2002/3/10 全日本実業団ハーフマラソン
佐藤敦之vs.永田宏一郎
維新ゆかりの地で、1年前の学生2強が東西対決……
その1 タイプのまったく異なる2人

 写真をご覧いただいた方が早い。中盤、坪田智夫(コニカ)を追う集団を積極的に引っ張ったのは佐藤敦之(中国電力)と永田宏一郎(旭化成)だった。フィニッシュでは佐藤が1時間01分53秒で4位、永田が1秒差で6位だったが、この2人がこの時期に、山口(で行われた大会)で対決したことに意味がある。

 この2人、何から何まで対照的である。一覧表にした方がわかりやすい。
永田宏一郎 佐藤敦之
大学 新興の鹿屋体大 名門の早大
初の全国制覇 大3日本インカレ5000m 中2全日中2年1500m
走法 俗に言うトラックタイプ 俗に言うロードタイプ
記録 1万m学生歴代2位 マラソン学生最高
出身 九州の鹿児島 東北の福島

 佐藤は俗に言うところの、バリバリのエリート選手。中学で全国制覇を成し遂げ、その後も同年代のトップレベルをキープし続けている。大学3年時にはマラソンで、福島の先輩である藤田敦史の学生最高を更新。学生選手初の2時間9分台を記録した。
 一方の永田はインターハイは1500m予選落ちと、高校時代までは全国的には無名選手。大学1年の日本インカレ1500m4位が全国初入賞。しかし、3・4年時には日本インカレ5000mを連覇し、学生時代の全国タイトル、駅伝全国大会の区間賞数では佐藤を上回っている。
 2人のタイプの違いから、また、大学が東西に分かれていることから直接対決は少なかったが、2000年の日本インカレでは5000mでワンツー、1万mでは2・3位(優勝はカーニー)と好勝負を展開した。

 1年前には気づかなかったのだが、この2人は明治維新の主役を演じた東西の県(当時は藩)の出身。永田が倒幕軍の主力だった鹿児島(薩摩藩)出身で、佐藤が倒れかけた幕府を最後まで支えた福島(会津藩)出身。その2人が明治維新の思想的中心地とも言える山口(長州藩)で相まみえたのである。これはものすごい意味のある対決だったのだ、と本気で言っているわけではない。
 明治維新に関するうんちくはさておき、純粋に競技的な視点でも意味のある対決だった。
その2に続く

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