2001/10/17 国体4日目
成年女子800 m上位トリオの三者三様と共通点
そこに垣間見えた国体のよさ


 最初のトラック決勝種目は成年女子800 m。日本記録保持者の西村美樹(東京・東学大)が引っ張る今年のパターンだが、2周目に入ると明らかに脚勢が衰えた。バックストレートに入ると、地元の声援を背に食い下がっていた岡本久美子(宮城・利府高教)が後退。先頭争いは、ラスト230m付近で藤原夕規子(京都・グローバリー)がスパートして、後続を見る間に引き離した。先頭走者の200 m毎の通過&スプリットタイムは以下の通り。
200 m   29秒6 29秒6
400 m 1分01秒3 32秒3
600 m 1分33秒3 32秒0
800 m 2分04秒64 31秒4
 藤原は2位に2秒18差をつけていることから、藤原だけが最後200 mをペースアップできたことになる。見た目には圧勝だった。優勝記録は全日本実業団でマークした2分04秒87を上回る2分04秒64の自己新記録。0.23秒の更新だが、新井文子と徳田由美子を抜いて日本歴代6位に進出した(新井と徳田は、ともにジュニア時代に自己ベストを残した選手である。新井はその後、長く活躍を続けたが)。
 5月に日本新を樹立した西村、6月の日本選手権を制した松島朋子(東海銀行)の2人が、秋に入ってやや息切れ気味。それとは反対に、日本選手権3位の藤原がスーパー陸上の1500m自己新、全日本実業団の800 m(優勝)&1500m(3位)自己新、そして今大会と絶好調だ。
 奈良産大からグローバリーに入社して1年目。体格に恵まれ、俗に言う素質の部分では高校・学生時代から注目されていた選手。しかし、高1で2分09秒70をマークしながら、高2&高3では2分11秒台にとどまり、大学時代も(1年時から)2分08秒99、2分09秒98、2分08秒50と推移して、4年時の昨年、やっと2分07秒16まできた。着実な伸びではあるが、ややのんびりした歩みでもある。
 過去何年にもわたって積み上げてきたものが、実業団の練習で一気に開花したことは想像に難くない。

 2位には400 mH日本記録(56秒83)保持者の吉田真希子(福島大TC)が2分06秒82の自己新で入った。今季は世界選手権出場を400 mHと4×400 mRで狙っていたため、練習ではスピード重視の内容になっていた(と、川本和久監督が5月に長居競技場で話していた)が、昨年まではアジア選手権や世界室内選手権に800 mで出場していた選手だ。
 世界選手権から帰国後、東北選手権、スーパー陸上(53秒23)と400 mで自己新を連発し、全日本実業団では400 mと400 mHの2冠。400 mHのタイムは昨年までの日本記録を上回る57秒26だった。そして今国体では400 mHに57秒49で優勝して、800 mでも自己新記録。エドモントンは4×400 mRの予選1本しか走らなかったとはいえ、帰国後のレースのこなし方は、疲れを感じていないかのようである。
 ヒントは7月の日本学生選手権にあった。すでに4×400 mRで代表権を得ていた吉田は、400 mHでB標準(56秒80)を切れば個人種目でも世界選手権にエントリーが可能となった。だが、初日の400 m、2日目の400 mHと2種目に出場。“目先の世界選手権”にとらわれず、何年か先を見越しての種目選択&出場だった(と川本監督が北上競技場で話していた。学生種目別選手権の記事参照)。2種目で自己新が出たとはいえ、結果を求めるというよりも、将来を考えての秋の試合&種目選択だったように感じられる。

 3位には400 mH元日本記録保持者の山形依希子(福井・嶺南東養護学校教)が、2分07秒64で入った。山形が400 mHで日本記録(57秒65=現在歴代3位)をマークしたのは高3だった92年の日本選手権。
 その後、大学の4年間58秒台が続き、社会人1年目に59秒台をマークするが、その翌年から60秒突破がなく、昨年の国体で3年ぶりの59秒台。その一方、大学4年時から800 mにも出場するようになり、大4で2分09秒09、翌年は2分12秒台だったが、98年、99年と2分8秒台で推移し、昨年の国体で2分06秒54まで記録を伸ばしてきた。
 手元の資料でわかる範囲での話になるが、昨年も今年も、国体前は目立った記録を出していない。400 mHに関して言えば、ともに8月下旬の北陸選手権で脚試しをし、10月の国体に臨むパターン。今年のプログラムを見ても、800 mの資格記録は2分13秒27(ちなみに吉田は空欄)。完全に国体シフトの選手と言っていい。かつて国体には教員種目があったことからもわかるように、教員をしながら競技をする選手にとって国体は目標としやすい大会だ。
 ジュニア時代に日本新をマークした選手が、その種目でずっと記録を更新できないのは、ちょっと前の時代には散見された。一番苦しいのは、当の選手自身であることは疑い得ない。就職して競技一筋といかなくなれば、記録が落ち込むのもやむをえない。だが、入賞して地元の得点源となれる国体ならばと、頑張ることができる。そういった選手が、かつての専門とは違う種目で記録を伸ばし、日本のトップレベルにまで躍進してしまう。国体というのは、不思議な効用があり、魅力ある大会だと思う。

 92年のソウル世界ジュニア選手権4×400 mRで、山形3走、柿沼和恵(ミズノ)4走で、日本ジュニアチームは3分34秒83の日本新をマークした。柿沼も山形と同学年の選手だ。そして今年、東アジア大会の日本チームは柿沼2走、吉田4走で日本記録を更新した。9年ぶりに、ジュニアのチームから大人のチームに、日本記録が移ったのだった。
 同じ400 mHで高校時代に日本新を出した山形と、高校時代の無名選手から徐々に力をつけ、25歳で日本人初の56秒台をマークした吉田。対照的な成長過程だが、実際の年齢は2学年しか違わない。名前の最後の2文字が“希子”と一緒の点も、かねてから気になっていた。漢字こそ違うが、藤原も最後は“きこ”で発音は3人とも一緒。これを偶然で片づけてはいけないと思い、こうして記事にした次第。