2003/1/3 箱根駅伝
神奈川大、7年ぶりの予選落ち
2区と10区、ブレーキの原因は?
神奈川大が7年ぶりにシード権を失った。2区と9区、2つの区間の大ブレーキが痛かった。まずは、レースを振り返ってみよう。
1区・下里和義(3年)は区間2位と上々の出だし。しかし、2区の原田恵章(4年)が区間19位。最下位は免れたがタイム差は6秒で、“ほとんど区間最下位”という走り。18位にまで後退してしまった。しかし、3区以降の選手は踏ん張った。
3区の吉村尚悟(3年)こそ故障上がりで区間11位、チーム順位を16位に上げるのにとどまったが、4区・藤本聖(3年)が区間3位で11位と5人抜きを見せると、5区の山登り、三宅達也(2年)で8位に順位を上げて往路を終えた。
復路の出だしもよかった。6区の山下り、浅尾英(4年)が区間2位の好走で7位に、7区・内野雅貴(2年)が6位に進出。8区の柏倉渉(2年)は9位に順位を下げてしまったが、9区・島田健一郎(3年)が6位に戻し、11位の東洋大とは2分24秒差となった時点では安全圏と思われた。
ところが、10区の町野英也(4年)がまさかの区間最下位。運が悪いことに、日体大、中央学大、東洋大、東海大というボーダーラインにいたチームのアンカーが、揃って区間上位の走りを見せた。復路スタート時の繰り上げスタートにひっかかっていないチームばかりだっただけに、見た目の順位が実際の順位。町野は区間17位の順大・春田正臣にも抜かれ、大手町のフィニッシュでは11位に落ちていた。
2区の原田は出雲、全日本と最長区間で確実に区間上位の走りを見せていただけに、にわかには信じられない結果。「何を言っても言い訳になりますから」と、自身は多くを語らない。しかし、大後栄治監督はある程度のブレーキは覚悟していた。原田は前回も2区を走り1時間9分14秒だったにもかかわらず、1時間10〜11分台を予想していたと言うのだ(実際の記録は1時間11分51秒)。
「この1年間、ごまかしながらやってきたんです。練習ができないなりにも、合わせるところは合わせてこられたのですが…。やっぱり、大舞台では通用しなかったということ。原田なら、まとめられるかとも思ったんですが…」
12月下旬の公開練習時には、原田自身「バランスが崩れている」と話していた。
「疲労から来るバランスの悪さだったんです。もうちょっと上手く、疲労を取っておけばよかったのですが、最後に、みんなに合わせた練習をしてしまいました」(大後監督)
10区の町野は「体調は良かったし、普通に入ったつもりだった」というが、1kmの入りが3分16〜17秒と遅かった。後ろから来られたときに、切り換えることもできなかった。その原因は「わからないです」と、町野は首を傾(かし)げるばかり。
大後監督は「気持ちが“このままでいいや”と思ってしまったら、その時点でダメ。他の大学は、シード権を狙ってガンガン来ます。その差が出てしまった。前を狙うつもりで、やっとキープできるんです。それしか理由が見つかりません」と、まさかの逆転劇を分析する。ということは、ボーダーラインにいた大学が区間上位で走ったのは、偶然ではなかった、ということになる。つまり神奈川大は、敗れるべくして敗れたのである。
記録には表れないが、当初は1区を走る予定だった竜田美幸が、区間エントリー直前で走れなくなってしまったことも誤算だっただろう。3区の予定だった下里を1区に回すことになったのはともかく、10人目の選手の力が落ちることになってしまった。そのあたりがメンタル面に、何も影響を及ぼさなかったとは言い切れないのではないか。
敗因を分析すると“敗れるべくして”となってしまうが、神奈川大のシード落ちの背景には、各大学の力が異常に接近していた点が挙げられる。6位の東洋大から11位の神奈川大まで、僅か1分01秒の差しかない大混戦。その象徴として、何かが起こる必要があった。それがたまたま、神奈川大という90年代後半に2連勝したチームのシード落ちだったのだろう。
7年ぶりにシード落ちを喫した神奈川大。だが、7年前はその翌年、予選会から勝ち上がり、一気に優勝している。現3年生に有望選手が多く、来年は「チームとして完成年度」(大後監督)と期待されているのだ。次期キャプテンの下里は、落ち込んでいなかった。
「振り返ってもしょうがない。予選会は“場慣れ”の大会と考えます。本番でどう走るかが重要ですから、それを考えたら予選会は経験の場が1つ増えた、と受け取ればいいんじゃないでしょうか」
不幸中の幸いは、市川大輔コーチが前回の予選落ちと優勝の2年間を、選手として(ともに2区)経験していること。閉会式前に「やりますよ」と、とびっきり明るい表情を見せてくれた。
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