2007/5/5 国際グランプリ大阪
ミニ特集
醍醐、澤野、池田そして末續
GP優勝の同学年4選手が感じた手応えは?


@醍醐直幸
日本人2人目の“2試合目の2m30”
「高さ慣れ」という言葉の意味


 男子走高跳は醍醐直幸(富士通)が2m27までをすべて1回でクリア。グジェコジュ(ポーランド)が2m27の2回目以降をパスして醍醐とともに2m30にトライしたが、その高さも醍醐は2回目にクリア。グジェコジュは失敗に終わり、結果的に2位に6cm差の快勝だった。
 共同会見の醍醐は次のように話していた。
「2m30の2回目は、1回目で踏み切り位置が近かったので、助走開始位置を下げました。そこだけ修正すれば跳べると思ったから。2m35の1回目は、素直に高いと思いましたが、“高さ慣れ”すれば跳べるな、とも思いました。去年との違いも、その“高さ慣れ”だと思います。去年は2m23がアベレージでしたが、今年は2m27をアベレージにしたい。できるんじゃないかな、と思っています」

 大学2年時以降の低迷から脱出したのが2004年の秋だったが、その頃にも醍醐は“高さ慣れ”という言葉を口にしていた(3年前の川崎陸上競技フェスティバル記事参照)。この後、国体で5年ぶりに自己記録を更新。ある程度基礎が固まり、次のレベルに上がる際、その高さに何度も挑戦することで“慣れ”ることができる。慣れること=そのレベルに応じた技術・体力が定着する、ということである。2004年後半の醍醐はトップ記録でいえば、2m20前後から2m23くらいに力が上がった時期。アベレージでいえば2m13くらいから2m18くらいに上がったと言えるだろう。

 日本人初の2m30ジャンパーの阪本孝男は、1984年の2試合で2m30を跳んだ。しかし、他の2m30台ジャンパーたちは、大台を1試合でしかクリアしていない。醍醐は2試合目の2m30台という点で阪本と同じだが、2シーズンにまたがって跳んだ初めての日本選手となった。さらに、昨年の日本選手権では2m30、2m33と跳んでいるので、2m30台をクリアした試技数(3回)は最多回数に。
 “高さ慣れ”という言葉がもっとも説得力を持つ日本選手ということになる。

 技術的な収穫が“高さ慣れ”なら、国際グランプリ優勝(快勝)ということがメンタル面の収穫ではないだろうか。今回の国際グランプリ大阪で優勝した同学年4選手のうち、醍醐が劣っているのは国際大会での実績。昨年のアジア大会でも、他の3人が金メダルを獲得したのに対し、醍醐だけが銅メダル。確かにライバルの数は多い種目ではあったが、自信を持って臨んだ大会でもあった。
「アジア大会で負けたから、冬期練習をものすごく頑張れた。負けて良かった」
 負けて良かったというのは本心ではなく、負けたことを次につなげる考え方をとったということだろう。プラス思考も他の3人に追いつきつつある。

A澤野大地
数年悩まされているケイレンを克服か?
しかし、澤野自身はメダルへの課題を強調

 澤野大地(ニシスポーツ)がケイレンに悩まされるようになったのは、いつからだろうか。2003年のパリ世界選手権では決勝のトライアル中に肉離れを起こし、翌年のアテネ五輪でも試合中にケイレンを起こしている。2年前に5m83の日本新をクリアした際もしかり。昨年も、ケイレンで低い記録に終わった試合もあれば、5m70以上を跳んでから出た試合もあった。ただ、この記事にあるように、シーズン終盤のヨーロッパ遠征で、気持ちの持ち方を変えてケイレンが出なくなった。2年前で言えば、ローマのゴールデンリーグがそれに近い状態だったようだ。

 それが、今回の大阪GPではケイレンがまったく起きなかった。
 澤野は自身のブログに以下のように記している。

今回いくつかの新しい試みをしました。その中でも「落ち着くこと」に重点を置きました。僕はいつも試合になると気持ちが出すぎてしまい、それが足をつる原因の一つだと考えていました。
先週、静岡で足をつってしまったとき、もしかしたら酸欠になっているのかもとトレーナーの方やコーチから言われました。なんで40mくらいしか走らないのに酸欠が?と思われるでしょうが、よく考えて意識してみると、試合中に呼吸をするのを忘れてしまってるんです。実際にはしてるんでしょうけど、全く足りてないんです。つまり、筋肉にも酸素が通ってない状態。
確かに試合になるとやけに息切れをして、脈も異常に早かったりしました。試合の次の日は必ずと言っていいほど頭痛に悩まされていました。十分な酸素を取り込めていないんですから、普通じゃないですよね。
そこで、今回大阪では意識して呼吸をするようにしました。ゆっくりと、何回も、落ち着いて深呼吸を。
たまに芝生に寝転がって、深呼吸を。

これがはまりました。足をつらなかったこともよかったんですが、気持ちをかなり落ち着かせることができたんです。なんというか、ちゃんとコントロールできている、みたいな。

 しかし競技当日は、澤野自身は落ち着いて試合を進められたことを「あえてプラス要素を挙げれば」という言い方をした。それは“結果が出て初めて成功”という選手としての矜持だろう。大阪GPの記録は5m60。客観的には6mジャンパーのB・ウォーカー(米国)を抑えたことは評価できるのだが、本人は記録にこだわった。

 澤野の分析は明解だった。
「5m75を跳べなかったのは、1・2本目はポール選択の失敗です。1本目は軟らかくて、2本目で硬いものに換えましたが、それでも軟らかく感じてしまった。3本目はさらに硬いポールにしましたけど、助走が崩れてしまいました。3本あるなかで修正できなかったのは、まったく良くありません。どんな状況でもこの高さが跳べなければ、メダルは取ることができない」
 最も助走が狂いやすい種目であり、かつ、ポールの硬さを選択できる種目。棒高跳の難しさが垣間見られた(だから、やり甲斐もあるのかもしれないが)。技術的な課題を克服してこそ、スポーツ選手だということか。

 澤野は今季の課題の1つに、突っ込み動作の後、ポールの反発に上手く乗る点を挙げていた。ポールの選択に失敗したら、その課題はチェックできないのだろうか。
「軟らかくなってしまったときでも、そのなかでもしっかり、乗るところはやっています。いい具合にできている部分もありますよ。その辺はちょっとしたタイミングや、角度の問題なんです。ただ、いくら角度が良くても、ポールが軟らかかったら流れてしまいます。まだ2試合目(※)。これから試合をどんどんこなして調整していきたい」
 技術的な収穫がなかったわけではない。
※アメリカ合宿中に1試合に出場しているので、正確には3試合目。


寺田的陸上競技WEBトップ