2001/1/9
「エデンの東」と榊枝
確か高校生の時だった。私は「エデンの東」が好きになった。確かにジェームズ・ディーンに似ていると言われる私だが、私が“ハマった”のは彼の主演した映画版ではなく、アメリカのテレビ局が制作した完全版である。スタインベックの原作は3部構成になっていて、映画化されたのは一番最後の部分だけなのだ。
主人公の兄弟(その片方がディーン)が、死んだと言われていた母親に再会する場面が映画にあったのを覚えているだろうか。彼らの母親と父親のドラマが、原作とテレビドラマの前半部分には描かれている。つまり、親の世代の若かった頃から、子供の青年期までという世代をまたがった物語で、いくつかの線(ストーリー)が両世代にわたってからみあっている。親子が同じような問題に直面したり、世代をまたがないと解決しないような問題が描かれる。どうやら私は、そんな物語が好だったようだ。
だから、今回の箱根駅伝に榊枝広光(順大4年)が出場すると聞いて、なにかそわそわする気持ちで注目していた。
榊枝は日大東北高時代、福島県内に小川博之(田村高、現国士大)と佐藤敦之(会津高、現早大)という2人の同学年のライバルがいた。中学時代にすでに全国優勝を経験している小川と佐藤。当時、榊枝はこの2人と並び称される力があった。
だが、ここで問題が1つあった。国体は1つの県から1種目1名しか出場できない。彼らが2年時に地元国体開催を控えた福島県は、どうしてもこの3人を有効に起用したかった。その結果、小川は1500m、佐藤は5000m、そして榊枝が3000mSCという棲み分けが自然となされていった。
その結果、榊枝は3000mSCでインターハイ・国体に優勝し、順大に進んでからもインカレの3000mSCで母校に貢献(最高で2位)してきた。だが、佐藤と小川が5000mや1万mで直接対決しているのに、榊枝はそれができなかった。小川は「佐藤君を意識することで頑張れた」と言っている。そんな榊枝にとって、1校10人出場できる箱根駅伝は同じ場に出る絶好の機会だった。しかし、3年間14人のメンバー入りしながら、1回も走っていない。20kmの距離がなかなか走りきれないのだ。中学では同級生でもあった佐藤は、毎年箱根駅伝を走り、去年の3月にはマラソンで学生最高記録を更新した。
今回、8区で箱根初出場を果たした榊枝は、どんな気持ちで箱根を走っていたのだろう。
だが、彼の頭の中は、いかに早くタスキをつなぐか、という気持ちが大きく占めていたはずだ。感傷にひたっている余裕はなかったかもしれない。ペースはなかなか上がらない。トップでタスキを受け、2位・中大との差は2分12秒、3位・駒大との差は2分47秒。9区に同期のエース・高橋謙介が控えているからには、彼にトップでタスキを渡せればそのまま勝てる。潰れる危険を冒して後ろを引き離す必要はない。
その結果、榊枝はゆったりしたペースに“ハマって”しまった。後半もペースが上げられず、駒大・武井拓麻に32秒差まで詰められてしまう。だが、トップで渡せただけで十分。タスキを渡すと榊枝は両こぶしを握りしめていた。
無事、優勝メンバーの一員に名を連ねた榊枝は、「こんな僕を使ってくれて……」というコメントを2〜3回している。榊枝は学生競技生活をまっとうした。
榊枝が初めて箱根を走ったこの日、佐藤は7区にエントリーされていたが、秋以降の不調から脱しきれず、結局、この日の朝のエントリー変更で、別の選手が出場した。小川はチームの先輩さえも叱咤しながらチーム力の向上に努力したが、国士大は4年間、1度も予選会を突破できなかった。今回出場できたのは榊枝ただ1人。
幸いなことに、彼らの競技人生は箱根駅伝がゴールではない。佐藤は中国電力、小川は日清食品、そして榊枝は日産自動車でさらに上の世界を目指す。10年を超える歳月のなかで、ある世代では身近な存在として争い、ある世代では違う立場でありながら相手を意識して気持ちを高める。そんな彼らの相剋が、再び見られるだろうか。