2001/7/4
ローザンヌGP寺田的観戦記 その2
スピード感ある車椅子レースと、オリンピック北京招致への反対活動
そして日本選手登場


 男子車椅子レースを初めて間近で見た。これまで、いくつかの大会をテレビを通じ、また東京シティハーフマラソンなどで直接見たことはあった。だが、テレビや、フィニッシュライン付近だけではそのスピード感がわかっていなかったようだ。
 この日、車椅子レース1500mがスタートするやいなや、そのスピードに刮目させられた。ローマで見たエルゲルージ(1マイル3分44秒95)より明らかに速い。ただ、インドア競技のように、カーブで抜くのはより難しいと感じた。だが、この日のレースでは最後の直線で2番手の選手が先頭選手を逆転。3分10秒台のフィニッシュタイムだった。つまり、100 m平均12秒7のスピード。800 mよりも速い速度だったのである。
 女子400 mHはビドゥワネ(モロッコ)が54秒02で優勝。世界記録には1.41秒の隔たりがあるが、最後の強さと力強い(ように見える)腕振りは健在で、世界選手権でも優勝候補の1人。
 女子400 mHのあとに「スペシャル・セレモニー」が行われた。国際陸連のラミン・ディアック氏はもちろん、IOCのサマランチ会長が紹介される。IOCの本部が置かれる“オリンピック・キャピトル”のローザンヌだからこその顔ぶれだろう。貴賓席、VIPルームのない競技場なので、ごく普通の座席(その区画は一般客は入れなかったと思う)にこれらの面々が座っているのが、新鮮だった。
 そのセレモニーの直後、寺田の右斜め前の席で2人の若者がどこか(たぶんフランス語を話していた)の記者と何事か話した直後、ミックスドゾーンへの通路へ向かって走り出した。たぶん、プレスのIDを持っていたのだろう。ところがそのまま、インフィールドに突入すると、フィールドの中央で横断幕を広げたのだ。
「No to the Olympics in Beijing!」の文字が大きく記され、その下には小さく「CHINA : GOLD MEDAL FOR HUMAN RIGHTS VIOLATIONS」の文字。要するに、人権を軽視する中国でオリンピックを開催するな、というアピールだ。ちょっと間があってから、大会役員らしき人物何人かがフィールドから追い出した。
 面白いのは、追い出した人物は、日本でよく見られる制服の警備員ではなかったこと。スーツ姿の年輩の男性だった。そういえば、大会が始まってしばらくたったときも、看板の前に置いてあったカメラマンの荷物を蹴っ飛ばしてどかしていたのも、立派なスーツを着た、見るからに大会幹部役員とおぼしき人物だった。

 ハプニングのあと、いよいよ日本選手が登場だ。女子3000mに福士加代子(ワコール)、男子走幅跳に渡辺大輔、そして男子400 mHAに為末大と、続けざまに出場した。
 女子3000mの福士は、先頭に果敢についた。昨年の世界ジュニア5000m4位の実績の持ち主だが、1000mが2分48秒と発表されている先頭集団につくのは、ちょっと無謀だった。700mで集団から後れ始め、あとはずるずる離される一方で、最下位を独走してしまった。福士の通過タイムは以下の通り。
400m 1.08.5 68.5
800m 2.18.6 70.1
1000m 2.55.6 37.0
1200m 3.32.3 36.7
1400m 4.10.9 38.6
1600m 4.50.0 39.1
1800m 5.28.7 38.7
2000m 6.06.3 37.6
2200m 6.44.9 38.6
2400m 7.23.0 38.1
2600m 8.01.4 38.4
2800m 8.38.6 37.2
3000m 9.15.25 36.7
 だが、先頭がそのペースで入ることは前述の通り、事前に発表されていたことだし、優勝タイムが8分30〜40秒となることは明らかなレース。そこにあえて参加したのだから、明確な意図があったはずだ。
「7日にアイルランドで5000mに出場するので、その刺激になればと考え、最初からつけるところまで付いていこうと考えていました。世界ジュニアは5000mでスローペースでしたし、グランプリは全然違いますね。(こんな大会は)化け物ですよ、すごいですねー。アップ場や招集なんか、全然わからなかったので大変でした。こういったすごい外国選手と一緒の大会に出られるのは、素晴らしいことだしちょっと緊張もしましたが、誰も知らないからいいやと(開き直りました)。8分台とかは考えていませんでした。(グランプリなど海外の試合を)経験をして、その上で自己新が出ればいいかなと。1000mの通過は自己新です。これまで、練習中ですが2分58秒でしたから」
 福士の3000mのベストは9分14秒71。これだけのメンバーのなかで、あれだけのオーバーペースで自己記録に迫ったのである。彼女にとって有意義なレースだったはずだ。
 福士のコメントを聞いていたら400 mHのスタート時間に。あわてて記者席に戻って観戦。その模様は別途、記事にしたのでこちらをご覧ください。ゴール後、2位のディアガナとのツーショットの撮影に成功(といっても、為末選手がディアガナと仲良くなったらしく、声をかけてくれた)。
 その間、男子走幅跳もバックスタンド側で進行。渡辺大輔はファウル、ファウル、7m30(−0.3)で終了。1回目の試技を見られなかったので、あとで会った際に聞くと「1回目で脚を痛めてしまった」とのこと。不運はあったとのだが、99年世界選手権、2000年シドニー五輪も力を発揮できていない。そろそろ、海外でも結果を出したいところだ。きっと本人が一番、感じていることだと思う。
その3に続く