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第2回 トレスシステムによる
     新井智之 復帰プロジェクト

 5月に宮城スタジアムで開催された東日本実業団。男子200 mの準決勝を走っていた新井智之(クレーマートラッククラブ)は、70m付近で右大腿に激痛を感じてトラックに倒れ込んだ。自力では立ち上がることができない。苦悶の表情のまま担架に乗せられて退場した。
 新井は学年でいうと末續慎吾(ミズノ)の1つ下で、4年時の2003年には関東インカレで100 m・200 mの2冠。200 mでは日本選手権で20秒71と、末續卒業後の学生短距離界のレベル低下を防いだ立て役者だった。
 進路に迷った1年間を経て、クレーマージャパンに昨年入社。秋に100 mで10秒41の自己新をマークすると、今年は4月の織田記念(予選)で10秒32と大幅な記録更新。手応えを感じていた矢先のアクシデントで、7月の日本選手権は欠場を余儀なくされた。
 しかし、暑さが本格化した7月、新井の気持ちも熱くなってきた。9月の南部記念での復活&アジア大会代表入りに、意欲を見せるようになったのだ。流しさえまだできない状態ながら、クレーマージャパン独自の“トレスシステム”による復活に向けたプロジェクトが、着々と進行しているからである。


@他にはない三位一体のシステム

●足裏のトレーニング
 JR高崎線行田駅から徒歩2分の場所にあるクレーマージャパン整形塾。そのトレーニングセンターで、新井智之は“足裏”を鍛えていた。カーフレイズのようだが、よく見ると違う。足裏の拇指球と小指球を結ぶ線より前を地面につけて、踵を上げ下げするのがカーフレイズ。俗に言うつま先立ちである。新井がやっていたのは、足の指部分だけをついての踵の上下動なのだ(写真参照)。“足指レイズ”だという。
通常のカーフレイズ(左)と、指レイズ(右)
 足裏を鍛えるメニューとしては他に、立位の姿勢で足の指を尺取虫のように動かして進むトレーニングもある。これらのメニューを取り入れたのは、5月に受傷して以降のこと。最初は、足の指間を広げようとしても「ピクリとも動かなかった」という。指を上下に開くのは簡単だが、左右となると靴の生活に慣れた現代っ子は難しい。それが、今は人に見せられるレベルになっている。
「体の細部まで使えるようにするのが狙いですね。足裏の拇指球から小指球までの部分でも、接地したときの役割が違います。親指は力強く押す、他の4本はそれを支持する。そのバランスを微妙にとることで、衝撃を吸収することもできれば、力を発揮しやすくもなる。漠然と地面を叩くのと、つかんで押せるのでは違ってきます。復帰への手応えを感じられる部分です」
 この足裏のトレーニングは、リハビリ中で走れないことを逆手にとって実施している。後述する佐藤政宏トレーナー(アスレチックトレーニング事業部統括部長)の話に出てくるが、リハビリをしながら競技力向上さえ狙うメニューである。そして、速く走るための動きとして本シリーズの第1回「原田塾」で紹介した、「股関節の使い方」や「重心への乗り込み」ともつながっている。
 注意して欲しいのは“足裏”が全てというわけではない。象徴的ではあるが、あくまで復帰プロジェクトの1つのメニューであり、トレスシステムの一環として行われていることだ。

