2003/1/2 箱根駅伝往路
ごぼう抜き新記録の15人 中川の芦の湖畔コメント
「尾田君を引き離さないといけない、ということばかり考えていました」
「クインテットが抜けて責任感が出ました」

中川拓郎(順大4年)
区間4位・1時間08分19秒
Q.1区が19位というのは、まさかと思った?
中川 いえ。1年生だったので、どんな状況になっても対応しようと考えていました。(中継時は)混戦でしたから、19位でもらったとはわからず、1人ずつ抜いていこうと思いました。
Q.尾田(賢典・関東学院大)君がちょうど来てくれた?
中川 尾田君が早いうちに追いついてくれて、いいペースで一緒に行くことができました。
Q.15人抜いた感触は?
中川 走り終わって記者の方が大勢来られて、なんで自分のところに来るのかな、区間賞取ったのかな…でも、そんなことないよな、と思ったくらいです。15人を抜いたってことは、逆に1区の走りがよくなかったということ。1年生だから大目に見ますが、来年はきっちり走ってもらわないといけません。
Q.何人抜いた、と数えてはいなかった?
中川 大きい集団がいて、たくさん抜いているなとは思いましたが、尾田君とずっと一緒だったので、尾田君を引き離さないといけない、ということばかり考えていました。
Q.尾田君を引き離しただけでなく、清水君も抜くことができた。
中川 一番調子がいいのが清水君だと思っていましたから、抜けるとは思っていませんでした。調子が悪かったのでしょう。(**の地点で)この距離でこの差なら、抜けると思いました。3区につなぐ前に少しでも前に出ておこうと。

Q.高校ではケガをしたとか?
中川 高2の県駅伝の前にバスに乗って遠征に行ったら、対向車線を越えて車がぶつかってきて…。そのケガは治ったんですが、その後無理してやったら県駅伝でズボってしまって…。そのときに1度、陸上をやめています。2年と3年の間の3カ月間くらい。中学の先生や高校の監督が説得してくれて、助けてもらいました。それがなかったら、今日の走りもなかったわけです。
Q.大学に入って一番変わったのは?
中川 2年生の箱根駅伝がきっかけでした。自分は適当にやっていただけなのに総合優勝してしまい、罪悪感がありました。残りの2年間で取り返そうと思いました。入学当初は目標を見失っていたというか、誘惑とかいっぱいあって…。陸上競技に集中できませんでした。
Q.昨年までのクインテットが抜けたことが大きい?
中川 自分がやらないといけない、4年生がやらないといけない、という責任感が出ました。4年生の行動は、後輩に影響しますから。口でどうこう言うタイプではありませんから、行動で示していくしかありません。この1年間、それを考えていました。
Q.具体的に何を?
中川 練習でも生活でも、何がというものはないんですが、大きく変わったのは精神面です。ずっと、このチームの中心なんだと思ってやってきました。

Q.2区はいつ決まった?
中川 クインテットが卒業した1年前から、自分の中ではずっと意識していました。実際に決まったのは12月に入ってからです。
Q.今季は出雲、伊勢と1区でしたが。
中川 1区には向いていないと、ずっと思っていました。ラストはない方ですし。自分で最初から行く、普通の区間を走りたいと思っていました。
Q.去年の岩水嘉孝選手と同じ練習ができていた?
中川 それはないです。
Q.チームとして出雲、伊勢でよくなかったのを、どう立て直した?
中川 伊勢でも手応えがなかったわけではないんです。みんなで力を出せば、なんとかなると考えました。
Q.レース前の目標は?
中川 設定タイムは1時間08分40秒でした。個人よりもチームでいい順位を出したいと考えていたので、自分でいい流れを作ってやろうと、それだけを考えていました。


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