2002/4/3
データ&選手自身のコメントで振り返る
土佐のマラソン
その1 2000名古屋国際女子マラソン編
土佐礼子(三井住友海上)のマラソンはこれまで4回。下記の通りである。
2度目のマラソンとなった2000年の名古屋国際女子マラソンは、高橋尚子(積水化学)がオリンピック代表を決めたマラソンだったが、土佐も当時の日本歴代4位となる2時間24分36秒で2位となった。
三井海上に入社してちょうど1年。前年(1999年)の世界ハーフマラソンに出場(なんと6位入賞。野口みずきが2位)しているが、それほど知られた選手ではなかった。国際千葉駅伝にも出場しているが、
土佐のマラソン全成績
回数 |
年月日 |
場所 |
順位 |
記録 |
1 |
1998. 2.22 |
愛媛 |
1 |
2.54.47. |
2 |
2000. 3.12 |
名古屋 |
2 |
2.24.36. |
3 |
2000.11.19 |
東京 |
2 |
2.24.47. |
4 |
2001. 8.12 |
エドモントン |
2 |
2.26.06. |
レース後のインタビュー
Q.レース前の目標は?
土佐 特に考えていませんでした。ついていけば、記録もついてくると思っていました。
Q.2位で、しかも2時間24分台の記録ですが。
土佐 嬉しいです。
Q.今日の走りのどこがよかった?
土佐 前半はついていくつもりでついていけて、後半は粘れるだけ粘ろうと思って、粘れたことです。
Q.きつかったところは?
土佐 高橋(尚子)さんが出てがきつくて、自分のペースでと言い聞かせて走っていました。30kmから少し軽くなりましたが、最後は力つきました。高橋さんと一緒に走っているときは、嬉しい気持ちと、「すごい。私でも付いていけるんだ」という気持ちと、両方がありました。
Q.過去のマラソンは?
土佐 3回生のときに1回、愛媛マラソンを走っています。2時間54分47秒でした。
Q.優勝……ですよね。
土佐 はい。今回、本格的なマラソン練習は初めてやりました。走れるかどうか、という気持ちでスタートラインに着きました。
Q.同世代の選手の活躍を、これまでどう思っていましたか。
土佐 大学で負け癖がついてしまって、ただ“すごいなあ”と思っていました。実業団に入って、いつか走れれば、と思っていました。
2000名古屋国際女子マラソンの通過&スプリットタイム
選手 |
5km |
10km |
15km |
20km |
中間点 |
25km |
30km |
35km |
40km |
F |
高橋尚子 |
16.51. |
34.04. |
51.19. |
1.08.47. |
1.12.40. |
1.25.38. |
1.41.54. |
1.58.16. |
2.14.58. |
2.22.19. |
(積水化学) |
(16.51.) |
(17.13.) |
(17.15.) |
(17.28.) |
|
(16.51.) |
(16.16.) |
(16.22.) |
(16.42.) |
(7.21.) |
土佐礼子 |
16.51. |
34.04. |
51.19. |
1.08.47. |
1.12.40. |
1.26.11. |
1.43.34. |
2.00.24. |
2.17.18. |
2.24.36. |
(三井海上) |
(16.51.) |
(17.13.) |
(17.15.) |
(17.28.) |
|
(17.24.) |
(17.23.) |
(16.50.) |
(16.54.) |
(7.18.) |
インタビュー中にもあるように、30kmからの5km毎を16分台でカバーしている。追い風があったとはいえ、後半の強さは当時から発揮されていた。最後の2.195kmでは高橋との差を詰めている。これを、高橋がやや息切れしたととるか、土佐が追い上げたととるか。土佐自身は「最後は力つきた」とコメントしているが…。
鈴木監督のコメント
「愛媛で一度、マラソンを走っていますが、初マラソンのつもりで、小鴨さんの2時間26分26秒(当時の初マラソン日本最高)を破るつもりで走ろう、と言ってきました。あとはレースの流れ次第でしたが、練習のつもりで、ついていけるところまでついてこうと。記録的には出来すぎですが、もっと練習を積めば、まだまだいけます。走りが柔らかくて癖がない。次のオリンピックは行けるんじゃないでしょうか。大学の4年間で社会性を積んでいます。人間関係なんかでストレスを貯めないようにしている点も、いいことだと思います」
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