頑張れ、森千夏
 
 森千夏選手直筆お礼状  「森千夏さんを応援する会」からのお礼・経過報告
森千夏選手の記事一覧
 森千夏選手が癌と闘っています。
 詳しい経緯は東京高陸上部サイトを見てほしいのですが、自分にも何かできることはないかと考えました。直接、何かができるということはありませんが、これまでに書いた自分の記事を一覧にして、閲覧できるようにしてみました。読み返すと、内容的にはともかく、文章として稚拙なものも多くて恥ずかしいのですが、森選手のこれまでの頑張った様子や、いかに記録的に傑出した存在であることが、ご理解いただけると思います。

 陸上競技マガジン5月号にも森千夏選手の記事が掲載され、読む者の胸を打つコメントも多く紹介されていました。記事中のから一部を引用します。ここまで死と向き合った選手のコメントを、陸マガで読んだことはありませんでした。

「(コメントの前半部分省略)そういう患者さんと話していると、私(のがん)はたった1個だけだしなあと思って。ご飯食べられるし、笑えるし、しゃべれるし、身体も動かせる。そう思ったら、だんだん大丈夫になってきたんです。
 死にたくないって、ずっと思ってたんですよ。絶対に死ぬのはイヤって。なかには死んじゃったほうが楽だという患者さんもいたけど、だったら勝手に死ねばいいって思ってた。私にはやることがたくさんあるんだ、絶対に死ぬのはイヤだって。
 今は、絶対に陸上でもう1回復活してみせるって思っています(後略)」


 取材をさせてもらった機会は5回や10回ではありません。無邪気と言ったら25歳の女性に対し失礼かもしれませんが、そのくらい純粋さを、接している人間に感じさせる選手でした。自分を飾ることがないんです。話していて、この選手の言葉には絶対に裏がない、と確信できました。

 鈴木文選手以来進歩が止まっていた女子砲丸投の日本記録を、豊永陽子選手と共に引き上げてきた選手です。日本人初の17m突破も18m突破も、森選手が第1号でした。これは男子400 mで言うなら、ともに日本人初の45秒台&44秒台を達成した高野進選手(現東海大コーチ)と似たケース。18m台は森選手だけですし、44秒秒台は今でも高野選手1人だけです。
 国際大会代表でも同じことがいえます。女子砲丸投の世界選手権代表は森選手が第1号でしたし、オリンピックも地元開催だった1964年東京大会以来、40年ぶりの出場を実現させました。
 女子砲丸投の“時”を動かした、日本の陸上界屈指の功労者と言っていいと思います。

 陸上界でここまで頑張ってきた選手が苦しんでいるのか、と思われた方は、是非とも支援の手を差し伸べてあげてください。郵便振替の口座番号など支援の方法が記された「森千夏を応援する会」発足の趣意書が、東京高陸上部サイトに掲載されています。


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