2016/10/30 日本選手権リレー最終日
千葉麻美が4×400mRで現役ラストラン
「今日は幸せな気持ちいっぱいで走ることができました」


レース後の共同会見前半部分(テレビ中心の取材)
Q.ラストランを終えて今、去来しているものは?
千葉麻美 今日まで約18年間、陸上を続けて来られたのはたくさんの方に支えられたから。30歳過ぎまでこうして続けられたことは、本当に幸せでした。今日も競技場にたくさんの方が足を運んでいただき、選手として幸せなことだと思っています。わがままを言わせていただきながらも、指導者に恵まれ、会社にも恵まれて、この年齢まで続けられました。今日の(2位という)結果は悔しい結果ですが、このチームで走れたことも幸せでした。今日は幸せな気持ちいっぱいで走ることができました。

Q.400 mをどんな気持ちで走り続けてきましたか?
千葉 初めて日本記録をマークしたのが19歳のときで、そこから10年以上経つわけですが、女子短距離は、とりわけ400 mは世界で戦うことが難しいと言われた種目です。少しでも近づけたら、という思いで、ずっと頑張ってきました。最後の4〜5年は日本のトップで走ることも難しくなってきましたが、なんとかアジア大会でメダルを取ることができ、昨年の世界陸上では日本記録を更新し、少しずつは引っ張って来られたかな、と思っています。あとは後輩たちが続いて、世界で勝負できるレベルになったらうれしく思います。

Q.走っている最中は、どんな気持ちでしたか?
千葉 どこを走っていても応援が聞こえました。こんな大きな競技場のどの地点でも声が聞こえるほどの応援は、なかなかないことです。走りながらパワーをいただいていました。2位は、結果としては悔しい結果ですが、この4人でバトンをつなぐことができたのはうれしかった。チームみんなで世界を目指してやれたことも幸せでした。気持ちの良い400 mを今日は走ることができました。

Q.引退を決めたのはいつ?
千葉 2011年に出産をして、12年のロンドン五輪を目指してやりましたが届きませんでした。あと4年、娘にどうしてもオリンピックに行く姿を見せたいという気持ちで続けて来たので、リオ五輪の年が区切りになると思っていました。

Q.体はどういう状態だったのですか。
千葉 特に今シーズンは、ケガが多く思うような結果が残せませんでした。日本のトップでやっていくことも厳しい体の状態でした。そういう状況だったことも、引退することを決めた理由です。2010年にヒザを故障してしまい増したが、毎年アジア大会や世界大会が続くので、手術には踏み切らず、ごまかしごまかしやってきましたが、そのひずみが出てしまったのかもしれません。逆にいえば、6年間よく持ったな、というくらいに体としては今が限界でした。

Q.競技日程のこともあると思いますが、なぜリレーを最後にしたのですか。
千葉 一番は、最後はチームで走りたい、という思いが強かったからです。チームで走る機会は、年間でも多くありません。このメンバーでバトンをつなぐことで、最後にしたいと思いました。もう少し早く引退という話もありましたが、わがままを言って、ここまでやらせていただきました。

Q.アスリートの引き際には、悔いのある引退と、悔いのない引退がありますが?
千葉 私は半々と言いますか、今年に関してはどうしてもオリンピックに行くんだと、この4年間は目標としてやってきたので悔いが残ります。娘に、オリンピックに出る姿を見せられなかったことが一番悔しいです。しかし出産して、娘が陸上をわかるようになるまで、記憶に残る年齢まで続けられたことは、すごくよかった。一番幸せなのは、娘が陸上選手になりたいと言ってくれていること。競技を続けてきて、一番うれしいことです。大人になってまでそう言ってくれるかわかりませんが、今聞くと「ママみたいに走る選手になりたい」と言ってくれます。4年間続けて良かったな、と思います。

Q.引退後のプランは?
千葉 はっきりとは決まっていませんが、銀行の仕事を中心にしながら、サポートできるところは陸上部のサポートをしていきたい。子どもたちにも教える機会があったら、(自分の経験などを)伝えて、育てていきたいです。


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