●トレスシステムとは?
 新井の復帰プロジェクトは、トレスシステムに則って進められている。“トレス”とはスペイン語の“3”のことで、トレーニングと治療、そして栄養指導。三位一体となってのサポートシステムを意味している。
 例えばトレーニングセンターのトレーナーが、新井の患部の様子を見て、リハビリ・トレーニングの指導を行なう。治療はクレーマー整骨院の鍼灸師などが行なうが、このときトレーナーと互いに連絡を取り合う。トレーニングセンターと整骨院は、同じクレーマー整形塾の機関で、隣り合わせの敷地にあり、連絡がスムーズにできる。そして、トレーニングセンターに所属する管理栄養士が、食事のとり方などをアドバイスしていく。
 このトレスシステムは、クレーマー整形塾の一般会員にも行なわれている。新井の復帰プロジェクトは言ってみれば、会社の事業システムの代表事例なのだ。自身もトレーナーとして長年の研鑽を積み、野球やサッカー、バスケットボールの選手を指導してきた佐藤トレーナーは、次のように説明してくれた。
「ケガはその度合いによって便宜上、重篤度(じゅうとくど)が数値でつけられます。1度、2度、3度と。通常リハビリは、その重篤度によって2週間後にはこれをやりましょう、その次はあれをやりましょう、とシナリオが決まってしまっている。じゃあ、重篤度に1.2度とか1.5度はないのかといえば、そういうこともあります。復帰の進行度合いも、右肩上がりとは限りません。重篤度と日数でリハビリを決めるのではなく、その日の状態を(トレーナー・サイドと治療サイドの)両者が見て決めていきます」
 同じ考え方を、今回のプロジェクトでもとっている。新井の回復度合いを各スタッフが見ながら、方針を微調整しているのだ。
クレーマージャパン整形塾のトレーニングセンターでリハビリ・メニューに励む新井。同トレーニングセンターは治療院とも隣接している
 足裏のトレーニングに関しても、既成の考え方を鵜呑みにしていない点が共通しているだろうか。佐藤トレーナーは、こうも話している。
「リハビリでマイナスをゼロに戻すのは当たり前ですが、考え方によっては弱点を克服する時間としても使えるわけです。ゼロにではなく、2にも3にもすることができる。それが、本当のリハビリだと考えます。足裏の使い方に関してもケガの重篤度と同じように、ただ拇指球で押せばいい、だけではないと思うんです。拇指球から小指球まで、1から5までの指球があったら、実際の接地に際しては1.05の部分を使っているのかもしれません」
 トップ選手が技術的な部分で細かいところまで考えるのと同様に、治療でも細部に配慮する。それがクレーマー流と言うことができそうだ。
 ここまで丁寧なシステムでは、治療を受ける側の金銭的な負担が増えるはずだが、そこを解決してしまうのがクレーマージャパンという会社。現在の整形塾(トレーニングセンターと整骨院のタイアップ経営)も、時間はかかったが軌道に乗り始めた。
「クレーマージャパンという母体があったから、整形塾がやってこられた部分はあります。整形塾の存在がクレーマージャパンの信用性を高め、その母体があるから治療・リハビリ分野の真剣な追求ができる。お互いを高める存在になっています」

●患部を誰よりも熟知する存在
 東日本実業団で新井がケガをした直後、真っ先に駆けつけたのが帯同していた檜山かおるトレーナーだ。故障者の出た現場は、緊張度が高まる。我々取材をする側まで冷静さを欠いてしまうが、檜山トレーナーは落ち着いていた。
「軽症〜中等症の損傷だと思いました。重篤度で言えばT〜U度ですね。でも、本当の重篤度はMRIなどで奥の方まで検査してみないことにはわかりません。そのときはまだ、復帰時期がいつになるか、とは考えませんでした。日本選手権の1カ月半前でしたし。現場で一番に考えていたのは、どうやって埼玉まで帰るか、ということでした」
 埼玉への帰路で悪化させてしまったら、元も子もない。慎重さを要する部分だった。
 そして、埼玉に戻って2日間は、RICE処置(クレーマージャパンのサイト参照)を徹底させた。新井は月曜日から出社したが、畳の部屋に籠もった。俯した状態で膝を曲げて、アイシングを施した。その合間に脚の各部に力を入れたり、足先を少し上げてみたり、床に押しつけてみたり。そういった地味なメニューをひたすら続けた。
 3日目からはRICE処置をほどこしながら、リハビリを入れ始めた。1週間くらいしたところで、初めて病院に行ってMRI検査。受傷直後には、正確な様子が見えにくいことがあるからだ。そこで、触診ではわからない部分の判断ができるようになる。
「最初の1週間が急性期でしたが、8日目から亜急性期に入りました。車での通勤も可能になりましたし、患部の曲げ伸ばしも徐々に始めています。全身的な大きな動きもできるようになりましたね」
 その頃から、新井は足裏のトレーニングにも取り組み始めた。「最初の頃の新井は、親指と小指を両側に開くことができませんでした。今も、“できる”というレベルにはなっていませんけど」と檜山トレーナーは言うが、その頃から佐藤トレーナーの言う「ゼロにではなく、プラスに持っていく」ところまで考え始めていたということだろう。
 ただ、当時はまだ地味な動きの練習ばかり。意味のあるメニューではあるが、実際の走りからは遠い動きで、選手には満足しにくい練習である。そこを、檜山トレーナーが毎日、練習に付き添ってアドバイスを行う。その甲斐あって、新井の回復速度は速かった。
「毎日、新井の患部を見て、日毎の変化、さらには時間毎の変化をチェックしています。その変化が理解できればできるほど、リハビリのメニューづくりの参考になる。だから、新井の患部については、誰よりもよく知っていられるようになったと思います。今は患部の筋力アップと、患部以外では弱点を補強するメニューを組んでいます」
 エアロバイクやスプリットジャンプに取り組む新井の姿と、それを傍らで見つめる檜山トレーナーの姿は、真剣勝負のような緊迫感すら漂っていた。
リハビリ・メニューを行う新井をサポートする檜山トレーナー
A選手の気持ちとシステムの融合に続く


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