マリンコース注目のランナーC
奥永美香
(九電工)
取り戻した“がむしゃらさ”と、
試合に合わせ切る能力

 11月23日の国際千葉駅伝(特別協賛:ライフ)の出場選手が決まった。今回の日本代表には、いろいろなタイプの選手がいる。国際舞台を経験している選手もいれば、新人選手もいる。そして、再起のきっかけや殻を破るキッカケとしたい選手も。2002年の千葉マリンコース、注目の日本選手を紹介していく。

 ひょっとすると、9月末の全日本実業団女子5000mは後世まで、語り継がれるようになるレースだったのかもしれない。実業団3年目の福士加代子(ワコール)が15分04秒27の国内日本人最高で優勝したレース。実業団1年目の橋本歩(三井住友海上・記事)と、2年目の奥永美香(九電工・写真)の2人も福士に2000m過ぎまで食い下がった。残念ながら橋本は今回の国際千葉駅伝、右足首の故障で補欠に回ったが、奥永が5区に登場する。

 奥永の5000mのベストは9月のスーパー陸上でマークした15分36秒64。全日本実業団の1000m3分ペースはちょっと速過ぎたはずだ。どういう経緯で、福士に付いていく決断をしたのだろう。
「浦川(哲夫)監督からも指示があったんですが、その前から“今回はやってやるぞ”と、決めていました。というのは、高校(鶴崎工高)時代にマネージャーをやっていた仲のいい子から、励ましの言葉をもらったからなんです。
 実業団に入ってからは記録より順位優先のレースが続いていて、“ラストで勝負すればいい”という消極的なレースばかり。記録は伸びてきてはいましたが、イマイチ満足いかない。“なんか違う、なんか違う”って感じていました。そのことを高校の友だちに言われて、高校の頃はもっとガムシャラに走っていたのを思い出したんです」
 鶴崎工高3年時には、3000mのほとんどのレースで最初の1000mを2分台で入っていたという。その後、ペースダウンしてしまっていたわけだが、それが速過ぎる入りだとは考えなかった。
「8分台が目標でした。絶対出せると思っていたんです。今考えると、衛藤(道夫)先生の催眠術にかかっていたのかもしれませんけど…」
 奥永の高2までのベストは9分44秒16だったのである。3年時には9分16秒94まで記録を短縮したが、それでも8分台はすぐに手が届く記録ではなかった。
「ちょうど、阪田(直子・立命館宇治高)さんと長尾(育子・筑紫女高)さんが8分台を出した翌年で、1学年下の池田(恵美・立命館宇治高)さんも9分ちょっとを出した頃だったんです」
 そういった経緯があり、全日本実業団では1000m2分59秒8、2000m6分01秒6という福士のペースに付いていった。ところが、橋本は福士から遅れてからも最後まで持ちこたえ、15分31秒80(2位)と大幅な自己新をものにしたのに対し、奥永は2000m以降の3000mに10分以上も要し、16分01秒61で20位。そのレースで成果を確認できたわけではなかった。

 しかし、浦川監督によれば、その後がよかったという。よかったというよりも、奥永の特長が発揮された。10月27日、4週間後の九州実業団女子駅伝は3区10kmで32分54秒、区間賞の快走を見せた。10kmを走り始めてはいるが、つい最近までは1500m・3000mの選手。1万mは2回走って、ともに33分ヒト桁に終とどまっている。
「試合に合わせ切れる選手です。全日本実業団で最後はヘロヘロになって、それから疲れが抜けきれず練習でも走れなくなってしまいました。九州実業団女子駅伝は3区の10kmを予定していましたから、こちらは不安なんですが、本人は“大丈夫、やります”と言う。その間の神戸女子長距離選抜はキャンセルしましたけど、駅伝はきっちり区間賞。17秒差でもらって一時は5秒差まで詰められたんです、旭化成とサニックスに。でも、その後どんどん差を広げて、その区間だけで30秒の差を付けたんです」
 浦川監督は「ピッチでもなければストライドというのでもない。大きな走りではないですね。ビックリするのは、食事の量。食は相当に太いですね」と、その他の奥永の特徴を挙げてくれた。

 明日の国際千葉駅伝は、最初の日本代表というわけではない。昨年4月にネパールで行われたアジア・クロスカントリーに遠征。ジュニアの部で優勝している。今年2月の北京国際駅伝のメンバーにも選抜された。
「日本代表に恥じない走りをしたい。距離(4.767km)はちょうどいいですね。この前、10kmを走っていますから、試走して“こんなものか”と思えましたから。前にいられるより、独走でもらう方がいいですね。気持ちいいですから。でも、後ろから来られるのも怖いですけど」
 取り戻した積極性を生かす走りができるかどうかが、奥永のポイントだろう。


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