2006/1/29 大阪国際女子マラソン
レースの背景を探ったつもり企画
ハイペースに付いた小幡と、終盤で追い上げた嶋原
日本人1・2位を分けた“感覚”


 日本人トップの2位となったのは34歳の小幡佳代子(アコム)で、最初からトップ集団に付いた。ペースメーカーは5km毎を16分台後半で刻み、2時間22分台が狙えるペース。2時間25分14秒が自己記録の小幡には、明らかに速いペースだった。しかし、一緒に集団を形成した京セラ勢が次々に脱落するなか、小幡1人が粘り抜き、ペースメーカーが棄権した25kmでは独走となった。優勝したデレバ(ケニア)には33km過ぎでかわされたが、終盤も粘りきって自己2回目の2時間25分台のタイム。日本人トップをキープした。
 一方、3位(日本人2位)の嶋原清子(資生堂)は、先頭集団に付かなかった。15km過ぎに第2集団から抜け出して前を追ったが、両集団間を走っていたデレバには追いつけない。25km過ぎからは小幡を上回るペースで走り、最後の7.195kmはデレバより28秒も速い。だが、中間点までについた2分05秒の差は、55秒まで詰めるのが精一杯だった。夏場(昨年8月)の北海道マラソンで出した自己記録(2時間26分14秒)にも、33秒届かなかった。
 レース前半の印象は“小幡は完全なオーバーペース”。レース後の印象は“嶋原は前半を抑えすぎ”。第三者的にはそう見えたはずだ。だが、2人の背景を検証し、話を聞いているうちに、そう簡単に結論づけられるものでもない、と思えてきた。

@小幡編
中間点通過は1時間10分46秒
3週間前の宮崎女子ロードよりも速く通過できたのは?


 小幡は中間点を1時間10分46秒と、1月6日の宮崎女子ロードの記録を上回るペースで通過した(小幡は1時間11分00秒で8位。同じレースで嶋原は1時間10分06秒で7位)。6年前の大阪で自己記録を出したときも中間点は1時間10分47秒と、3週間前の宮崎のタイム(1時間12分43秒)を上回っていた。
 いくら調整していない時期のタイムとはいえ、なかなかできることではない。長沼祥吾監督は「僕らが客観的に見るところを超越して、行けると思ったときに行けるのが小幡なんです。そのペースで行っても後半が粘れるのが小幡なんです」と、小幡独特の能力であることを強調した。

 レース直後の会見で小幡は、1年以上もマラソンを走らなかったことに対し「“来ている感覚”があったので、不安はありませんでした」と答えている。その感覚があったからこそ、前半のハイペースにも臆することがなかった。表彰式後に、次のように説明してくれた。
「“来ている感覚”があるから、怖くないんです。宮崎も全力で走っていますがあくまで、大阪への練習過程でのハーフです。どんなに一生懸命でも、仕上げた状態のレースとは違います。確かに宮崎よりも速いタイムというのは考えたら不安になります。でも、“感覚”が来ると、あのくらいで通過しても大丈夫だと思えるんです」
 その感覚が、いつ自覚できるのだろう。
「ここで来たと特定することはできませんが、流れで、なんとなくわかってきます。今回もいつとはいえませんが、昨日(レース前日)の午後のジョッグでは、はまって来たな、いい感じで走れそうだと思いました」

 レース前日の夕方、ペースメーカーは5kmを16分50秒前後で引っ張る設定になった。宮崎での5km毎のスプリットは16分42秒−16分55秒−16分54秒−16分54秒。2000年以来の“来ている感覚”を自覚していた小幡にとって、それくらいのペースなら対応できると思ったはずだ。
 実際のペース(特にスタート直後)は、A嶋原編で紹介するように、予定とは少し違ったが、小幡は臆せず付いて行くことができた。“来ている感覚”への自信と、それを経験していることが、その走りを可能にしたと言えるだろう。

  5km 10km 15km 20km 中間点 25km 30km 35km 40km 42.195km
デレバ 17:05 34:17 51:31 1:08:16 1:12:02 1:25:18 1:42:16 1:59:27 2:17:02 2:25:05
  17:05 17:12 17:14 16:45   17:02 16:58 17:11 17:35 08:03
小幡佳代子 16:46 33:31 50:25 1:07:02 1:10:46 1:24:09 1:41:42 1:59:49 2:18:08 2:25:52
  16:46 16:45 16:54 16:37   17:07 17:33 18:07 18:19 07:44
嶋原清子 17:14 34:32 51:58 1:09:04 1:12:51 1:26:33 1:44:01 2:01:37 2:19:17 2:26:47
  17:14 17:18 17:26 17:06   17:29 17:28 17:36 17:40 07:30

