2015/3/6
3月8日 朝9時10分スタート
豪華メンバーが集結した名古屋ウィメンズマラソン
楽しく見るための4つの視点で有力選手を紹介

【視点3】今年は私がセンターに!

伊藤 舞(大塚製薬)
堀江美里(ノーリツ)
渋井陽子(三井住友海上)


●見せ場を作るも日本人トップがない伊藤。ハーフで自己新
 ここ数年、脇役に甘んじている選手たちが上記3人である。
 伊藤舞(大塚製薬)は控えめな性格だが、主役への願望はかなり強いと思われる。下の成績一覧表からもわかるように、2011年テグ世界陸上代表こそ経験したが、国内大会の日本人順位では名古屋3位、大阪2位、横浜2位、北海道3位が最高。世界陸上以外は一度も2桁順位がないように、安定感は抜群なのだが、代表選考レースの日本人トップが一度もない。

「見せ場は作ってるくれるのですが」とは大塚製薬・河野匡監督。
 2011年の大阪では、優勝した赤羽有紀子(ホクレン)と中盤で競り合い、積極的に出るシーンもあった(テグ世界陸上代表を決めた)。2012年の名古屋はロンドン五輪選考会で、尾崎好美(第一生命)、中里麗美(ダイハツ)、渋井陽子、野口みずき(シスメックス)、赤羽らと、35kmまでデッドヒートを演じ、勝負を仕掛けたりした。

伊藤舞のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人 記 録
1 2010 3.14 名古屋国際女子 4 3 2.29.13.
2 2011 1.30 大阪国際女子 2 2 2.26.55.
3 2011 8.27 世界選手権 22 5 2.35.16.
4 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 5 4 2.25.26.
5 2012 11.18 横浜国際女子 5 2 2.27.06.
6 2013 4.21 ロンドン 7 2 2.28.37.
7 2013 8.25 北海道 3 3 2.32.54.
8 2014 2.23 東京マラソン 7 1 2.28.36.
9 2014 4.13 ウィーン 7 2.35.15.

 昨年夏以降は、良い練習と故障を繰り返しているが、集中したときのパフォーマンスは上がっている。
 昨年夏のナショナル・マラソンチーム合宿では、福士加代子(ワコール)や野口を抑えるシーンもあった。そこで故障もしてしまったが、11〜12月のアルバカーキ合宿は「パーフェクトだった」(河野監督)。
 実業団駅伝は3区区間賞争いも期待されたが、区間1位の高島由香(デンソー)に1分02秒離された(それでも区間4位の好走)。どこかおかしいと思って診断を受けると、仙腸関節の疲労骨折が判明。3週間ほど練習に影響が出てしまった。
 だが、「体づくりが遅れたので、ぎりぎりまで練習して、まったく抜かないで出た」(河野監督)という全日本実業団ハーフマラソンで1時間09分57秒(2位)と、「1時間11分台で100点と思っていた。予想外の自己新」(同)が出た。

 昨年5月で30歳になったが、充実期はこれからだろう。
「メンバーが充実しているので、なかなかレースは動かせない」と河野監督は冷静に予想するが、伊藤が見せ場を作るシーンは今回もありそうな予感もする。ペースメーカーが外れる30kmか、2012年に先頭から後れた37kmか。
 30代初マラソンで、センター(主役の座)を狙う準備はできている。

●「私は静かに狙いたい」と、2年前まで試合で力を出せなかった堀江
 東海テレビのインタビューで堀江美里は次のように答えている。
「色んな注目選手がいっぱいいる中で、私は静かに狙いたいと思います」
 これまで脇役だったが、遠回りもしたかもしれないが、地道に練習を積み重ねてきた堀江の正直な気持ちであり、ひとかけらのプライドも感じられた。

 森岡芳彦監督自身が「雨だれが岩を穿つように」と形容する同監督の立てるメニューは、地道なことの繰り返しが多い。それを全身全霊でこなしてきたのが堀江である。だが、よくいうところの、練習は頑張れても試合で結果が出せないタイプだった。練習からすれば初マラソンから2時間26分台は出しても良かったが、3年前の名古屋、2年前の名古屋と2時間30分を切れなかった(下の表参照)。

堀江美里のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人順位 記 録
1 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 16 13 2.31.39.
2 2013 3.10 名古屋ウィメンズ 10 6 2.30.52.
3 2014 3.09 名古屋ウィメンズ 7 4 2.27.57.

