ウィグライプロ
スペシャル
第3回



尾田賢典
遅咲きランナーのこだわり





 世界選手権テグ大会マラソン代表の尾田賢典(トヨタ自動車)は、決して目立つ選手ではなかった。学生時代は1万mで28分20秒台を出して注目されてはいたが、箱根駅伝の区間賞や全国タイトルを取ったわけではない。実業団に入っても1万mの27分台はなかなか出せず、日本代表にも届かなかった。
 その尾田が30歳を過ぎて初マラソンに挑んだ。今年(2011年)2月の東京マラソンで2時間09分03秒で4位(日本人2位)。初マラソン日本歴代3位の記録でテグ世界選手権代表の座を射止めたのだ。
 実業団の8年間で尾田はどう変化して、マラソンランナーとして日本代表入りするまでになったのだろう。そして何にこだわった結果、その変化が可能になったのだろうか。

@成長と足踏み

◆初マラソンが30歳だったことを"遅い"と指摘されることもあるが、それに対して尾田は「そうは思わない」と毅然とした態度で言う。実業団3年目の05年から08年まで、1万mでも記録が伸び悩んだ(参照)。一見、遠回りをしたように見えるが、それも「無駄ではなかった」と考えている。

尾田 しっかりとマラソン練習ができる体ができて挑戦したのが、たまたま30歳だったということです。遅いのではないかとよく聞かれますが、僕はまったく気にしていません。25歳前後が体力的なピークと言われますが、それもないと思っています。僕が練習をしっかりできるようになったのはこの2〜3年です。今が一番、脂がのっていると思います。
 そもそも、1万mとマラソンを特別に分けて考えていません。練習をしっかりやった結果、マラソンをやれる体ができてきました。マラソン練習をやった結果、持久力の土台ができた。その結果スピードでも押していくことができて、1万mの27分台を出すこともできました。練習ができてきてマラソンで記録を出している選手もいるし、27分台を出している選手もいる。そこは人それぞれだと思います。
 1万mの停滞も無駄だったとは思いません。結果を出せない年は我慢をする時期だったと思っています。その数年間を我慢したから練習ができるようになり、今があるんです。僕は自分のやり方が合っていたから、ここまで来られたと思っています。

◆1万mで停滞する時期が長かったが、そこから脱け出したら1万mで27分台の自己新を出し、マラソンでも代表入りした。これこそが尾田の特徴だが、そこにいたるまでどのような競技人生を歩んできたのか。学生時代から振り返ってもらった。


尾田 学生(関東学院大)の頃は、中田盛之監督のしっかり走り込んで基礎を作るという考えで、30km走などでじっくり距離を踏む練習が多かったと思います。インターバルもやらないことはなかったのですが、実業団に入ってからのようにガンガンやることはなかったですね。それでも1万mで28分20秒台を出せたのは、試合前になるとある程度はスピード練習を入れていた

8月12日の世界選手権結団式の尾田
からだと思います。ただ当時は、スピード練習が足りないという意識はなくて、この練習をやっていれば大丈夫だと思っていました。スピードについては、レースになってラストまで行ければ勝負になると思っていましたね。高校3年の秋か冬くらいから、そう感じられるようになっていました。

尾田賢典の年次別ベストと日本選手権&駅伝成績
個人種目 高1 高2 高3 大1 大2 大3 大4
1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002
1500m           4.14.4    
5000m   14.50.96 14.28.8   14.06.5 14.10.52 13.53.81
10000m       29.14.1 28.42.70 28.27.33 28.23.98
ハーフ         1.03.37. 1.04.21. 1.04.02.
駅伝 高1 高2 高3 大1 大2 大3 大4
1996 1997 1998 2000 2001 2002 2003
区間 不出場 不出場 6区 2区   1区 2区
区間順位     1位 15位   5位 8位
区間タイム     14.31. 1.12.37.   1.04.29. 1.09.10.
チーム順位 2位 2位 2位 13位 不出場 12位 18位
個人種目 実1 実2 実3 実4 実5 実6 実7 実8 実9
2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011
日本選手権1万m 24位 14位 7位 9位 5位 11位 3位 10位 8位
1500m       3.49.90 3.49.31 3.53.30 3.52.15       
5000m 13.54.68 13.49.95 13.44.52 13.44.98 13.42.67 13.59.31 13.46.47 13.58.63 13.51.08
10000m 28.15.82 28.03.92 28.24.00 28.15.80 28.27.35 28.20.40 28.08.13 27.53.55 28.24.59
ハーフ   1.01.58.     1.02.19.   1.01.41.       
30km             1.30.07.       
マラソン                 2.09.03.
駅伝 実1 実2 実3 実4 実5 実6 実7 実8 実9
2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
区間 1区 4区 不出場 2区 2区 3区 4区 4区     
区間順位 16位 9位   24位 12位 3位 9位 7位     
区間タイム 35.19. 30.04.   65.06. 64.20. 38.50. 63.52. 64.26.     
チーム順位 5位 7位 9位 20位 24位 5位 5位 1位     
※駅伝は全国高校駅伝、箱根駅伝、ニューイヤー駅伝の成績


