームの合宿に参加したりもしていた。
「陸上を捨てられなかったんです。思い切り走れる環境で陸上競技をやりたかった。実業団に行きたいという思いをずっと持っていました」
 重川材木店に加わってからは水を得た魚のように走れるようになり、練習中の1万mで29分台後半の自己新をマーク。好調さと粘り強さを買われての1区起用となった。
 3区で好走した高橋は日立電線から4月に移籍してきた。日立電線の3年間でニューイヤー駅伝を走ったことはない。そして今年8月の十和田八幡平駅伝でブレーキをしたときに、“もっと頑張らなければ”と意を強くしたという。
「何のために新潟に来たのかをよく考えたんです。これが最後のチャンス。結果を出すまであきらめたくない」
 スピード練習などでは先頭を走ることも多くなった。新潟県縦断駅伝では、相手が格下の選手だったとはいえ、1分差を中継後3kmでつめたこともあった。
 4区の河野孝志は城西大で箱根駅伝2区を走り、実業団の強豪・富士通にも2年間在籍した。だが富士通では「いたるところをケガしていた」という惨状だったようだ。東邦リファインに移籍してニューイヤー駅伝出場を目指したが、その2年目は東日本実業団駅伝で52秒差で出場を逃した。その東邦リファインの陸上部縮小に伴い、4月に重川材木店に入社した。
「ニューイヤー駅伝だけが出場できていないので、一度でもいいから走ってみたい。だから、今回の北陸予選が人生の中で一番緊張しました。周囲の期待も感じていましたし、高橋と僕が走れなかったらニューイヤーは見えて来ない。プレッシャーを感じていました」
 重苦しさを感じていた気持ちとは裏腹に、河野は「軽快な走り」(豊岡監督)で起伏の多い難コースを走りきった。

3区の高橋から4区の河野へのタスキリレー

●仕事と競技を両立させている高橋
 競技に対する思いは大きかった新人選手たちだが、その思いだけで走れたわけではない。重川材木店では特に、“仕事と競技をどう両立させるか”が走るために必要不可欠の要素となってくる。週に2日はフルタイム勤務。仕事が上手くいかずに気になる状態であれば、練習に集中することは難しい。
 大工として建築現場で働く高橋は「6月くらいまでは右も左もわからない状態で、肉体的にも精神的にもきつかった」と話す。その状況を打開するために気づいたのが「仕事を好きになること」だった。
「今は苦しいけど、この苦しさが自分を成長させてくれると思って、きつくてもしっかりやろうと。そうするうちに周りの先輩たちがアドバイスをしてくれるようになりました。そうなってからですね、練習の歯車が回り始めたのは」
 フルタイム勤務の日でも、仕事の後にジョッグをする。同じジョッグをするにしても、その日によって目的は異なる。疲労を抜くことだったり、次のポイント練習につなげることだったり。ジョッグといえども“走り方”を工夫しないといけないのだ。
 また、仕事自体が走ることにプラスになっているともいう。
「他の実業団チームが涼しい高原で合宿している時期に、僕らは34〜35℃の暑さの中で仕事をしています。それが今となっては自信になっている。ここ一番のつらくなったとき、そこで培ったものが生きてきています」
 こうした姿勢が職場でも認められるようになった高橋。ニューイヤー駅伝出場を決めた北陸実業団駅伝の翌日が誕生日だったこともあり、棟梁から鉛筆を1ダース、プレゼントされた。建築現場で使用するもので、数千円はする鉛筆である。
「棟梁も愛用している鉛筆です。大工から大工道具をもらったのは、認められたようで嬉しいですね。翌日から耳に乗せて仕事をしています」
 自身も左官として働いている豊岡監督は「この環境で結果を出すのが本当の陸上人」と強調する。
「夏場など厳しい環境になりますが、仕事をしているから走れない、とは言わせません。ここを我慢すれば秋に絶対に走れる、と言い聞かせてきました」
 他のチームから移籍してきた選手は、通常の実業団チームの待遇を知っているだけに重川材木店の環境に愚痴のひとつも言いたくなる。そこをチームでエース格となった高橋が、率先して仕事と競技の両立に取り組んでいる。その姿勢はチーム全体に浸透しつつある。

第2回 ニューイヤー駅伝迫る!につづく

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