2013/3/9 名古屋ウィメンズマラソン前日
8年4カ月ぶりの自己記録更新レベルに戻った早川
“選考”にどこまで加わることができるか?


●ハーフで8年ぶりの自己新
 先週のびわ湖マラソンで藤原正和(Honda)が2時間08分51秒で日本人1位(全体4位)。10年ぶりに2時間8分台を出したことはインパクトが大きかった。
 名古屋ウィメンズマラソンで17回目のマラソンに挑む早川英里(TOTO)も、刺激を受けた1人。コーチの山本光宏氏(J-BEAT)によれば「藤原さんが来たか、と喜んでいましたね」と早川の反応を話した。
 早川は、年齢的には藤原の1学年下。藤原と同じようにマラソンの自己記録は、2004年のホノルルマラソンで出した2時間28分11秒が残っている。同世代の活躍をプラスにとらえているはずだ。
 来る名古屋ウィメンズマラソンで、8年4カ月ぶりに自己記録を更新する準備は整っている(天候的に厳しいかもしれないが)。

 この1年間の戦績を見ただけでも、その予感がする。
 3月の名古屋ウィメンズマラソンで2時間28分19秒と自己記録に8秒と迫った。2時間30分切りでさえ、2005年のシカゴ以来7年ぶりだった。
 11月の横浜国際女子マラソンは2時間33分21秒で9位だったが、大会3週間前に脚を痛め、10日間ほど走るメニューができなかったことが響いた。
「大事なレースで同じような事態に陥ることもあるわけです。そのときのためのシミュレーションにしようという判断でした。水泳や自転車、加圧トレーニングで心肺機能を追い込みました」と山本コーチ。加圧トレーニングの准統括指導者の肩書きを持つトレーナーでもある。

 横浜では結果を残せなかったが、1カ月後の日体大長距離競技会5000mで15分52秒台をマーク。レース数日前のタイミングで出場を決め、これも自己2番目の記録、ここ5年間くらいでは自己最高だった。
「やってきたトレーニングが間違いではないと、確信が持てました」(山本コーチ)
 そして2月の丸亀ハーフでは1時間10分13秒で5位(日本人3位)。7年7カ月ぶりに自己記録を1秒更新したのである。
 2006年頃から記録が低下し、大腰筋の痛みなどで苦しみ続けた早川。手応えは以前から感じていたはずだが、明確な数字として復活をアピールしたレースだった。

早川英里のマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
2002 12.08 ホノルル 4 2.32.42.
2003 12.14 ホノルル 1 2.31.57.
2004 3.14 名古屋国際女子 8 2.30.47.
2004 12.12 ホノルル 2 2.28.11.
2005 10.09 シカゴ 5 2.28.50.
2005 12.11 ホノルル 2 2.32.59.
2006 4.23 ロンドン 10 2.31.41.
2006 12.10 ホノルル 3 2.32.31.
2008 12.14 ホノルル 11 3.07.39.
10 2009 12.13 ホノルル 5 2.44.33.
11 2010 4.18 長野 3 2.33.05.
12 2010 10.31 アテネ 4 2.40.25.
13 2010 12.12 ホノルル 5 2.42.12.
14 2011 11.20 横浜国際女子 12 2.36.37.
15 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 11 2.28.19.
16 2012 11.18 横浜国際女子 9 2.33.21.

●復活へのトレーニング
 早川は2011年から、トライアスロンのトップ選手だった山本光宏氏(トライアスロンチーム「J-BEAT」代表。トレーナー)の指導を受けるようになった。
 最初に取り組んだのが、姿勢や筋バランスの調整、使えていない筋肉を使えるようにすることなどである。
「長年走ってきて、使っている筋肉と使えていない筋肉とのギャップが大きくなっていました。そこで筋肉を太くするのではなく、筋肉の動かし方を再教育することを目的に筋力トレーニングを定期的に行い始めたのです。また動作を伴うランニング中でも安定した姿勢を保つため、横隔膜や腹横筋などのインナーマッスルがうまく使えるように、ストレッチポールを利用したコア・コンディショニングを実践してきました。ストレッチポール上での両手両足の拳上は、インナーマッスルがしっかり働いている結果として可能になるのですが、彼女は自ら宿題として取り組んだのだと思います。4回くらいの指導でもう、できるようになっていました」
 早川がトレッドミルを同じ条件で行うと、山本コーチと同じように継続できないことに驚いた。トレッドミル上の走行と実際のランニングは別ものだが、余分な動作が多くなると、心拍数が上昇していくことを実感することができた。
 同じ考えで、実際の走りでも余分な力が入っていたら、低い走行速度でも負荷がかかる。練習に心拍計を導入し、どういう動き方をしたら負担が軽減されるのかを、つねに意識するようになった。

 距離よりも質の重視。月間の走行距離は気にせず、ポイント練習を、しっかりした動きでクリアしていくことを優先して考えている。「結果として700km、800km走っていた、となるのが理想的です」(山本コーチ)
 ポイント練習はかなり追い込む方だろう。トライアスロン選手たちが「デビル坂」と名付けた坂もあるくらいで、早川の場合は5km(16分台〜17分のペース走)を走った後にその坂でトレーニングをするため、かなりの負荷となっている(山本コーチブログに記述)。

 今回も40km走は12月に1回やっただけだが、2月の宮古島での16日間の合宿では、30km走を4本こなした。40km走は行わないが、1時間半から2時間のクロカン走は多く行っている。5000m4本というハードなメニューもあったという。
「ポイント練習はほぼ完璧にこなせました。ケガなく、ここまでは充実に来ています。これまでとはまったく違いますね」と、山本コーチは手応えを感じている。

●“きっかけ”の名古屋で
 タイムや順位の目標は立てないが、先頭集団でしっかりと勝負をすると決めている。昨年の名古屋は第1集団でレースを進めたが、17kmくらいで遅れた。11月の横浜国際女子も、20km手前で中里麗美(ダイハツ)と一緒に後退してしまった。「それではレースの醍醐味を味わえなくて、面白くないと思うんです。レース本番になったら競技を楽しむ。そのためには先頭集団で走りたいですね」
 これまでは代表入りを狙い、選考にからむレースをすることができなかったが、今回の仕上がりなら、それが十分に可能になると山本コーチは見ている。

 名古屋は早川にとって、節目の大会となってきた。
 早くから市民ランナーとして活躍し、成蹊大の学生だった2003年にホノルル・マラソン日本人初の優勝者となった。2009年までほとんどが海外マラソンだった彼女が、唯一走った国内大会が2004年3月の名古屋国際女子マラソンである。
 故障による低迷を克服して、昨年の名古屋ウィメンズマラソンで7年ぶりの2時間30分切りを達成。それがきっかけでTOTOに入社することになった。
 実は2011年名古屋国際女子マラソンも、震災で中止にはなったが、そのことが山本コーチとの距離を近づけるきっかけにもなっていた。

 暑さが予想されるため9年ぶりの自己記録更新はどうなるかわからないが、一番の目的は世界陸上代表争いに加わること。
 今回の名古屋も節目となる可能性がある。


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