2003/7/4 日本インカレ
男子400 m 決勝編
初出場・北岡が逆転優勝
世界選手権代表・山口の2連覇を阻止
陸上競技マガジンに日本インカレ初日全成績
予選編
決勝は5レーンの佐藤が棄権。3レーンの堀籠がリードしてホームストレートに入ってきた(と思う。正面から見ていたのでちょっと自信がない)。4レーンの山口と7レーンの北岡、6レーンの冨樫と東海大の青いユニフォームが追い上げる。最後は山口と北岡の争いとなったが、北岡が0.05秒先着(46秒54)し、後輩の連覇を許さなかった。日本インカレ個人種目では初出場で、初優勝を達成した(リレーでは昨年の4×400 mR1走として日本インカレに優勝している)。
「山口をかわしたのはわかりました。なんとなく、ですけど、勝ったかなと。ユニバーシアードに行きたかったので、頑張りました。(佐藤の棄権は)嬉しいような、でも、走ってみたかったような気持ちです」
北岡は春先、右大腿の肉離れで出遅れた。4月頭の日大・東海大戦で富樫の45秒78を筆頭に、チームメイトが好記録を出したときは焦ったという。5月中旬の関東インカレは代表3人に入れなかった。しかし、6月の日本選手権で46秒12の自己新を記録して5位。4位で世界選手権代表となった山口とは0.02秒差。4×400 mRは追加代表は選ばない陸連の方針のため、ユニバーシアードに目標を切り換えた。
その日本選手権が実は、東海大の日本インカレ選考会に指定されていた。レベルが上の大会を学内選考会に指定できてしまうところが、東海大のすごさの裏返しである。5人が出場し、4位の山口と5位の北岡、予選3組3位(46秒39)の富樫が代表となり、予選3組5位の中澤裕二(3年)と6位の西埜翼(同)が落ちた。関東インカレ2位の選手が、メンバーから漏れてしまったのである。
この北岡、先ほど4×400 mRで昨年の日本インカレに優勝していると紹介したが、全国制覇はそれが2度目。99年北上インターハイの4×100 mRを、宇治山田商高の4走として制した。100 mでも7位入賞。100 m10秒56、200 m21秒28と、バリバリのショートスプリンターだった。
ところが、東海大に入学して1カ月後の関東インカレでは4×400 mRの1走に抜擢された。「僕としては4×100 mRを走る気が満々だったのですが、高野先生が…」と言うのだから、抜擢というよりも高野進コーチに“走らされた”……ではなくて、適性を“テストさせられた”と言った方が正しいのかもしれない。そのときの予選で、1走で47秒0のラップで走ったのだから、ロングスプリントへの適性は大ありだった。当時の東海大は4×100 mRよりも4×400 mRの方が手薄で「インカレに出やすかった」(北岡)という部分があったのも、確かであるが。
こうしてロングスプリントの道に入った北岡だったが、本人は「100・200上がりだから」と、スタミナ面に苦手意識があった。2年時の関東インカレは2本目の400 m決勝で脚がつって6位、3年時も4月にケガがあって関東インカレは4位。
「練習でも全部は付いていけませんが、どこか1本だけでも頑張ろうとしています」
今回やっと、1日2本をきっちりと走り、個人タイトルを手にした。
4年生ということで進路が気になるが「教職の単位を取るために、来年もう1年、東海大に残ります」とのこと。来年といえば、オリンピックイヤー。来年の戦績次第では、進路選択が変わっていく可能性もある。
持ち記録がトップの富樫は4位。日本選手権に続いて春先よりも調子を落とした結果となってしまった。ユニバーシアードの4×400 mR代表に選ばれるかどうかは、他種目との兼ね合い次第だろう。予選で気がついた腕振りについて質問することができたが、詳しくは機会を改めて。
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