2005/7/12 世界選手権追加代表発表
沢野、大収穫だったヨーロッパ遠征を振り返る

ヨーロッパ遠征の位置づけ
「汚名返上のための遠征」

「ヨーロッパのグランプリを転戦するのは初めてでした。当初は日本選手権で代表権を取って、世界選手権までの間で、気持ちよく遠征をしようと思っていました。世界のメンバーと対等に戦う感触を確かめるために行きたいと思っていたんです。それが状況が変わって、代表権を得るための戦い、汚名返上のため、しっかり結果を出すための遠征になりました」

3大会を振り返って
「海外で初めて、練習でできている跳躍ができた」

「1戦目のプラハは風やオールウェザーの条件が悪かったのですが、そのなかで5m62をを跳べて、すごくホッとしました。3番で表彰台にも上がることができ、気持ち的に楽になりました。パドワは5m65(優勝者と同記録の2位)でしたが、その時点で技術的にズレた感覚がありました。それの修正をしようと試みたのが3戦目のローマで、そこできれいな跳躍ができました。練習でできている跳躍を、海外でもできたのはローマが初めてです。顔触れも決勝と同じメンバーで、その中で優勝争いをして2番になれたのは、自信になりました。沢野大地がこれだけ力があると、そういった選手たちにアピールできたことも収穫でした」

ローマの戦い
「ゴールデンリーグで勝っていいのか?」

「僕が5m71を1回目で跳んで、他の全員が2回目も落としたんです。そこで、(その高さで決着がつくかどうかはともかく)もしかしたら勝てると思い始めました。でも、ゴールデンリーグで自分が勝っていいのか、とも思って。30分くらい待ち時間があったのですが、“勝てる、勝てる”と自分に言い聞かせるのが大変でした。(ケイレンは)ちょっとピクついていましたが、これまでほどじゃありませんでした。上手く対応できたと思います」

ローマで技術を修正できた経緯
「自分の感覚だけで修正できたのが収穫」
「修正したのは走り方と突っ込みのタイミングです。パドワで“まずいな”という感覚があって、試合の後にTBSの方にビデオを見せてもらいました。実際に絵として見てみたら、自分の感覚と確認できて、どう変えていけばいいのかがわかりました。ローマの前日までの練習で主に走り方ですが、意識の持って行き方なども含めて修正したんです。海外で客観的に見て指摘してくれる人がいませんから、自分の感覚だけで修正していきました。それを、自分1人でできたのが大きいですね。突っ込みの遅さを、たぶんこうだろうと自分で判断してやってみて、実際に間違っていませんでした。踏み切り位置などは、ブラッド(・ウォーカー=米国)が見てくれたりしましたが、自分でも踵に炭マグを付けて踏み切り位置をチェックしたりしていました」

世界選手権の戦い方
「楽に臨むのがいいのでは」
「(メダルとか入賞でなく)まずは精一杯頑張ることが目標です。ローマのような戦いをすることですね。予選から中1日で決勝ですが、予選をいかに楽に跳べるか。中1日ということも、ヨーロッパを回っていてなんとなく感じたのですが、何かしないといけない、こうしないといけない、と考えるのはよくないんじゃないかと。mustとかshouldとかhave toとかでなく、もうちょっと楽に臨むのがいいのではと感じました。ローマも、着いたら『2日間はグラウンドが使えないよ』と言われて、『あーそうかぁ』みたいなノリでしたから」


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