伊東浩司&野口みずき&増田明美
3月23日、品川で注目のトークショー開催

@ 100mとマラソン、対極の2種目を極めた2人

 合宿地として有名な北海道士別市主催のトークショー「陸上界大放談」(3月23日、東京マリオットホテル)が、興味深い内容になりそうだ。
 ゲストは男子100m日本記録保持者で98年アジア大会100m&200m2冠の伊東浩司さんと、女子マラソン・アテネ五輪金メダリストで日本記録保持者の野口みずき選手。その2人と、"詳しすぎる解説"でお馴染みの増田明美さんがトークを展開する。
 3人の組み合わせだけで、陸上競技ファンの1人として興味津々だ。

 増田さんによれば、現在予定しているテーマは以下の3つ。
【1】士別の思い出
【2】合宿地に求められるもの
【3】100mとマラソンの醍醐味

 1980年代序盤に日本女子長距離のレベルを一気に引き上げた増田さんは、女子マラソン五輪初開催の84年ロス大会代表。宗兄弟(旭化成の宗猛総監督、宗茂元監督)らと合同合宿を士別市で行っていた。
「士別は当時の教育長が陸上競技の合宿に対して、すごくご理解がある方だったんです。その縁を作ったのが帖佐寛章さん(現・日本陸連顧問)。市民の方たちも協力してくださいましたね。私たちは車の後ろに"トレーニング中です"とか張り紙をしてロードを走らせていただくのですが、市民の方が車のスピードを落としてくださるケースもありました。盆踊り大会やバーベキューパーティーなどもあって、選手と市民が気さくに交流できる土地柄です。それで合宿地として陸上界で知られるようになりました。今は全日本実業団連合の合宿が毎年、士別で行われていて、合宿の最後に選手たちは士別ハーフマラソンを走るのが恒例になっています」

 伊東さんと野口選手も、士別で何度も合宿を行っている。2人がどの大会の前に士別で合宿をしていたのか、どんなトレーニングを士別でしていたのか。初公開のエピソードも飛び出しそうな予感がする。

 今回の人選は、「100mとマラソンという、対極の2つの種目の日本記録保持者」(増田さん)という視点でなされた。
 100mを極めた選手と、マラソンを極めた選手。種目の違いがどういう形で、その人のキャラクターに反映するのか。トークショーに足を運んだ人だけが、その違いを目の当たりにできる。

 また、「陸上界大放談」のタイトルからもわかるように、現在の陸上界への貴重な提言も飛び出てくるのでは、と期待できる。
 男子100m日本記録の10秒00は、98年のバンコク・アジア大会でマークされた。より記録が出やすいトラックになり、トレーニングも進歩しているはずなのに、その記録が17年も更新されていない。
 女子マラソン日本記録の2時間19分12秒も、05年ベルリン・マラソンで野口選手が出してから10年の時間が経ってしまった。世界での戦いという点でも、五輪では2大会連続でメダルに手が届いていない。
 なかなか自分を超えられない後輩たちに、2人がどんな檄を飛ばしてくれるのか。これもトークショーならでは厳しい言葉や、愛情のこもった言葉を聞くことができるだろう。

A“詳しすぎる解説”に込める増田さんの思いとは?

日本女子長距離界のパイオニア
 増田さんといえば"詳しすぎる解説"が社会的にも知れ渡るようになったが、その一番の目的は「本当に頑張っている選手たちを、日本中の人たちに好きになってもらう」ことだという。
 スポーツ中継の解説といえば普通は、元トップ選手としての視線で話すことが求められる。技術的な解説だったり、時には後輩選手への厳しい指摘だったり。それが増田さんの場合はほとんどない。
 それよりも選手の人柄をたたえ、こんなエピソードを持っていると話す。選手を"人"として紹介することに徹しているのだが、その情報量が膨大で、視聴者が本当にその選手をイメージしやすい。
 そうした"詳しすぎる解説"は、どのようにできあがってきたのだろう。

 増田さんは前述のように、女子マラソンがオリンピックで初めて行われた84年ロス五輪代表だった。
 成田高3年時の81年に3000m、5000m、1万mの3種目の日本記録を更新し、"天才少女""女瀬古"の異名をメディアから冠せられた。卒業直前に千葉県光町のマラソンに出場し、2時間36分34秒の道路日本記録をマーク。高校時代の恩師の指導を受けながら実業団で走った82〜83年も各種目で日本記録を更新し、マラソンは83年9月にユージーンで2時間30分30秒と、佐々木七恵に更新されていた日本記録を奪回した。
 84年大阪国際女子マラソンで2位(日本人1位)となってロス五輪代表を決めたが、本番は途中棄権に終わった。ひとことで言えば、プレッシャーに勝てなかったのだ。

 一度引退して通信制の大学に入学したり、アメリカに留学したりした。走ることをやめたわけではないが、本格的な再開は帰国後に再び実業団入りしてから。89年の東京国際女子マラソンは8位(日本人1位)、翌90年のロンドン・マラソンは2時間34分42秒(19位)の自己サード記録で走った。
 自己記録を更新することはできなかったが、92年の引退までの競技生活は、増田さん自身は充実したものだったと感じている。

競技力にも影響する人間関係
 解説の仕事をするようになって最初の大きな仕事が、93年シュツットガルト世界陸上だった。金メダルをとった浅利純子選手(当時、ダイハツ)を事前取材したときに衝撃を受けた。
「乳酸値のデータを活用したタイム設定や、(集中したり、リラックスできたりしているときに出る)アルファ波を出すためのイメージトレーニングなど、ここまでやっているんだ、と驚かされました。マラソンは奥が深い」

 ラジオの仕事をして、5時間も番組で話し続ける永六輔さんが、取材を重視していることにも大きな影響を受けた。

 増田さんの解説にはときどき、個人的な人間関係の紹介も出てくる。家族や友人関係、時には恋愛関係まで話してしまう。トレーニングや技術も重要だが、人間関係が良好だったり、プライベートが充実していたりする選手は競技にも良い影響が出る。その信念があるからこそ、解説としてプライベートにも触れるのだ。

「世の中、本当に便利になって、長距離のような苦しい道を選ばなくても、色々な道がある。それでも、選手たちは1つの目標に向かって、毎日欠かさず朝から練習しています。マラソンだったら半年かけて準備をしたりしますが、それでも脚が痛くなったりして、思うような結果が出せないことも多いんです。人間関係に疲れて、才能のある人がやめてしまうようなケースもありますよ。それらを見ていると本当に切なくなるんですが、だからこそ応援してあげたくなります」

 増田さんは、解説の仕事を始めたときから、元トップ選手の目線で話さなかったという。
「自分がすごかった、と思ったことはありません。才能には恵まれていたと思いますが、記録のレベルが低い頃でしたし、オリンピックで結果を出すことができませんでしたから。それよりも取材をしていると、私が知らなかったマラソンがあることがわかりました。そして取材しているうちに、マラソンには様々なトレーニング法があることに気付きました。遠い目標に向かってコツコツと練習を積み重ねる選手を愛おしいと思うようになりましたし、己をなげうって選手を見ている指導者の方は心から尊敬できます。日本中の人に陸上競技を、また現場でがんばる選手や指導者のことを好きになってもらいたいのです」

 そんな増田さんが進行役を務めるトークショーだ(「陸上界大放談」:3月23日、東京マリオットホテル)。陸上界への厳しい言葉も出てくるかもしれないが、そこには必ず、選手への愛が込められている。
 "詳しすぎる解説"のトークショー・バージョン。3月23日を楽しみに待ちたい。


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