朝練習中の尾田
◆学生時代は関東インカレ2部で5000mと1万mの2冠となっているが、全国タイトルとは縁がなかった。それはトヨタ自動車に入社した03年以降も同様だった。しかし入社1年目、2年目と1万mで自己記録を更新。2年目の04年はアテネ五輪のB標準も突破、兵庫リレーカーニバルで三津谷祐(トヨタ自動車九州)、佐藤敦之(中国電力)のビッグネーム2人に続く日本人3位だった。日本代表も手が届くところまで来ていたと思われた。

尾田 実業団入りしてからは春先にレースペースのインターバルで追い込んだことで、1万mのタイムが伸びたのだと思います。でも2年目に28分03秒92を出したときは、自分がそこまでのタイムで走れるとは思っていませんでした。段階を踏んで力をつけたいと思っていた時期で、オリンピックや世界選手権を狙うまでの力はないと思っていたんです。毎年、代表を狙う意識を持って日本選手権には出ていたんですが、そこまでの力があるとはまだ思えなかった。本当に狙えると思い始めたのは08年か09年あたりから。これはイケルという練習ができ始めたのがその頃です。

◆しかし、05年から1万mの記録は伸び悩んだ(参照)。大きく落ち込
んだわけではなかったが、日本代表レベルからは少し離れてしまっていた。それまで縁がなかった故障にも悩まされるようになった。

尾田 今になって思えば"ただこなしているだけ"という練習になっていました。アキレス腱に痛みが出始めたりしたこともあって、目的意識に欠けてしまっていたと思います。上を目指していなかったわけではありません。05年のヘルシンキや、07年の大阪世界選手権も目標にしていました。でも、練習と試合の結果が噛み合わなかった。イケルかなという感じをもって試合に出ても、レースになると上手く走れませんでした。
 アキレス腱の痛みが出始めたのが入社3年目の05年からでした。練習の質が年々上がってきて、その中で疲労が蓄積されると出るようになったのです。痛さはあってもある程度の練習は継続できましたから長期間休むことはなかったですけど、05年から06年の冬場に2カ月くらい練習ができませんでした。ニューイヤー駅伝を唯一欠場したのがそのときです。あとは、10年の東京マラソンに出る予定でしたが、ニューイヤー駅伝の後にアキレス腱と股関節に痛みが出て初マラソン挑戦が1シーズン遅れてしまいました。

◆代表に届かなくても、そこにいたる段階を上がっていくはずだった自身の競技生活。1万mの記録が伸び悩んだ05年から07年は、尾田にとってはもどかしい時期だった。その状況でも日本選手権1万mでは7位、9位、5位とヒト桁順位を続けていた。そこに尾田の意地が表れていた。

尾田 日本選手権には入社してからずっと出続けています。オリンピックや世界選手権の最重要選考会ですから、日本選手権に出なかったら代表になることはできません。出ない時点で上への挑戦が終わってしまうんです。ですから毎年、日本選手権の標準記録だけは破りました。どんなに調子が悪くても、そこだけはこだわってきましたね。
 オリンピックや世界選手権がない年でも同じです。選考会でなくても記録は記録として残ります。標準記録を破れば次の年も有効になってつながっていきますし、自身の成長を確認する意味でも記録は残したいと思っているんです。マラソンで代表を決めた今年も、春はトラックに出ましたし、日本選手権にも例年と同じように出場しました(8位)。

◆アキレス腱痛を抱えているとはいえ、尾田は故障や体調不良の少ない部類に入る。栄養やサプリメントについてはどのような考え方で取り組んできたのだろう。

尾田 食事はバランス良くしっかりとることを心がけています。朝食は自宅で、昼食は会社で食べますが、夕食は練習後になるべく早く寮で食べています。品数が豊富でバランスの良い食事ができるからです。それほどひどいわけではありませんが、ヘモクロビンの数値がたまに下がることがあるので、貧血対策もしていますよ。好きではないけどレバーも我慢して食べますし、鉄剤も飲んでいます。
 ウィグライプロは2〜3年前から飲み始

ウイグライプロを愛飲している尾田
めました。運動後にグルタミンが減少することと、その補給にウィグライプロが最適なことを知ったからです。08年以降は練習の質も量も上がっていますし、夏合宿やマラソン練習も継続してできています。ポイント練習の日は練習直後と1日の終わりに、ジョッグの日は1日の終わりに1袋飲んでいますよ。最近、味が変わって飲みやすくなっていますね。

A20歳台の終盤に自己変革につづく


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