2014/7/12 南部記念
道産子ジャンパー&岐阜経大コーチ
品田直宏
世界ユース金メダルから11年後の南部記念初優勝

@学生大会3連勝中の松原と師弟対決

 南部記念は2度目の師弟対決の舞台となった。
 品田直宏(岐阜メモリアルトップアスリートクラブ)は岐阜県体育協会職員だが、陸上界的には“岐阜経大のコーチ”が現在の顔だろう。五輪イヤー末の2012年12月に着任し1年8カ月が過ぎた。
 教え子では、2年前までは7m09がベストだった松原瑞貴(岐阜経大4年)が昨年7m55に記録を伸ばし、今季は7m80に。5月の東海インカレ、6月の日本学生個人選手権、7月の西日本インカレと学生大会に3連勝する選手に成長した。
 初対決は昨年10月末の中京大競技会で、5回目に松原が7m49と当時のセカンド記録を跳び、リードしていた品田に2cm差と迫った。お尻に火が点いた品田は6回目に7m70。面目を保っただけでなく、今年の日本選手権の参加標準記録も初めて突破したのだった。

 南部記念は1回目に松原が7m51(+2.7)を跳んだのに対し品田はファウル。松原は1回目終了時点でトップに立ち、2位との39cm差は表面的な数字以上に好記録だったことを示している。
 しかし、品田は慌てなかった。2度目の師弟対決の会場は、品田が高校時代から何度も跳び、走ってきた札幌市の円山競技場である。昔から自分を知る人たちの前で、無様な戦いはできない。
 2回目に7m54(+1.4)で松原を抜いてトップに立つと、3回目に7m59(+1.4)と記録を伸ばした。対する松原は連続ファウル。4回目以降も品田が7m55、7m52、7m47と安定した跳躍を続けたのに対し、松原は7m37、ファウル、6m75と不安定で、品田を追い詰めることはできなかった。

コーチである品田(右)に勝てず、「参りました」と祝福の握手を求めた松原
 松原は「勝てると思っていたのですが」と、品田の前で遠慮なく話す。おそらく、オレを抜いて当たり前、というような話を品田コーチが日頃からしているのだろう。「(敗因は)助走がまとまらなかったことです。(直接対決で)自分が力んでしまったかもしれません」
 それを聞いていた品田コーチが補足する。
「試合が続いていて、西日本インカレでも助走でヒザ下が前に出て接地していました。そのときは3本目で修正できました。今日も後半で修正しようとしましたが、途中で雨が降ってきて、助走の感覚が違って戸惑ってしまいました」

 試技順は前半もベストエイト決定後も、松原の1つ後が品田だった。品田コーチは松原の跳躍を見てから選手に変身し、自身のパフォーマンスに意識を切り換えて試技を行い、すぐにまた指導者に戻って教え子のパフォーマンスを思い出してアドバイスをしていたのだろう。
 かつて、筑波大の大山圭悟コーチが自身も選手として試合に出場し、教え子の村川洋平(スズキ)にアドバイスしていたことがあった。選手にとってはありがたいことだ。
 ただ、大山コーチは優勝争いができるレベルではなかったが、品田の場合は自身も優勝争いができるレベルである。
「複雑でしたね。松原が修正できたら(自分が3回目に出した)7m59以上を跳ばれてしまいます。負けたくありませんが、教え子ですから…」

 今回は北海道出身の品田がホームの利を生かして優勝したというより、松原がコーチのアドバイスを生かせずに自滅した。勝つ気満々で臨んで敗れた松原は「国体でリベンジしたい」と、師弟対決第3ラウンドでの初勝利を宣言した。
 今年の国体は長崎開催。品田が中学3年の全日中で記録なしに終わり、高校3年のインターハイで1cm差の2位と敗れた場所である。
 どんなドラマが待っているのだろうか。
A南部記念初Vは「思い通りにいかなかった競技人生」の結果なのか? につづく


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