2009/2/24 藤田敦史公開練習&共同取材
初マラソンから丸10年、10回のマラソンを走った32歳
藤田にとっての東京マラソンとは?

そのB 20歳台前半との比較と、世界と戦う術(すべ)  その@ そのA
 2007年の別大で優勝したときは、06年福岡の失敗から2カ月という短いインターバルで臨んだ。その成功は、福岡で一緒に走った世界記録保持者のゲブルセラシエ(エチオピア)の、「日本選手はマラソンを難しく考えすぎている」という話も参考にした。すでに福岡までの練習の蓄積もあり、別大までの間は追い込んだ練習は少なめにした。気持ち的にも、“オレが勝つんだ”としか考えていなかった福岡と違い、ゆとりを持って臨むことができた。その成功体験は、その後の藤田にどうつながっているのだろう。
※別大マラソン前後の状況に関しては、富士通サイトのこちらの記事を参照

藤田「スタイル的には“いいとこ取り”ですね。まったく同じことをやっているわけではありませんし、まったく別というわけでもない。ゲブレの話にあったやり方を試して別大で勝てましたが、あれが正しいことの全部かといったら違います。あれだけでは勝てません。あの経験によって選択肢の幅が広がったというか、引き出しが増えた感じです。その時々の状態に合わせて、チョイスするものが多くなった」

 選択肢が増えたことで、“これをやらないと走れない”という決めつけた考え方がなくなった。優勝報告会時には、千葉に戻って来た際には「福嶋監督のメニューを文句を言わずにやろうと思った」と話していたのも、その現れだろう。当初は「俺の体でこれができるのか」と思ったが、それが不安になることはなかった。実際、やってみたらこなすことができた(考えられる理由はそのAで紹介した)。
 これまで福岡国際マラソンに出場してきたのは、駅伝の前にマラソンをやりたかったからだが、そこにもこだわらなくなった。駅伝をやっても、それをマラソンに生かす方法があるのではないか、と。

藤田「今まで、考えすぎてダメだったところもあったように思います。今年は駅伝で良い流れができています。調整段階も駅伝の延長でやってみます。駅伝の流れが良かったなら、マラソンまでその流れでやってもいい。ある意味、気楽に行こうかな、と」

 それでもそのAで紹介したように、膨大な量を走り込む藤田の特徴は失われていない。
 20歳台前半の“走り込む藤田”と、今の“走り込む藤田”の違いはどこにあると、自分では考えているのだろうか。

藤田「簡単に言うと気持ち的に頑張って走るのか、頑張らずに走るのか、という違いだと思います。23〜24歳の頃は“やらなきゃ、やらなきゃ”という感じで量を走っていました。今は体調が悪ければ“やらなくてもいいか”と考えられる。同じ量を走っていても、気持ちの余裕の有無が違います。それも、引き出しが増えて、どんな場面になっても動じなくなったからできることです。経験がプラスになっていますね。例えると、ですか? 視野が広くなったのが今の自分だと思います。昔の自分はそれ(走り込むこと)しか見えていなかった。今は色んなところに目が向くようになりましたね。丸くなったとか、明るくなった、と言われますし(笑)。昔の自分とはまったく違います」

 そうした変化を自覚できている藤田だが、競技的な目標が下がっているわけではない。むしろ、32歳という年齢で続けているからには、相当の覚悟があるはずだ。

藤田「現役でやっている以上、オリンピックの舞台で走りたい。それは、変わらない夢です。年齢的にロンドンが最後になると思います。そこまで集中してやっていきたい」
福嶋監督「ロンドンだったら大丈夫ですね。今のトレーニングを見ていると、このまま継続していけます。それ以外にも、これまでやっていなかったトレーニングもあります。高所トレーニングもそうですし、1万mで28分そこそこを狙うトレーニングもしていません。やる機会がこれまでありませんでしたが、トラックのレベルをもう一段階上げるトレーニングを一度、させてみたいですね。そうすると、見えてくるものがあるかもしれません」

 トラックの話題になったところで、世界のマラソンがスピード化への対処法についての質問が出た。世界記録は2時間3分台で、夏のオリンピックでも2時間6分台が優勝記録になる。

藤田「今まで日本選手が考えてきたマラソンを、一度ぶち壊して考えないと、世界にはついて行けないように感じています。昔は1km3分00秒で行けば世界と戦えると思っていましたが、今はそれでは追いつかない。熊日30kmを走った三津谷(祐・トヨタ自動車九州)が『1万m×4本、あるいはハーフ×2本の感覚でマラソンを走りたい』と言っていましたが、そういう感覚を持てるようにならないと戦えないのかもしれません」

 そのためのスピード強化に、この1年間取り組んできた。しかし、福嶋監督が言うように28分ヒト桁のトレーニングができたとして、それでも1万mのタイムでは世界と1分半の差があるのが現状だ。その差をマラソンで埋めるにはどうすればいいのか。

藤田「日本のいいところで埋めていくしかないと思います。緻密に練習を組んでいくところなどがそうです。つくり込んでいって、上手く行けばマラソンで記録を出せる。そういう緻密さは、日本選手にとって大きいと思います。それに僕は、これまで色々な経験を積んできました。緻密さと経験、それにストイックさや努力する姿勢なども日本選手が備えているものです。そういうもので、世界と戦えるギリギリのところまで行ける。もしかしたら、それでも足りないかもしれません。でも、そこを求めてやっていくしかない」

 藤田の目指すマラソンが完成するのは、もうしばらく先のこと。ただ、3月22日の東京マラソンでは、その第一歩を記すことになる。
 この日の話を総合すると、東京マラソンで藤田の変化を見る1つの目安は、スピードへの対応だろう。前半からのハイペースへの対応というよりも、終盤の勝負所で1km3分を切るペースになったときへの対応の仕方に注目したい。


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