2012/3/30 柏原富士通入社会見
新年度特別記事
柏原竜二と富士通
@“弱い富士通”に入社
入社会見に臨んだ柏原竜二は、富士通を選んだ理由を次のように語った。
「色々な企業から誘われましたが、一番興味を引かれたのは福嶋(正)監督の『ウチは弱い』という言葉です。『弱いけど強くなりたい。だから一緒にやってほしい』という言葉が胸に響きました。僕の中にも強くなりたい向上心があり、その考え方が素敵だと思いました」
福嶋監督は会見後に「そこが印象に残っていたとは、先ほど聞くまで知りませんでした」と苦笑した。「弱いと言ったのは、柏原に声を掛けた頃は駅伝も弱かったのだと思いますよ」
少し解説が必要だろう。ニューイヤー駅伝の富士通は今年こそ10位だったが、2009年優勝、10年3位、11年2位と3年連続3位以内だった。客観的に見たら「弱い」とは言えない。柏原に声を掛けたのはおそらく2年前。優勝の翌年に3位と成績を落とした後で、福嶋監督が“弱い”と感じていたのかもしれない。
もう1つの可能性は駅伝ではトップ3に入れても、個人で活躍する選手がいないことで福嶋監督がずっと“弱い”と感じていたこと。富士通はニューイヤー駅伝の優勝が2回あるが、2000年の優勝時にはエースの高橋健一、ベテランの福嶋、新人の藤田敦史と三代直樹と日本代表クラスが揃っていた。
高橋はハーフマラソン前日本記録保持者(1時間00分30秒・現歴代2位)で、2001年の東京国際マラソンでも優勝した。藤田は99年と01年の世界選手権マラソン代表で、00年の福岡国際マラソンに2時間06分51秒の日本記録(現歴代2位)で優勝した。三代は00年に1万mで27分59秒39をマークし、01年の世界選手権に出場。福嶋監督も1993年のシュツットガルト世界選手権代表だった。
「富士通が本当に強かった時代です」と福嶋監督は当時を思い出しながら話した。1万m、ハーフマラソン、マラソンの富士通記録は今も、三代、高橋、藤田の3人が保持している。
福嶋監督は「28分30秒以内の記録を持つ選手がウチに入るのは、藤田・三代以来です」と教えてくれた。箱根駅伝でそれなりに活躍している選手が入社し、ニューイヤー駅伝でも“調整の上手さ”で優勝争いができる。だが、個人で日本代表を目指す選手までは育てられていない。近年の富士通はそんな状況だった。
東洋大も柏原が入学する前は、川嶋伸次前監督のもと強くなりつつあったが、箱根駅伝で優勝争いをするチームではなかった。しかし柏原の1年時に初優勝すると、ここ4年間で3回優勝という強豪チームに成長した。“山”のある箱根と平地のニューイヤーは異なるし、柏原もすぐにエース区間で区間賞が取れるほど甘くはない。
だが、柏原に求められているのは駅伝なら、エース区間を走ることだろう。藤田が4区を走っていた頃は任せられた。今も堺晃一や福井誠が区間上位で頑張っているが、ときどき失敗することもある。柏原もそこはしっかりと自覚している。
「1年目だからと気負わずに、エース区間を任せられる選手になっていきたい。僕自身は大学時代に“山”以外でも結果を残してきたつもりです。取り上げられ方は“山”ばかりでしたが(笑)。それを過信しないように、自信をもってどんどん強い選手に挑戦していきたい」
福嶋監督は「練習のなかで本人がエース区間を勝ち獲れれば、そこを走ればいいと思っている」という言い方をした。先輩選手も黙っていないぞ、という一種の警告だったように思った。
しかし、本当に求められているのは駅伝ではない。それは2001年に世界選手権エドモントン大会に出場した高橋、藤田、三代以降途絶えている、長距離種目(3000mSCを除く)での日本代表選手に成長すること。福嶋監督が新人選手勧誘のとき「ウチは弱いけど強くなりたい」と言えなくすることだ。
Aマラソンで富士通記録を につづく
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