2009/2/24 藤田敦史公開練習&共同取材
初マラソンから丸10年、10回のマラソンを走った32歳
藤田にとっての東京マラソンとは?

その@ 駅伝後の練習と、東京マラソンの目標
 藤田敦史(富士通)が24日午前中、千葉市で公開練習を行い、午後には共同記者会見に臨んだ。
 現在、3月22日の東京マラソンに向けてのトレーニングの真っ最中である。富士通が優勝した元旦のニューイヤー駅伝4区(22.3km)で1時間03分26秒(区間3位)と快走した後は、
1月13日〜20日 奄美大島合宿
1月29日〜2月19日 徳之島合宿〜奄美大島合宿(2月8日〜)

 と合宿を続けてきた。

藤田「ニューイヤー駅伝のあと5日間は休養で、ジョッグのようなつなぐ練習だけでしたが、その後20〜30kmの距離走を1〜2回入れてから、奄美大島の合宿に入りました。そこでは40km走を中心に、スタミナ的な練習を行いました。駅伝の優勝報告会もあったのでいったん帰ってきて、その後また徳之島と奄美大島で約3週間合宿して、そこでもほとんどがスタミナ練習でしたが、スピード練習もちょこちょこ入れてきました。絶対的な量の走り込みが終わって、今が一番疲れが出ています。でも、過去のマラソンでは今くらいの時期に調子が良くなり過ぎて、ピークが合わなかったことも多くありました」

 今後も
2月27日〜3月7日 奄美大島合宿
 を予定している。それ以降は千葉の寮で最終調整に入る。

藤田「ここから1カ月は、自分の調子を上げることを優先してやっていきます。メニューは福嶋監督の立てたものを考えずにやって、風邪や故障の予防などにも気をつけながら、(自分のなかで)体調を上げていきたい。東京に決めた一番の理由はニューイヤー駅伝から期間が一番とれるからです。今までスピード強化がおろそかになっていたところがありました。今回は駅伝でスピードを強化して、それをステップにマラソンを走りたいと考えたんです」

 藤田のマラソンは表のように、過去10回走っている。国内のマラソンは、初マラソンで日本人トップとなった(99年)びわ湖、当時の道路日本記録を出した(2000年)福岡、佐藤敦之(中国電力)との“あつし対決”を制した(07年)別大と走っているが、東京だけ経験がなかった。
回数 月日 大会 成績 記 録
1 1999 3.07 びわ湖マラソン 2 2.10.07.
2 1999 8.28 世界選手権 6 2.15.45.
3 2000 12.03 福岡国際マラソン 1 2.06.51.
4 2001 8.03 世界選手権 12 2.18.23.
5 2002 3.17 東亜マラソン 1 2.11.22.
6 2005 3.06 びわ湖マラソン 10 2.12.30.
7 2005 12.04 福岡国際マラソン 3 2.09.48.
8 2006 12.03 福岡国際マラソン 8 2.11.50.
9 2007 2.04 別大マラソン 2.10.23.
10 2007 12.02 福岡国際マラソン 8 2.12.29.

藤田「まだコースは見ていませんが、走った選手からは最後の方に起伏があって、風も吹くときついと聞きました。下見も必要かな、と思っていますが、初めて走るコースなので楽しんでやれればいいかな。少しだけですけど箱根駅伝の1区と同じ場所を走れます。大学1年で、全国的に名が売れたときです。思い出にひたりながら走れますね。そこは楽しみにしています。(3月下旬で)暑くなる可能性もありますが、僕は暑さが得意です。むしろ大歓迎。そこも考慮して東京にしました」

 藤田は海外マラソンも世界選手権が2回と、東亜マラソン1回で、大都市マラソンを走ったことがない。

藤田「参加人数の規模が違いますよね。大都市の市街地を走るのも、これまでとは違う印象です。同じマラソンですが、なんとなく違う種目のような感じも受けています。特に不安とかはなくて、むしろ楽しみにしています」

 大衆マラソンの側面を持つ東京は、8月の世界選手権ベルリン大会の選考レースでもある。セビリア大会で6位に入賞してから10年がたった。

藤田「世界選手権の代表切符を取るために出ます。日本人トップはタイムに関係なく即内定となりますが、日本人トップだけを狙ったりはしません。外国人もそうですし、日本選手も実績のある人が出ます。海外選手、国内選手に関係なく勝負をしたい。東京マラソンのレースで勝負をして、結果的に代表になれたらいいと思っています。毎回そうですが、タイムは特に設定していません。流れもありますし、気象条件によっても違ってきます。最低でも2時間10分は切りたいですけど、それよりも勝負ですね」

そのAにつづく


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