 その殻を破ったのが昨年で、7km付近で転倒したことをはねのけて、2時間27分57秒で7位(日本人4位)と好走した。レース後に、森岡監督が出す3日連続や4日連続のポイント練習を、どういうメンタルで行っているのかを堀江に質問した。
「私はジョッグよりもポイント練習がある方が好きで、リズムに乗れば、マラソンをイメージして走ることができる。その瞬間が好きなんです。30km走をやって次の日が3000m3本だったら、前の日からの走りの続きだと思って、ここでマラソンのペースが変わるから、苦しい脚でも走ろうとか考えてやっています」

 森岡監督によれば、昨年からピーキングを変更したことも功を奏した。
「2013年まではしっかりと調整して出ていたら、堀江にとっては軽すぎて後半が持ちませんでした。昨年からは(2月第1週の)丸亀ハーフもバンバン追い込んでも記録を出し、名古屋も調整をそれほどしないで、あえてきつくして出たら結果が出ました」
 今年も同じ流れで練習を積み、丸亀では1時間11分06秒(5位)と、昨年よりも51秒タイムが上がった。
「5km過ぎてトップ集団から落ちたので、悪く言えばレースに乗ることができなかった。でも、15km過ぎで日本人トップに追いついて、トラックまで前を走っています。唐津(10km)でもそうでしたが、よく言えば1人で走る力がついている」
 入社6年目でも明らかに、成長していると感じられる。

 最後にまた堀江本人の、東海テレビのインタビュー動画コメントを紹介する。
「1万mなどでかなわない選手にスピードを出されたら、そのときは対応できないかもしれません。でも後々、絶対に粘って帰ってきます。何回も何回も挑戦することで、一歩一歩上がっていける。私のことを知っている皆さんに、オオーっと思ってもらえるような走りをしたい」
 それができたときは、脇役だった堀江が、センターに大きく近づくときだ。

●前日本記録保持者、渋井の純粋な「もう一度」の思い
 言わずと知れたマラソンの前日本記録保持者で、1万mでは現日本記録保持者。渋井陽子は実業団競技生活をスタートさせて18年、初マラソンから14年が経過した。
 東海テレビのインタビューで渋井は「気がついたら18年経っていた、っていう感じです。今も新しいことを見つけてやっているし、とにかく、自分の中では悪い感じで引退していくのがイヤなんです」と、現在の心境を語っている。

渋井陽子のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人順位 記 録
1 2001 1.28 大阪国際女子 1 1 2.23.11.
2 2001 8.12 世界選手権 4 2 2.26.33.
3 2002 10.13 シカゴ 3 1 2.21.22.
4 2004 1.25 大阪国際女子 9   2.33.02.
5 2004 9.26 ベルリン 1 1 2.19.41.
6 2005 3.13 名古屋国際女子 7   2.27.40.
7 2006 3.12 名古屋国際女子 2 2 2.23.58.
8 2007 1.28 大阪国際女子 10 2.34.15.
9 2007 11.18 東京国際女子 7   2.34.19.
10 2008 11.16 東京国際女子 4   2.25.51.
11 2009 1.25 大阪国際女子 1 1 2.23.42.
  2009 7.26 サンフランシスコ 1 1 2.46.34.
12 2009 8.23 世界選手権 dns   dns
13 2011 2.27 東京 3   2.29.03.
14 2011 8.28 北海道 3   2.35.10.
15 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 4   2.25.02.
16 2013 1.27 大阪国際女子 8   2.32.41.
17 2013 4.21 ロンドン 17   2.37.35.
18 2014 2.23 東京 85   3.11.05.

 初マラソン世界最高(当時)と世界陸上4位が2001年、前日本記録が04年、復活の大阪国際女子優勝が09年。そして、2度目の復活が12年の名古屋で2時間25分02秒の4位。
 だが、13年以降は2時間30分が切れず、昨年の東京で3時間かかったときは会見で進退を問われた。そのときの返答に窮する様子が、メディア関係者は印象に残っていた。
 しかし、渡辺重治監督は「原因がわかっていたから」と、引退の可能性はなかったこと明かした。
「(渋井の課題である)体重を一気に絞ろうと、食事も減らしてコントロールしていました。見た目は明らかに細かったのですが、血液データにも、これでは走れないよな、という数値が出ていました」

 その渋井が区間3位&5位と、東日本と全日本の実業団駅伝で好走すると、2月の実業団ハーフでは1時間11分00秒で6位に食い込んだ。それも、10kmで先頭集団に25秒離されながら、後半も5km毎を16分台で踏みとどまり、順位を上げていくレースを展開した。
 渡辺監督は「全盛期に比べたら練習の量も質も下回っていますが、フィジカルトレーニングを積極的に取り入れて、それがやっと、走りに結びつくようになったからだと思います」と、好調の要因を分析する。
 以前から渋井は、以前のレベルの走りを取り戻すために、走るトレーニングだけでは難しいと考え、動きづくりや補強、各種エクササイズに取り組んできた。この1年はキックボクシングのジムにも通い始めた。

 さすがに2時間20分に迫るのは難しいだろうが、実業団ハーフの走りを見ても、今の渋井にはトップ集団でレースを進める力は十二分にある。
「3年前に2時間25分02秒で走っていますから、条件や展開に恵まれれば、そのときよりも良いタイムを狙えると思います。気づいたら、代表争いをしている、ということになったらいいですね」(渡辺監督)

 東海テレビのインタビューでは、渋井は次のようにも話している。
「昔に戻るっていう(のを目指している)わけじゃないんですが、昔のような感覚が戻ってきて、そういうマラソンができたらもう最高だなって思っているんです」
 たとえ記録的には全盛時に及ばなくても、“渋井陽子のマラソン”が進化している。自分でそう納得できる走りができたとき、渋井が再びセンターに立ったことになる。

【視点1】アジア大会のリターンマッチ
ユニス・ジェプキルイ・キルワ(バーレーン)
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