2006/3/11 名古屋国際女子マラソン
前日会見

「2月の中国合宿中に脚を痛めて、1週間で帰国しました」(渋井)
Q.<代表質問>この大会に向けいつから、どこで、どのような練習をしてきましたか。
渋井 1月に2週間ほど中国で合宿して、2月にもう一度行きましたが、脚を痛めて1週間ほどで帰ってきました。あとは町田の寮で、ずっと練習していました。
弘山 丸亀ハーフに2月5日に出ましたが、その前は奄美大島で合宿をしていました。丸亀の後も奄美で5日間ほど合宿して、その後3週間ほど昆明で調整をしました。3月5日までです。最初は走り込み中心で、距離走を何本かやりました。昆明に入った頃は体調が悪かったのですが、だんだん良くなってきました。
大南博 ボルダーで12月14日から3月2日まで合宿しました。今まで以上に走り込み中心の練習をしてきました。
橋本 11月から主に千葉で練習をしてきましたが、11〜12月に10日間、2月に3週間、昆明でトレーニングをしてきました。
イワノワ 当初はロシア南部の高地トレーニング場所であるスラボーツクで練習を始めましたが、雪と寒さで難しくなり、黒海沿岸のソチに移りました。トレーニング自体は順調に進みました。

「名古屋ではいつも中盤で離されているので、今回は後半で勝負をしたい」(大南博)
Q.<代表質問>これまでに名古屋を走った回数と、今回がいつ以来になるのか、過去のレースの印象、過去の経験を今回どう生かしたいのか、をお話し願います。
渋井 名古屋には去年出て今回が2回目ですが、去年は全部が辛くて、辛いだけの名古屋というイメージでした。今年は、いいイメージで走りたいと思っています。
弘山 91年と98年に出て、今回で3回目です。91年は大学の卒業記念として出て、40km過ぎてお腹が空いてフラフラになって、マラソンは大変だな、と思いました。98年はトレーニングは順調にできず出場するか迷いました。それでも2時間30分を切れて、きちんと練習をすればマラソンも走れる手応えを得られました。名古屋は、いろんな意味で厳しさを経験してきました。それを生かして、明日はきちんと走りたいと思います。
大南博 99年から2002年まで4年連続で出場して、今回は4年ぶり5回目になります。過去3回は中盤で離されて後半は1人になる展開でした。今回は後半に勝負をできる展開にしたいと思います。
橋本 今回が4回目になります。実業団に入って初めてのマラソンが名古屋で、国内では名古屋以外は走っていません。成長過程で、学ばせてもらうことの多い大会です。天候面では風の印象が強い大会ですね。名古屋といえば風。おかげで、風に強くなったと思います。
イワノワ 名古屋は2回目です。1回目は97年で10位。2時間32分台でした。日本の他のマラソンと同じように、名古屋もとてもよく運営されていて、気持ちのいい大会です。競技場もきれいですし。ただ、競技場を出たところの路面が慣れないものです。

「スローに走り始め、後半で追い上げたい」(イワノワ)
Q.<代表質問>順位、タイム、設定ペースなど、目標としているものをお答えください。
渋井 勝ち、に行きます。
弘山 ペースが速くなると聞いているので、それに上手く、リズムよく乗って走りたい。自己記録を更新できるチャンスだと思います。自己新記録と優勝を目指して走りたい。
大南博 特に設定タイムやペースはありません。明日は勝負を意識したレースをしたいと思います。
橋本 過去の名古屋よりもいい順位でフィニッシュしたいと思っています。設定タイムなどはまだ、考えていません。
イワノワ 他の皆さんと同じように、良い記録を出したいと思っています。2時間30分を切るのが目標です。ただ、レースの進め方は、皆さんは速くなるのかもしれませんが、私はスローに走り始め、後半で追い上げたい。

「年齢のことは気にしていません。いつも、若いつもりでいます」(弘山)
Q.弘山さんとイワノワさんに。トップ選手としてこれだけ長く走り続けられるコツは何でしょうか。
弘山 特に年齢のことは気にしていません。いつも、若いつもりでいます。(コツではないが)長くやってきて一番思うことは、若い頃にしっかりとした基礎づくりができていたことです。そして普段に履くシューズにも気をつけたりして、故障をしないように心掛けています。食事にしてもそうです。気持ちの面では、1つのレースが終わったら、なかなか次の目標を持ちにくいものですが、私は記録を伸ばしたいし、マラソンで優勝したい気持ちもすぐに持つようになります。(夫の)サポートが一番大きいですね。
イワノワ 実は私も、自分が36歳だとは感じていません。パスポートを開いたときなどに、やっと自分の年齢に気づくことがしばしばあります。それはたぶん、マラソンを始めたのが1993年からと遅いから。それまでは競歩をやっていました。92年のバルセロナ五輪以降にマラソンに転向しました。そして私も夫がコーチで、家族に支えられているからだと思います。
Q.弘山選手は日本の長距離界でも名選手だと思いますが、9回のマラソンで2位が3回もあります。優勝したい気持ちというのは、どのくらい大きいのでしょうか。
弘山 現役を終わるまでには優勝したいと思っています。いつかは優勝したいと、いつも思ってトレーニングをしています。

「痛めたのは右の太腿の付け根。30kmをずらしただけで支障はありません」(渋井)
Q.渋井さんが中国で痛めたというのは、脚のどこですか。そして、シナリオの狂いはどの程度ありますか? 本当ならここまでやりたかった練習ができなかったとか。
渋井 右の太腿の付け根です。30kmを入れないといけない日に走れず、日にちがズレてしまいましたが、日本に帰ってこなすことができ、それほど支障は出ませんでした。2月中旬までは順調に練習ができていたので、故障をしてだいぶ気持ちが下がってやばかったですけど、治ったんで、ハイ、大丈夫です。

「マラソン練習中のスピード練習も、これまでより速く走れました」(大南博)
Q.大南さんはこの1年間で世界選手権に出たり、トラックをきちんとやってこられましたが、その成果が今回、どのくらいプラスになっていますか。また、駅伝がないチームになって、マラソンのトレーニングはこれまでとここが違う、という点がありますか。
大南博 1万mで世界選手権に出て、秋には東アジア大会も走りました。1万mの練習をすることで、今までは自分にないと思っていたスピードが、練習ですごく出てきて、自分にもスピードがあると実感できました。そして駅伝がなかったことで、12月からマラソン練習に集中できました。マラソン練習中のスピード練習は、今まで以上に多かったというころはありませんが、ときどき入れたスピード練習では、いつもよりも速く走れました。1年間トラックに取り組んだことがプラスになっていると思います。
Q.橋本さんは股関節を痛めて1年ぶりのマラソンになりますが、名古屋を選んだ経緯は?
橋本 回復に時間がかかり、なかなか次のマラソンの目処がたちませんでした。11月くらいにやっと目処がたってきました。自分の気持ちとしては駅伝になんとか出たかったのですが、体はは間に合わず、結果的に名古屋のマラソンでとなりました。それに名古屋には、去年置いてきてしまったもの、果たせなかったものがあります。自然と名古屋に、と考えるようになりました。


女子マラソン2005-06
寺田的陸上競技WEBトップ