2002/4/11
データ&選手自身のコメントで振り返る
土佐のマラソン
その2 2000東京国際女子マラソン編
         その1 2000名古屋国際女子マラソン編
            その3 2001世界選手権エドモントン編


 入社後2度目、トータル3回目のマラソン(土佐のマラソン全成績)となった2000年11月の東京国際マラソン。「2時間25分59秒以内で日本人トップ」なら、翌年の世界選手権代表に自動的に内定する。6〜8月のボルダー(1回帰国している。8月には故障で3週間ウォーキング)、9月末〜10月末の昆明と高地練習を積み、11月3日には東日本実業団対抗女子駅伝にも出場。
 名古屋の2時間24分台で優勝候補に挙げられてはいたが、レース前、土佐の目標は自己記録更新だった。
「昆明の合宿で走り込んできました。そこで距離を踏んで、帰国してから駅伝などでスピード練習を加え、いい状態に仕上がったと思います。外国選手が積極的に引っ張ってくれればそれに付いていき、(外国選手が)そうでなかったら自己新記録を目指して、自分なりに積極的レースをしたい」
 つまり、外国選手が遅かったら、自らペースメイクすると言っていたわけである。

 そして、実際に1km付近から集団を抜け出し、1人我が道を突っ走った。10kmを33分20秒で通過する予定が33分08秒。前半が下り坂のコースとはいえ、かなり速いペースだった。優勝したチェプチュンバに追いつかれたのが中間点過ぎ。振り切られたのが27.5km付近。
 しかしこのときも、そのままずるずる遅れるのではなく粘りに粘った。35km以降はチェプチュンバと遜色ない走りを見せたのである。
 8カ月前の名古屋で出した自己記録には僅かに及ばなかったが、2時間24分47秒で世界選手権代表に内定した。

2000東京国際女子マラソンの通過&スプリットタイム
5km 10km 15km 20km 中間点 25km 30km 35km 40km
2000東京 チェプチュンバ 17.00. 33.30. 50.09. 1.07.06. 1.10.48. 1.24.08. 1.41.11. 1.58.24. 2.16.18. 2.24.02.
2000/11/19 (ケニア) (17.00.) (16.30.) (16.39.) (16.57.) (17.02.) (17.03.) (17.13.) (17.54.) (7.44.)
2000東京 土佐礼子 16.33. 33.08. 49.56. 1.07.03. 1.10.46. 1.24.08. 1.41.30. 1.59.03. 2.17.01. 2.24.47.
2000/11/19 (三井海上) (16.33.) (16.35.) (16.48.) (17.07.) (17.05.) (17.22.) (17.33.) (17.58.) (7.46.)

レース後のコメント
Q.今の感想は?
土佐 自己新が出ず、ちょっと満足できません。24分台は(世界選手権代表内定という点では)よかったのですが、やっぱり優勝できなかったのが悔しいです。
Q.レース展開を振り返ると?
土佐 最初は軽くて、行けるところまで行ってみようと思いました。(チェプチュンバ選手に追いつかれたときは)粘れるだけ粘って、行けるのなら行きたいと思っていました。結局、切り換えができなくて付いていけませんでした。(27.5kmは)もうついて行けませんでした。やっぱり世界の走りだなと感じました。とにかく、見える範囲で粘ろう。最後は脚に来て、ゴールしたらフラッときました。
Q.名古屋と比べると
土佐 名古屋のときより今回の方が苦しかった。後半がきつかったですね。
Q.名古屋ではダークホース的な存在でしたが、今回は優勝候補。期待度が違う中で走った気持ちは? 2度目の難しさとかを感じましたか。
土佐 精神的にはそんなに感じませんでした。でも、皆さんに喜んでもらえる結果が出せずに残念です。1回目の24分台がまぐれじゃない、という走りをしたいとは思っていました。
Q.世界と戦う上での課題は?
土佐 高橋さんみたいに何度でも切り換えができる選手になりたい。これからもっと力を付けて、世界で通用する走りをしたい
Q.世界選手権への抱負は?
土佐 自己新を出すことです。暑いのは、寒いよりもいいです。

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