朝練習中の尾田 |
◆学生時代は関東インカレ2部で5000mと1万mの2冠となっているが、全国タイトルとは縁がなかった。それはトヨタ自動車に入社した03年以降も同様だった。しかし入社1年目、2年目と1万mで自己記録を更新。2年目の04年はアテネ五輪のB標準も突破、兵庫リレーカーニバルで三津谷祐(トヨタ自動車九州)、佐藤敦之(中国電力)のビッグネーム2人に続く日本人3位だった。日本代表も手が届くところまで来ていたと思われた。
尾田 実業団入りしてからは春先にレースペースのインターバルで追い込んだことで、1万mのタイムが伸びたのだと思います。でも2年目に28分03秒92を出したときは、自分がそこまでのタイムで走れるとは思っていませんでした。段階を踏んで力をつけたいと思っていた時期で、オリンピックや世界選手権を狙うまでの力はないと思っていたんです。毎年、代表を狙う意識を持って日本選手権には出ていたんですが、そこまでの力があるとはまだ思えなかった。本当に狙えると思い始めたのは08年か09年あたりから。これはイケルという練習ができ始めたのがその頃です。
◆しかし、05年から1万mの記録は伸び悩んだ(表参照)。大きく落ち込 |