2010/3/14 名古屋国際女子マラソン
30kmまで引っ張った大南博美が、終盤も粘りの走り
             3位・2時間28分35秒
A8年間の師弟関係で強い絆
「私たちのことを一番わかっている。廃部になっても見続けてほしい」(大南博美)
「姉妹を最後まで見たい」(高橋監督)

@“廃部”を前にいつもとは違った練習パターン
 強い気持ちを持つことができた一因に、高橋監督との8年間の歩みがあったのは間違いないだろう。高橋監督が東海銀行のヘッドコーチに就任したのは2001年の12月(02年からUFJ銀行)。当時の東海銀行の竹内伸也監督はソウル五輪マラソン5位入賞の趙友鳳(中国)を育てた指導者だが、年齢的なこともあり、高橋監督に跡をつがせるつもりでいた。
 高橋監督自身が勧誘した結果の師弟関係ではないが、姉妹との出会いは運命的な要素もあった。
「竹内監督が愛知教大の附属で学校長をされていた頃、私の親戚がその学校でPTAの役員をしていて、竹内監督とは95、96年頃から面識があったんです。2001年のエドモントン世界選手権の前に、ボルダー(当時、高橋監督はボルダー在住)での練習のコーディネイトを依頼されましたが、当時は小出(義雄)監督の下でコーチをしていましたからお引き受けできませんでした。小出監督とは対照的でしたが、竹内監督の理論もすごいとその頃から思っていて、世界選手権後にコーチの話を受けることにしました。家内が名古屋出身というのも1つの縁だったかな、と思います。私のトレーニング法のベースはその2人から学びました。竹内監督も、私が小出監督から学んだことを姉妹のために役立ててほしいと言ってくれて、マラソンの指導を任せてもらえるようになりました」

 姉妹が高橋監督に信頼を寄せるようになるのに、時間はかからなかった。
「高橋さんの練習は、一度決めたメニューを絶対にこなしていくスタイルではなく、その日の状態を見ながら変えていくやり方。最初は戸惑いましたが、自分の体調に合わせてやっていって2レース続けて結果が出ました」と妹の敬美は言う。テレビの取材などでは監督と言うようにしているが、普段は“高橋さん”と姉妹は呼ぶ。東海銀行のヘッドコーチになったときに、そう呼び始めたのが続いているのだという。
 姉の博美はマラソンで結果が出るのが、敬美よりも遅かった。
「高橋さんに見てもらうようになって、マラソンをまあまあ走れるようになってきたんです。自分たちの状態を見ながら練習を考えてくれて、自分たちも何でも話せるようになりました」
 大南姉妹の戦績は表に示したとおり。02年のロッテルダムで敬美が2時間23分台で優勝し、翌年の名古屋では国内初優勝を飾った。マラソンでは妹に先行されていた博美も04年ベルリンで2時間23分台を出すと、07年ロッテルダムでは妹に続いて優勝を飾った。博美は04年の札幌ハーフでは1時間08分45秒(当時日本歴代3位)で優勝し、05年には1万mで31分35秒18を出して世界選手権代表になるなど、“長距離ランナー”として日本屈指の選手に成長した。

大南博美マラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 1999 3.14 名古屋 3 2.30.19.
2 2000 3.12 名古屋 5 2.28.32.
3 2001 3.11 名古屋 18 2.33.03.
4 2002 3.10 名古屋国際女子 2 2.27.29.
5 2002 10.13 アジア競技大会 3 2.37.48.
6 2003 4.13 ロッテルダム 2 2.26.17.
7 2004 1.25 大阪国際女子 3 2.27.40.
8 2004 9.26 ベルリン 2 2.23.26.
9 2005 1.30 大阪国際女子 6 2.28.07.
10 2006 1.15 フェニックス 3 2.36.08.
11 2006 1.29 マイアミ 1 2.34.11.
12 2006 3.12 名古屋国際女子 8 2.30.23.
13 2006 10.22 シカゴ 7 2.26.04.
14 2007 4.15 ロッテルダム 1 2.26.37.
15 2007 11.18 東京国際女子 5 2.30.24.
16 2008 12.23 加古川 1 2.35.16.
17 2009 1.25 大阪国際女子 11 2.32.30.
18 2009 3.22 東京 7 2.32.11.
19 2009 11.15 横浜国際女子 9 2.33.16.
20 2010 3.14 名古屋国際女子 3 2.28.35.

大南敬美マラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 1999 3.14 名古屋国際女子 5 2.33.05.
2 2000 3.12 名古屋国際女子 3 2.26.58.
3 2001 3.11 名古屋国際女子 2 2.26.04.
4 2001 5.20 エドモントン 1 2.51.59.
5 2001 8.12 世界選手権 37 2.42.25.
6 2002 4.21 ロッテルダム 1 2.23.43.
7 2003 3.09 名古屋国際女子 1 2.25.03.
8 2003 8.31 世界選手権 27 2.32.31.
9 2004 3.14 名古屋国際女子 6 2.30.15.
10 2005 3.13 名古屋国際女子 8 2.31.16.
11 2006 12.23 加古川 1 2.44.01.
12 2007 3.11 名古屋国際女子 3 2.29.24.
13 2008 3.09 名古屋国際女子 18 2.35.08.
14 2008 12.23 加古川 2 2.38.43.
15 2009 3.08 名古屋国際女子 dnf dnf
16 2009 11.15 横浜国際女子 20 2.48.19.

 決して成功ばかりだったわけではない。ケガやレース中の転倒などの不運もあり、敬美は2回の世界選手権でともに失敗。博美も好調が続いていた05年大阪で、前述のように後半失速している(UFJ銀行最後のマラソンだった)。
 今回の廃部が決定したときに高橋監督は、姉妹に現役続行をするか意思確認をした。すでに34歳。選手としての先行きを不安視する声は、高橋監督の耳にも入ってくる。故障がちの敬美はここ3年間、2時間30分を切っていない。
「もしかしたら敬美はやめると言うかもしれないと思っていました。しかし“どうする?”と聞いたらロンドン・オリンピックまでやりたいと即答したんです。2人がそういう考えなら、この先どうなるかわかりませんがやってみようと。それに今回のレースで“これもありだな”と思いました。マラソンは気持ちが大事だと。あの子たちの気持ちさえ見えていれば、迷うことはありません。4月から環境的に大変になりますが、そういう状況での気持ちがプラスに作用すると思います」
 3人は受け入れ先企業やスポンサーを探したりクラブチームの道を模索していくが、当面はこれまでの貯金と失業手当で活動していく。再び日本代表になれる保証はないが、姉妹の高橋監督への信頼も揺らいでいない。
「高橋さんでないとマラソンで結果を出せるかわかりません」と敬美が言えば、博美も「私たちのことを一番わかっているのが高橋さん。廃部になっても、見続けてほしいと思いました」と言う。
 高橋監督も2人の気持ちは十二分に感じている。
「私を信じてついてきてくれる。ここまでの8年間を考えたら、あの子たちを最後まで見たい」
 日本の女子マラソンには多くの師弟関係があり、その強固な結びつきがレベルを押し上げてきた。高橋監督と大南姉妹も、独特の軌跡でさらなる前進を始めた。


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