2014/7/12 南部記念
道産子ジャンパー&岐阜経大コーチ
品田直宏
世界ユース金メダルから11年後の南部記念初優勝
B南部記念初優勝は、世界へのスタートラインに再び立った証し
A南部記念初Vは「思い通りにいかなかった競技人生」の結果なのか?からの続き
南部忠平氏を記念した大会らしく、南部記念は走幅跳が終わると同じピットで三段跳が開始された。品田は三段跳の選手たちから「優勝?」「やったな」と言葉をかけられる。表彰を待つ間も同じように、確認のような祝福のような言葉が周囲から続いた。
しかし品田はその度に「記録は7m59だから」と、レベルの低い優勝だったことを強調する。これまでの報われなかった競技生活を思えば、10回目の出場でやっと勝てたことを手放しで喜んでもおかしくない。「記録は7m59だから」は、品田の目標が再び高くなっていることを示していた。
岐阜国体で最悪の結果に終わっても、品田は競技を継続した。27歳。次のオリンピックを狙うには微妙な年齢だった。
「一番の理由は、単純に走幅跳が好きだったからです。2012年のリハビリで、そう感じました。来る日も来る日も変わらない室内の景色の中で同じメニューを繰り返しましたが、1人で黙々と行う自分の必死さに、競技が好きなんだなと気づかされました。もう1つはケガをしたことで、逆に自分の可能性に気づいたからです。大半のトレーニングを高いレベルでこなしても記録が更新できていなかったので、もうできる練習なんてないんじゃないか、と思っていたこともありました。しかし、理学療法士の方に『30%しか使えていない』と言われ、まだまだできることは沢山ある、と思い直しました。また、結果が出ずに辛いままの気持ちで引退してしまったら、今までの楽しかった思い出も全て辛いものに変わってしまう。最後はどんな形であれ納得して、笑って終わりたいな、という気持ちがあって続けている気がします」
国体までは筑波大を拠点に練習していたが、国体後に岐阜県体育協会に非常勤ながら採用された。岐阜国体で結果は出せなかったが、品田の競技に取り組む姿勢や知識、周囲の選手への影響力などが評価されたということだろう。
岐阜国体翌年には@で紹介したように、教え子との試合で7m70まで記録を戻した。JISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリをしながら、体幹を重視した体のコントロールの仕方を学んだことが大きかった。
「痛みはなかなかゼロにはなりませんが、良い動きをすると痛まない。リハビリの過程で、骨盤を起こすと、自然と遊脚が上がることも実感できました。今は助走開始前に1〜2cmおへそを上に向けるように後傾させ、予備緊張をかけて走り出します。それまでは外国選手のように骨盤を前傾させることを考えていましたし、走ることを意識するあまり、体のポジション、姿勢のことはあまり考えていませんでした」
その結果、今シーズン前の冬期は「3年ぶりに痛みがなく」トレーニングができた。結婚もして、家庭を重視したいという思いもあったため、「これで結果が出なかったらやめよう」と引退も考え始めたのである。
自身が使える時間自体が、業務時間が増えたことで短くなった。そうした環境になったことで、“今”を大事にする姿勢が強くなる。集中力が増して中身の濃いトレーニングになり、今年は3年ぶりに7m80を超えた。
「今は本当にすごく状態が良くて、ひどすぎた去年までとのギャップに対応できていないんです。助走距離も、4歩前のマークの位置も定まりません。中部実業団で7m82を跳んだときも、助走が詰まっていたので開始位置を思いきり60cm下げたんです。そうしたら、スルッと跳べてしまいました。8mは今年中に跳びたいと思っています。踏切板に乗らずに7m86を跳んだこともありました(もっと上を目指せる、というニュアンス)。もう一度世界に出て勝負したい。あきらめずにやっていきます」
高校生の頃は、自身の競技生活を「8m跳んで、22〜23歳でオリンピックに出て、やめるんだろうな」と、漠然と考えていた。
実際は8mも跳べず、オリンピックにも出場できていない。世界ユース金メダリストとしては、もどかしさばかりを感じてきた。
だが、競技生活は思ったより長くなっている。どん底を克服し、今は指導者と選手の二足の草鞋を履きながらも、再び世界を目指す位置まで戻って来られた。
「良いときにケガをしてしまって、自分の跳躍をまだ完成させられていません。それに僕がこのままで終わったら、世界ユース(金メダル)の価値も下がってしまうと思うんです。子どもたちが出たいと思う試合ではなくなってしまう」
世界ユースから11年目の南部記念初優勝は、伸び悩んだ競技生活の結果だったかもしれないが、再び世界を目指すスタートラインに立った、という受け取り方もできる。
「思い描いたような競技人生にはなっていませんが、思ったよりも楽しいですね」
10回目の南部記念で、そう言えるようになった品田の姿がある。雨がやんだ円山競技場のフィールドに、陽が射してきた。
寺田的陸上競技WEBトップ
|