スポーツ・ヤァ!005号
箱根を走れなかったエース 小川博之
取材:10月23日

 10月21日、今年から昭和の森記念公園に場所を移して箱根駅伝予選会が行われた。6位までが正月の本大会に出場でき、大東文化大が予想通りトップ通過。国学院大、平成国際大の2校が初出場を決めて歓喜の声をあげる一方で、10位に終わった国士舘大主将の小川博之は、涙をこらえることができなかった。
 中学・高校で2度の全国優勝の経験がある小川は、大学でも3年時に関東インカレ5000b優勝と、学生長距離界を代表するランナーに成長した。同じ福島県出身の佐藤敦之(早大)とは、中学時代から好勝負を繰り広げてきたライバル関係にある。だが、こと箱根駅伝に関して言えば、佐藤が毎年好走しているのに対し、小川は一度も出場していなかった。佐藤と対等の力を持ちながら知られていないのは、そのためだ。
 その小川が走ることに魅せられたのは、小学生の頃と早かった。
「父も学生時代に予選会に出場した経験があるのだそうです。最初は水泳をしていたんですが、父の影響で走り始めました。箱根駅伝はその頃からの夢でした」
 全日本中学選手権には当時、学年別で行われる1年1500bの種目があり、小川は早くも優勝している。翌年の2年1500bは佐藤に僅差で敗れて2位。福島県勢同士のデッドヒートは、今も語り草となっている。3年では800 b2位。高校では3年時の国体5000bで優勝した。
 しかし、大学受験は箱根駅伝の名門校にトライして失敗。国士舘大に進学した。当時、国士舘大は3年間、箱根駅伝出場から遠ざかっていた大学だった。
「チームとしてのまとまりはなくて、朝練もみんなサボってばかり。1年生の頃は自分がレースでも練習でも頑張っているところを先輩たちに見せ、『1年生がやっているんだから』と思わせようとしました」
 夏合宿の走り込みで自信をつけた小川は、自身初の20`挑戦となった箱根駅伝予選会で3位。1年生としては予想以上の好走を見せた。しかし、チームは10位。
「2年生になってからは口に出して、先輩たちの自覚を促すようになりました」
 だが、箱根予選会は故障の影響で、2年時は個人121位、チームも11位と浮上することができない。3年生になった昨年からは、主将に任命された。関東インカレ5000bに優勝し、スペインで行われたユニバーシアード1万bで5位入賞。個人では学生のトップレベルに進出したわけだ。
 だが、小川は自分の個人成績よりも、チーム全体の走力アップに苦心していた。
 小川とチーム内の2番手の選手とは、1万bで1分近い差があった。つまり、他の選手と同じ練習をこなしていたら、小川にとっては楽な練習になってしまう。かといって小川のペースに他の選手が合わせたら、練習の段階で潰れてしまっただろう。
「自分1人が強くなることを考えたら、1人で練習をした方が近道でした。でも、箱根駅伝は小学生の頃からの夢でしたから、1回でもいいから走りたかった。そのためには1人で練習するより、みんなで練習する方が全体をレベルアップできました」
 3年生だった去年も、9月に体調を崩して個人12位、チームは14位と沈んだ。「今回箱根を走れなかったら一生走れない」という覚悟で臨んだ今大会だったが、運悪く9月下旬に左脚ふくらはぎを痛め、1週間走れなかった。その結果、小川の個人成績は12位。直前の故障があったとはいえ、学生長距離界を代表する選手の1人。納得できる成績ではない。また、チームとしても「4年間で一番手応えを感じていた」が、他校のレベルアップもあって10位。小川の涙は、小さい頃からの夢を果たせなかった悔しさと、4年間の努力が報われなかった無念さとが流させたものだった。
 陸上界では、中学生でチャンピオンになった選手は、その座を維持するのが難しいと言われている。それが長距離種目なら、その傾向はさらに大きい。小川が大学まで力を維持して来られたのは「トップでいたいプライドと、佐藤敦之君をはじめとするライバルに恵まれたこと。勝ってもそこで満足しなかったし、負けてもプラスに考えられた。走ること自体が好きだったから」と、自己分析する。
 それが今回、予選会のあとは走る気持ちが萎えてしまったという。初めての経験だ。このままズルズル行ってしまうと、選手生命が終わってしまうのだと実感した。
「それだけ、自分にとってのどん底だった。でも、そこからはい上がれば、もう一皮剥けることができる。箱根で活躍した選手とは違う強さを身につけられると思います。負けて這い上がっていく精神的な強さも重要だと思います」
 小川の中には「より大きな夢」としてオリンピックがあった。来春からは日清食品に在籍し、世界を目指すという。4年後のアテネ五輪は1万bが目標だ。
 世界を目指すときに武器となるのが、400 b50秒2というスピード。長距離選手でこのタイムは驚異的といえる。5000bの自己最高(当時)13分49秒37をマークした昨年の関東インカレでは、ラスト1周を56秒台でカバーした。そして、もう1つの武器は、「箱根駅伝を走った選手には負けたくない」という精神的な強さだろう。10月21日の予選会の敗戦は、その気持ちをより強固なものにしたはずだ。

●おがわ・ひろゆき
 1978年6月17日、福島県生まれ。22歳。植田中1年時に全日本中学選手権1年1500bに優勝。田村高では全国高校駅伝に3年間出場し4位・2位・4位。3年時には国体5000b優勝。関東インカレでは昨年5000b優勝、今年は1万b3位(優勝は佐藤敦之)。1b69、52`。