2013/3/10 名古屋ウィメンズマラソン
今年も心打たれる言葉が多かった野口のレース後会見 前編
「強気で走ることができたので、完全復活へのステップになりました」
「絶対に治らないことはない、信じてやっていたら奇跡は起こると思うので、故障で悩んでいる人には頑張ってほしい」


「内容的には全盛期と同じ強気の走りができました」
Q.レースの振り返りと感想をお願いします。
野口みずき 今日の目標は2時間23分台で優勝することで(達成できませんでしたが)、内容的には全盛期と同じ強気の走りができました。でも、36kmから脚がまったく動かなくなって、離されてしまいました。2時間24分05秒の3位という結果で、代表がどうなるかはよくわかりませんが、最後まで選ばれることを祈っています。
廣瀬永和監督 レースの流れに乗って上手く走れましたが、やはり30km以降で、やってきた練習のなかで、距離的に足りなかった部分が後半の走りに出てしまいました。大阪を回避した体調不良によるものですが、そこが反省材料ですね。

「つねに左側にいて、給水を取りやすいように工夫しました。去年と違って冷静になれたかな」
Q.強気の走りができたということですが、レースの中でテクニック的に、こういうことをしたというものが具体的にあれば、教えてください。
野口 最初は我慢して様子を見ていたのですが、自分の走りやすい位置で走りました。つねに左側にいて、給水を取りやすいように工夫しました。去年と違って冷静になれたかな、と思います。エチオピアの人たちで若い人もいて、レース経験が少なかったのかよくわからないですけど、給水で一気に前に出て行って危ないな、とか冷静に見ていました。去年は、私も同じようなことをしていましたね。20km過ぎからはエチオピア勢が先頭に立ちましたが、絶対に来るだろうと思っていました。それについて走ったり、並んで走ったりしました。
Q.ペースメーカーを上手くコントロールされていたようにも見えましたが?
野口 そこまではないですね。ペースメーカーの人に任せていました。エチオピア勢が給水のところで4〜5人がバーッと来ていたので、(ペースメーカーの)小原さんが給水を取りにくいだろうな、と思って、私が取った給水を渡していました。しっかり仕事をしてもらわないといけないので、給水も取ってくださいね、みたいな気持ちで協力しました。

「70から80くらいまで戻ってきた感じです。強気のレースはできてましたが、少しずつだな、とも感じています」
Q.全盛期を100としたら、今日はいくつくらいですか。
野口 そうですね。70から80くらいまで戻ってきた感じです。強気のレースはできて良かったですけど、少しずつだな、とも感じています。ガンガン行けるような、一気に復活した走りまでは行かないのかな、と。40km走など距離走が足りなかったですね。都道府県と大阪を回避したあと、距離的に踏めなかった部分がありました。そのあとで30km、20kmのスピードは全盛期に近いくらいに走れたので、(マラソンも走れる)手応えはありましたし、この大会は強気で走ることができたので、完全復活へのステップになりました。

「40km走が少なくても、練習のなかで中身の濃いものができれば、(それなりに)自信を持って走ることができる」
Q.強気に行けた裏付けを、どんなところに感じていましたか。
野口 全盛期はどのレースでもグイグイ強気に行けていました。それは長い距離をばんばんやって、質の高い練習もこなした自信、そういった練習を積み重ねた自信で走れたのだと思います。今日、強気の自分に少しでも近づけたのは、長い距離、40km走が少なくても、練習のなかで中身の濃いものができれば、(それなりに)自信を持って走ることができるとわかりました。
Q.2007年とか昔の練習ノートと比べることもあると聞きましたが、年齢的に違ってきている内容もありますか。
野口 組み合わせ方はちょっと違いますが、中身的にはそれほど変わらないところまでできていました。
Q.大阪を回避して練習期間が長くなったのですが、距離的なポイント練習を抜いたということですか。
廣瀬監督 大阪を目指す過程で11月から、40km走も含めて順調に来ていました。調整期間に入ってレースを刺激とするために全国都道府県対抗女子駅伝に出るつもりでしたが、その間、体調も崩してしまって練習できなかった2週間が大きかったです。そこからの立ち上がりを考えると(距離的に追い込むための)期間がなかったですね。11月から何回かやっていたのですが、休んだ期間を考えると、積み上げという部分が不安材料としてありました。

「2008年からの左の(臀部の)炎症が、奇跡的にゼロになったんです。こんな嬉しいことはなかった」
Q.北京五輪から苦労された時期が長くあって、練習の中身を取り戻され、脚の痛みもなくなった。精神的にも良いレースができた。ここまでの経緯を振り返って、どんなお気持ちですか。
野口 大阪を回避した後、反対の右のお尻が気になって、念のためMRIを撮ったら、右も大丈夫だったんですが、「一線で走っている間はゼロにならない」と言われていた2008年からの左の(臀部の)炎症が、奇跡的にゼロになったんです。こんな嬉しいことはなかったですね。それも私に自信を与えてくれました。こうして皆さんがいらっしゃるので、故障で悩んでいる中学生や高校生、若い選手たちに伝えたいと思います。絶対に治らないことはない、信じてやっていたら奇跡は起こると思うので、故障で悩んでいる人には頑張ってほしい。少しずつですけど戻るんだな、年齢とか関係ないんだって思えるので、これからが楽しみです。
後編に続く


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