A嶋原編
複雑な要素が作用して前半の抑えたペースに
「反省しながら走っていました」と嶋原

 04年東京、05年北海道と、2回連続で2時間26分台を記録している嶋原清子(資生堂)だが、終盤の勝負所まで先頭集団で走ったことはない。東京では千葉真子(豊田自動織機)を競技場直前で抜いて日本人トップ(2位)となったが、前半は後方の集団でレースを進めた。北海道では千葉に5kmまでついたが、そこからマイペースに切り換え、後半で追い込んだが30秒ほど届かなかった(2位)。
 今大会のレース展開が注目された。

 デレバが野口みずき(シスメックス、当時グローバリー)が03年に出した2時間21分18秒の大会記録更新を狙うなら、5km毎が16分40秒ペースになることも予想された(16分45秒イーヴンで2時間21分21秒)。レース2日前に川越学監督と本人に質問すると、「16分40秒では速すぎる」(川越監督)、「宮崎(1時間10分16秒の自己新で7位)と同じように動いたら付いて行くかもしれない。最終的には監督と相談して決めます」(嶋原)という答えだった。
 レース前日にはペースメイクは16分50秒(42.195km換算では2時間22分03秒)と設定された。練習の感触も良かったのだろう。嶋原は「先頭に付いて行きます」と力強く知人に話したという。

 しかし、嶋原は先頭集団に付かなかった。5kmが16分45秒と、予定よりも5秒速かったのだが、問題は“5km地点の5秒”の違いではなかった。最初の400 mだった。
 400 m 1分17秒
 800 m 2分37秒
 1000m 3分19秒
 スタート直後は2時間15分台のペース。しばらくして落ち着くとしても速すぎる。スタンド下のコーチ陣からも「20分を切る気か?」と、驚きの声が挙がっていた。先頭に付いて行くと決めていても、元々がイーヴンペース型の選手は慎重になる。
「トラックで速いと思って自重しました。デレバさんは前にいましたが、第2集団にもシモン(ルーマニア)さんや日本の強い選手がいて、そこで様子を見ようと思いました」
 小幡のように「行ける」と感じるのか、嶋原のように「やめておこう」と感じるのか。ちょっとした感覚で違った判断をすることになる。

 競技場外に出てからの通過タイムは、テレビ中継によると
 2km 6分46秒(3分27秒)
 3km 10分01秒(3分15秒)
 4km 13分28秒(3分27秒)
 となる。厳密に正しいタイムではないだろうが、2km以降で急激にペースアップしていたとすれば、ペースが落ちたと思って追っていた選手には、追いつきにくい展開だったはずだ。

 5kmで先頭集団との差は約30秒。5.3kmで川越監督が集団に追いつくように指示を出したが、嶋原のペースは17分14秒、17分18秒と上がらない。共同会見では「監督からデレバまで行くように指示がありましたが、デレバさんと2人で行くのはちょっと恐れ多いというか…」という言い方をしていた。だが、5km手前で「ピピっと脚に来ていた」と、嶋原はレース後に川越監督に打ち明けている。「それが、追いつけなかった理由じゃありません」と嶋原は言うのだが。
 13kmから集団の前に出て、15km過ぎで第2集団を抜け出したが、実際のペースはデレバや先頭集団の方が速かった。中間点では先頭と2分05秒、デレバとも49秒の差がついていた。25km以降は小幡との差者詰めていったし、35km以降はデレバさえも上回るペースで走ったが、3位に上がるのにとどまった。

「満足度は半分です。前半を自重しすぎてしまいました。(途中で)焦るようなことはありませんでしたが、反省しながら走っていました」
 最初のトラックだけペースが異常に速かったこと、軽かったとはいえ5km手前で「ピリっと」来たこと、前にいたのが日本人集団ではなくデレバだったこと。個々には小さなことでも、それらの要素がちょっとずつからみあって、嶋原は先頭集団につかなかった。小幡のようにハイペースの先頭集団に付いていった経験があれば、違った展開もできたのかもしれない。

 04年の東京では日本人トップを取ったが、今回は小幡の好走もあって日本人間でも2位にとどまった。前半で差が大きくなりすぎた場合、前の選手が頑張れば競り合う展開に持ち込めない。では、今後は嶋原も、前半から思いきって突っ込む走りに変えるのだろうか。その点について川越監督は、次のように話した。
「その選手の長所を伸ばしていくやり方を考えています。パターンとしては(今と同じ)イーヴン型ですが、全体にレベルを少しずつ上げていくことで、ハイペースにも対応できるようになるのが理想です。16分40秒で入っても、後半も粘る走りができるようになれると思います」

 04年の東京では上手く行って日本人トップ。その時点での力を出し切った。元々、中距離をやっていたことや、マラソンへの取り組み方などを評価して「理想の選手」と川越監督は言った。記録的にも2時間20分に近づいていける選手だと。
 当時より力は明らかに上がっていることを考えたら、今回はもう少し積極的な走りができた。それでも、「評価は変わっていない」と川越監督はいう。2時間26分台が3回続いているが、一気に記録を伸ばす可能性があるということだろう。


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