ウィグライプロ
スペシャル
第4回



“足立・西脇工高”の
強さに迫る
伝統校の変化と指導の核




写真は朝練習前に校庭の
掃除をする選手たち

B渡辺前監督から引き継いだ部分、真似できない部分
A選手の"やる気"を喚起する工夫から
●同じやり方ができない理由
 それでは渡辺前監督と足立先生で、選手の"やる気"を起こさせる方法に違いがあるのだろうか。
「渡辺先生がつくられた絶対的な基礎があります。でも、それは誰にも真似できないものでもあるんです」
 はた目には引き継いでいる部分も多くある。渡辺前監督もグラウンド整備を徹底してやらせていたという。臨機応変に練習をミーティングに変更するのも共通点だ。後述するが、弱くても努力する選手を見逃さないように気を配っている点も同じである。それが伝統といえる部分ではないのか。
 それでも足立先生は、「同じやり方ではない」と言い切る。
「山の頂上に登るのにも、登り口はいくつもあると考えています。渡辺先生が突っ切った登り道がありますが、僕が同じ道を行くことはできません。同じ道を登ろうとしたら、本当の自分ではなくなってしまいます。生い立ちも育ってきた環境も性格も違うのですから、同じやり方はできません」
 結論をいえば、選手の"やる気"を喚起するのは指導者の"人間性"だからだ。選手を観察し、それに対しどう働きかけるか。選手と接するときに一番大きな影響を及ぼすのは、指導者の"素"の部分に他ならない。渡辺前監督と同じ接し方をしたら、どこかに無理が生じてしまう。
「同じことをやろうとしたら僕も面白くありませんし、生徒たちも(伝えられるべきものを)感じられなくなってしまいます。参考にすることはできても真似はできません。指導者の性格に合わせて、生徒が山を登りやすい方法を考えるべきだと思います」
 選手へ影響を与えるということを考えれば、"人間力"といえるかもしれない。だから練習メニューは「どうぞ写してもらっていいですよ」と言うことができる。

朝練習は補強が中心

朝練習のメニューにも腕振りは必須

朝練習も短時間でいくつものメニューをこなす

●"陰得賞"は伝統の発展形
 渡辺前監督のやり方を、足立先生がわかりやすく発展させたのが"陰得賞"である。陰で努力している生徒を選手同士で推挙させ、その数が多い選手を月毎に表彰するシステムだ。
「僕らの前で一生懸命やっていても、見えないところではそれほどやっていない生徒もいます。その逆で僕らが見えるところや練習ではそれほどではなくても、陰で努力をしている生徒もいます。故障を治すためにこんなことをしていたとか、電車の中で欠かさずやっていることがあるとか。人を認めるということは、その生徒も心の成長をしている証拠でもあるんです」
 "陰得賞"を取らなくても強い選手はいるが、"陰得賞"を取った選手は必ず力を伸ばして来るという。今季では小南祐介(2年)がその代表格だ。11月に全国高校駅伝のメンバー10人を選ぶ段階になり、その最終選考レースを行なった。そこで小南がラスト1周で40m以上の差を追い上げて1位をとり、登録メンバー入りを決めた。
「選手には"走ること"は競わせていませんから。通常の練習はペースランニングとジョッグが中心です。そのかわり"陰の努力"を競わせています」

全国高校駅伝のメンバー入りした
小南(右)は陰得賞受賞選手
 渡辺前監督も陰で努力している選手を見逃さなかったという。
「本当によく見ておられました。朝早くグラウンドに来られて、練習している生徒、努力をしている生徒を見ていましたね。帰るのも絶対に生徒より早く帰らない。観察力、洞察力はすごかったと思います」
 小南のように駅伝メンバー入りできる選手もいるが、当然控え選手にまわる生徒もいる。だが、努力をしている選手は、必ずチームの大きな力になってきた。それは、過去の西脇工高の成績が証明している。
 足立先生もそこは、渡辺前監督のやり方を意識して踏襲している。朝練習は8時から補強や腕振りを20分間行うが、7時15分に来てゴミ拾いをする選手と、どちらが早く登校するかを競っているという。そういった選手を生かさないとチームは強くならない。
 足立先生はチームを城の石垣に例えた。
「大きな石だけでは石垣は崩れてしまいます。間に小さな石がつまっているからこそ、大きな石もその役目を果たせるんです。小さな石を軽視したら必ずひずみが現れてくる。練習ではなかなか声をかけられませんが、練習以外のところで声をかけるようにしています」

 取材に行った日の練習後に、選手間の簡単なミーティングが行われていた。1人の選手が輪の中心で「○○と○○は、こういう行動ができていた。そういう行動ができた者が強くなっている…」と話をしていた。西脇工高の伝統は確実に受け継がれている。
 小島忠幸、藤原正和、奥谷亘、清水将也。世界選手権代表となったOBたちに続く選手が、"足立・西脇工高"からも誕生することだろう。

足立幸永先生プロフィール
 西脇工高の初期を支えた1人。同高が2回目の全国大会出場となった1979年には1年生で出場して4区で区間24位、チームは18位の成績を残した。2年時の兵庫県大会は4区、3年時は1区とエースに成長したが、ライバルの報徳学園高の壁を破れなかった。
 1982年に日体大に進み、1年時の箱根駅伝はアンカーで優勝テープを切った(自身は区間2位)。2年時は復路エース区間の9区で区間2位(チームは2位)。3年時は9区で区間賞(チームは3位)。全日本大学駅伝では3年時にアンカー(当時は7区)で区間賞を取り、逆転でチームを優勝に導いた。
 日体大卒業後は明石城西高に4年、吉川高に6年勤務。1996年に母校に戻り、渡辺公二前監督のもと13年間コーチを務めた。「前任2校のころは"オレについて来い"というやり方でしたが、渡辺先生のもとで選手の自主性をうながす指導法を学びました」
 渡辺前監督の退任を受け、2009年から監督に。2年間は駅伝の兵庫県大会に勝てなかったが、2011年に優勝。志方文典(早大2年)、大中康平(関学大2年)、新庄翔太(中大1年)、芝山智紀(中央学院大1年)そして現3年生の勝亦祐太とトラックでも全国大会入賞者を育てている。名門を引き継ぎ短期間で結果を残しているが、「基礎基本を教えていただいている、中学校の先生方に感謝しています」など、ことあるごとに周囲への感謝の気持ちを強調する。
 1963年5月13日生まれ。



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