2014/3/6 名古屋ウィメンズマラソン3日前
前回9年ぶり自己新の早川が駅伝1区の快走を経て
3回目の名古屋ウィメンズで優勝争いに意欲


 前回5位(日本人3位・2時間26分17秒)の早川英里(TOTO)は、面識のない指導者から声をかけられたことが少し嬉しかった。
 昨年12月の全日本実業団対抗女子駅伝1区(7km)。区間賞の森唯我(ヤマダ電機)と翁田あかり(天満屋)が抜け出し、それを追う3位集団を引っ張った。以前は苦手だった起伏の激しいコースで、自らペースを作った。
 2区への中継時には区間2位の坂井田歩(ダイハツ)から4秒差の区間5位。走り終わった後に他チームの指導者からかけられた「スピードもあるんだね」という言葉には、マラソン型のスタミナだけの選手じゃなかったんだ、という驚きの色があった。

 そのスピードを、今回のマラソンに生かすことができるかどうか。
 名古屋は国際女子マラソン時代を含めると4回目、ウィメンズに衣替えした2012年からは3年連続出場となる。
 一昨年は新しいコーチに付いて1年目で、自己記録に8秒と迫った(7年ぶりの2時間30分切り)。ただ、ロンドン五輪選考会だったが、15kmまでしか先頭集団で走れなかった。
 昨年は本気でモスクワ世界陸上代表獲りに挑み、9年ぶりの自己新を出したが20km手前で先頭集団から後れた。
 今年は三度目の正直でアジア大会代表入りを狙う。
「今年もモチベーションは良い状態です。精神的にもっと強くなって、レースに勝ちたい気持ちが出てきました」と、東海テレビのインタビューに答えている。

32歳で本当のマラソンのスタートラインに
 早川のマラソン歴は下の表の通り。成蹊大4年時のホノルル・マラソンで、同大会日本人初優勝者となって話題になった。卒業後は市民ランナーのクラブのエリートランナーとして活動し、04年、05年と2時間28分台をマーク。だが、その後は2時間30分が切れなくなった。
 その経歴や市民ランナーとの活動が多かったことから、陸上界からは前述のようにマラソン型、スタミナが武器の選手と見られていた。
 だが、2011年に元トライアスロン日本代表選手の山本光宏コーチに師事すると、スピードも取り戻し始めた。5000mの自己記録は2007年にマークした15分47秒99だが、2012年12月には5000mで15分52秒36で走った。早川自身は「2度と走れないと思っていた」という15分台で、2013年も5月のゴールデンゲームズinのべおかで15分51秒63で走った。

早川英里のマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 2002 12.08 ホノルル 4 2.32.42.
2 2003 12.14 ホノルル 1 2.31.57.
3 2004 3.14 名古屋国際女子 8 2.30.47.
4 2004 12.12 ホノルル 2 2.28.11.
5 2005 10.09 シカゴ 5 2.28.50.
6 2005 12.11 ホノルル 2 2.32.59.
7 2006 4.23 ロンドン 10 2.31.41.
8 2006 12.10 ホノルル 3 2.32.31.
9 2008 12.14 ホノルル 11 3.07.39.
10 2009 12.13 ホノルル 5 2.44.33.
11 2010 4.18 長野 3 2.33.05.
12 2010 10.31 アテネ 4 2.40.25.
13 2010 12.12 ホノルル 5 2.42.12.
14 2011 11.20 横浜国際女子 12 2.36.37.
15 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 11 2.28.19.
16 2012 11.18 横浜国際女子 9 2.33.21.
17 2013 3.10 名古屋ウィメンズ 5 2.26.17.
18 2013 9.29 ベルリン 7 2.37.45.

 昨年末の駅伝の快走は、競り合った選手の持ちタイムを見ても、5000mなら15分30秒前後の力があると評価された。駅伝に集中したからではあったが、山本コーチのトレーニングを3年間継続してきた結果でもある。
 姿勢や筋バランスの調整、使えていなかった筋肉を使えるようにする、ということを目的に、筋力トレーニングや動きづくりに一貫して取り組んできた(昨年の記事参照)。日常からスイミングやバイクも、ランニングに応用できるようにアレンジして練習に取り入れている。

 新しいやり方で“再生”した早川だが、失敗がないわけではない。この1年間では、高速レースとして知られる9月のベルリン・マラソンに記録を求めて挑戦したが、2時間37分45秒と目標を大きく下回った。「タイムも含めて練習の内容は良かった」(山本コーチ)が、終わってみると、練習をこなすことで精一杯だったという印象が早川にはあったという。
 しかし、レース後の血液検査のデータでは、疲労を示す数値が低かった。メンタル的な疲労がある状態でベルリンには臨んでいたと推測できた。
「メンタル面のコンディションを合わせることができませんでした。コーチの気持ちが先行していた面があった」と、山本コーチは反省する。
 実は今回のマラソンに向けても同様に、順調すぎる面もある。そこで、ベルリンの教訓を生かし、師弟は慎重に調整している。

 32歳の年齢を指摘されることもあるが、「年齢では判断できない」と山本コーチは反論する(※)。特に早川の場合、昨年ハーフマラソンとマラソンの自己記録も更新したばかり。
「これからスタートするようなものですよ」
 と山本コーチ。
 年齢の壁を超えて、これからが本番という印象を受ける。


※筆者も同意見で、欧米の選手が競技寿命が長いのは、日本選手のように若い頃に追い込まないから、というのが俗説は受け容れがたい。欧米選手の競技歴を見ると若い頃にトラックで活躍している選手も多い。要は、競技をすることに、あるいはマラソンなどで生計を立てることに、20歳代後半や30歳代になって価値観を見いだすことができているか、だろう。
 実業団駅伝公式ガイドに書いたように、近年は日本の女子選手も、30歳代になっても走り続けている選手が多い。2013年のアスリート・オブ・ザ・イヤーを受賞した福士加代子(ワコール)は、その授賞式挨拶で「若さは年齢ではないと思う」と話した。



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