2002/3/10 名古屋国際女子マラソン
安部友恵が旭化成陸上部としてのラストラン
今後の活動方針は……


 安部友恵にとって今回の名古屋は、旭化成陸上競技部としてのラストランだった。
 前日の記者会見では「走るからには自己記録と優勝を狙う」と、気丈なコメントをしていたが、実はボロボロの状態だった。寺田は山口の全日本実業団ハーフマラソンの取材に行っていたのでレース後の取材はできなかったので、旧知の報知・谷口記者の記事を引用させてもらうことにする。

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 30歳のベテランは、フィニッシュラインをまたぐと、笑顔に痛みの表情を浮かべた。「うそつき安部友恵、でした。本当は足が痛かったんです」そう言うと安部は、左足の付け根をさすった。実は、3週間ほど前から左足の5〜6個所に痛みを感じていたという。この日もスタートから自重したが、20キロ過ぎから足の感覚はなくなり、完走できるかわからなかったという。
 今月で陸上部を退部。「旭化成」のユニホームは最後となる。「みんなの応援があって、やめられなかった。最後は自分の足じゃなかった」沿道の声に後押しされて6位完走。昨年11月の東京(2時間34分17秒=12位)、1月の大阪(2時間29分16秒=5位)に続いて国内の3大国際マラソン走破。1991〜92年の浅井えり子に次ぐ2人目の快挙だ。
 4月からは会社勤務はそのままに、1人で練習を始める。「今日は終わりでもあり、スタートでもあった。意味のある大会でした」11月の東京国際では、“ニュー安部ちゃん”が見られそうだ。(谷口 隆俊)
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 レース後、パーティーで少し、安部本人に話を聞くことができた。
 その話をまとめると、今後はこれまでの経験を生かし、講演やマラソン大会へのゲスト参加、テレビ番組への出演など、活動のは場を広げていくという。会社の先輩である宮原美佐子さん(日本人初の2時間30分突破選手)と同じような活動だという。この日のパーティーでも、一般参加選手間での“安部ちゃん人気”は高く、寺田が話している間も写真撮影の依頼がひっきりなしに来ていた。
 宮原さんが東京を拠点にしている(元々、東京での一般社員採用)のに対し、安部はこれまで通り延岡を拠点にしていく。陸上部に籍は置かないが、練習はこれまで同様延岡で続け、自己記録更新を目指すのは変わらない。単に“昔強かったランナー”ではなく、“競技者”としての部分を多く残す活動方針になりそうだ。

安部のマラソン全成績とそれに関する記事を明日掲載

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