2010/3/14 名古屋国際女子マラソン
30kmまで引っ張った大南博美が、終盤も粘りの走り
             3位・2時間28分35秒
@“廃部”を前にいつもとは違った練習パターン
「今回は勝たなくていいから、と言いました」(高橋監督)
「それがなかったら、いつものように失速していたかもしれません」(大南博美)


 大南博美(トヨタ車体)がスタート直後から先頭を走り続けた。しかし30km手前の加納由理(セカンドウィンドAC)と伊藤舞(大塚製薬)のペースアップについていくことができず、37.5km付近ではD・ツル(エチオピア)にも抜かれて4位に落ちてしまった。
 先頭を独走した2005年の大阪(6位)がそうだったように、大南博美には「力んで走ってしまうクセ」(高橋昌彦監督)がある。そういう走りでは一度崩れるとなかなか立て直せない。今回もツルにかわされ、ズルズル後退してしまう流れに見えた。
 ところが今回の大南博美は踏みとどまった。35kmまでは5位を走っていた藤田真弓(十八銀行)に差を詰められたが、そこからは徐々に差を広げていった。40km手前では伊藤を抜いて3位に進出。最後の2.195kmは7分41秒で、優勝した加納と2秒、2位のツルとは1秒しか違わなかった。

 大南博美の失速を防いだ一因に、今回の特殊な状況があった。高橋監督はレース後に、しみじみと話していた。
「マラソンは気持ちが大事なんだとあらためて感じました。2時間28分台はすごく良い記録ではありませんが、前半を引っ張って後半も落ち込みなく走りきりました。今の力は120%出せたと思います。トレーニングは万全ではありませんでしたし、廃部がなかったら3位には入れなかった」
 大南姉妹は昨年11月の横浜国際女子マラソンに出場(博美が9位、妹・敬美が20位)。3月の名古屋を走るとなるといつものように、まとまって走り込む時期を設けることはできない。
 12月:愛知駅伝(6km)
    山陽女子ロード(10km)
 1月:全国都道府県対抗女子駅伝(10km)
 2月:丸亀ハーフマラソン(21.0975km)
    青梅マラソン(30km)
 と、試合を定期的に入れてスピードとモチベーションを落とさないようにし、青梅の後に40km走を2回入れるなどスタミナ養成の練習を行なった。通常のマラソンとはまったく異なるパターンで、「都道府県駅伝で(疲れなどが出て)終わってしまうかもしれない、丸亀で終わってしまうかもしれない」(高橋監督)というぎりぎりの状況のなかで準備を進めてきた。残念ながら敬美は、丸亀が終わった段階で名古屋を断念せざるを得なかった。
 合宿もいつものような高地練習ができなかった。4月以降の受け入れ先やスポンサー探しなどの営業活動を高橋監督がするためには、外国や南方の島に行くわけにはいかない。営業活動とトレーニングを両立するには、拠点である愛知県を出られなかった。
 大南博美自身、今回の練習に不安がなかったわけではない。
「今回はレースを入れながらのマラソン練習で、どうなるかわかりませんでした」

 そういう状況のなかでも、トレーニングの流れと廃部を控えた今の“気持ち”が上手く一体となった。
 高橋監督はレース前に大南博美に、「今回は勝とうと思わなくていいから」とまで言った。「スタートラインに立つことで、最後まで競技にこだわっていく我々の姿勢は示すことができます。ここまで来られたことで十分、合格点です」
 状況に関していえば“力んで走ってしまうクセ”が出てもおかしくなかったが、大南博美は先頭を走っても力んではいなかった。練習の流れと高橋監督の言葉がその一因だったのだろう。大南博美自身、「先頭に出てから下がるとリズムが狂いますから」と、不安を感じながらの走りではなかったという。
 動きが悪くなると左右に力が逃げてしまう(接地とキックがハの字の動きになる)。マメができることも多かったが、それが今回は出なかった。
 力みは不要だが、強い気持ちはマラソンに不可欠だ。
 大南博美のなかでは「チームのみんなの思いが伝わってきて、最後まであきらめない気持ちになった」と言う。会社の人たち、地元・名古屋の人たちの応援も、レース前から痛いほど感じられたし、走っている最中もその声援が背中を押してくれた。
「それらがなかったら、いつものように失速していたかもしれません」

A8年間の師弟関係で強い絆につづく


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