2006/10/7 のじぎく国体2日目
上野10秒28、高校時代に3連勝の国体で復活!
高2以来6年ぶりの自己新&B標準突破
「大学の選択が間違っていたとは思いません」
社会人1年目の上野政英(石川・白山AC)が、準決勝3組で末續慎吾(ミズノ)に迫る快走。10秒28(+1.5)の自己新をマークした。これまでの記録は高校2年時の10秒43(−0.5)。国体は高校1年時に少年Bで、2・3年時に少年Aで勝って3連勝した大会。自己記録も2年時の国体のとき。東海大入学後は、これという成績をまったく残せなかっただけに、今回の大幅自己新は、上野にとっても嬉しいものだったにちがいない。だが、レース直後の上野は、こちらが予想したよりも落ち着いた口調で話し始めた。
「今日はすごく調子が良かったので、10秒2台は出ると思っていました。大学を卒業して節制もして、体重を77kgから70kgに落としました。大学は故障の繰り返しで、3・4年時は試合にもほとんど出ていません。2年目の終わりに腰の筋肉を断裂して入院しましたし、3年の春に右のハムストリングをやって、そこがクセになってしまった。4年の最初は、アメリカ遠征などもして、行ける感触はあったのですが。でも、大学の選択が間違っていたとは思いません。練習は今、高校の先生に見てもらったりしていますが、高野先生の理論を取り入れてやっています。お世話になった方たちに恩返しをしたい。地道に頑張って、信頼を取り戻せる走りをしていきたい。北京五輪を目標にしていけば、記録も付いてくるものと思っています」
しかし、決勝ではスタート直後に脱力し、残りはジョッグをしてフィニッシュ(31秒12)。スタート1歩目で左ふくらはぎ、2歩目で右ふくらはぎ、さらには左右の胸の筋肉がケイレンした。レース前から兆候は感じていたというから、準決勝でレベルの高い走りをしたことが、過去にない負担をかけたのだろう。
「出場するかどうか迷いましたが、1点を取るつもりで走りました」
大学で完全に潰れていた上野を、快く受け容れてくれた地元のために、走らずにはいられなかったのだろう。
インタビュールームにやって来た東海大・高野進短距離コーチは、大学時代の上野と今の上野について、次のようにコメントした。
「ケガなく行けていれば、このくらいの記録は在学中に出ていたはず。大学では色々と与えられるものを消化しきれなかった。選手にはそれぞれ高校時代までやってきた走りがありますが、基本は全員に教えます。それを消化するときにケガをしてしまい、周りがどんどん日本代表になるし、インカレや対校戦も多いから追い込まないといけないことも多い。それで焦りが出てしまった。地元に帰ることで、高校時代のいい状態を作った環境で、体をコントロールするペースをつかんだのでしょう。大学では詰め込みすぎていたものを、1人で落ち着いて消化したことがよかったのでは」
最後はケイレンという形で課題が残ったが、4年間の停滞から一気に抜け出てきたのは、誰の目にも明らかである。見つめる先は再度、世界になった。
「行きますよ、僕は」
ゲンの良い国体で、上野の表情に生気が戻った。
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