4.1特別記事
ロッテで競技を継続する女子800mの日本選手権優勝者
大森郁香の“出会い”

 春は“出会い”の季節。
 “出会い”を自身の成長の糧とできるアスリートは強くなる。

 昨年の日本選手権女子800m優勝者の大森郁香が4月1日、ロッテに入社した。会社として陸上部を創部するわけではないため、事前に発表することができなかったが、一般社員として入社した大森をできる範囲で会社も援助していく。今季の大森は2分01秒00の北京世界陸上標準記録に挑んでいくという。
 競技継続を可能にしたのは、ロッテの採用担当者の女性がが「続けたいのでは?」とかけたひと声だった。2013年までの大森は2分09秒67が自己ベストで全国入賞もなかった選手。大学3年の冬は競技をやめるつもりで、通常の就職活動をした。昨年4月のロッテとの最終面接でも、「競技はやめます」と答えていた。

 しかし昨年3月末の記録会で2分08秒26の自己新を独走でマーク。織田記念はB組トップで全体では2位。そして関東インカレでいきなり2分03秒96の日本歴代10位、学生歴代5位をマークして優勝した。6月の日本選手権も2分05秒05で優勝。9月の日本インカレも制した。
 日本選手権の頃から、大森に競技を続けたい気持ちが膨らみ始めた。だが、仕事でロッテに入ると決断している。「競技を続けても、今年が一番良かったらつらくなるし…」。

 明確に続けたいと思い始めたのは7月のヨーロッパ遠征だった。3試合中2試合で2分5秒台で走ったのである。
2:08.94 6位 Guldensp Kortrijk 7月12日
2:05.84 1位 SavoG Lapinlahti 7月20日
2:05.89 2位 JoensuuG Joensuu 7月24日
 対戦した選手たちの力はわからないが、1位と2位が1回ずつという好成績だった。
「松井コーチもいないし(川元奨の方に帯同)、海外というストレスの大きい場所に3週間行って、2分5秒台で2回走れたことがすごく自信になりました」

 継続の意欲が大きくなっていた一方、会社には通常勤務ということで試験を通った。簡単に翻意するわけにはいかなかった。
 そんな心理状態だった日本インカレ後に、ロッテの採用担当者が、「悩んでいるのでは?」と連絡をくれた。大森の陸上の戦績をチェックしていたのである。大森は正直に「悩んでいます」と打ち明けた。駅伝を走ることが前提になるが、他の実業団チームからも誘いが来ていたのだ。
 すると担当者が「ロッテで続ける気はないの?」と提案してくれた。日大の井部誠一コーチと松井一樹コーチも会社に行き、続けるとしたらどういう形が可能なのか、提案をしたり、会社側の話を聞いたりした。そして11月頃に会社の上層部も了承をしてくれた。

 ロッテにトップ選手が入社してきた場合のマニュアルがあったわけではない。「採用担当者の方が提案してくれなかったら、競技は続けていなかったと思います」。まさに、その採用担当者との“出会い”だった。

 高校では無名選手だった大森が、日大で強くなったこと自体、“出会い”の要素が色濃かった選手である。
 大森の高校時代のベスト記録は2分15秒28。インターハイは南関東止まり。日大に一般入試で進んだのは「体育学科があったことと、駅伝もやりたいと思った」から。
 だが、駅伝選手は全員が三島キャンパスで活動していた。体重も落とせず、指導者も選手仲間もいない状況で、夏合宿は全く走れなかった。2カ月自分で練習を組み、地元の千葉県で800mに出たが2分23秒かかった。
 それでも世田谷のグラウンドで1人で走っていると、井部コーチが「一緒にやろう」と声をかけてくれた。大森が「人生が変わりましたね」と言う学生競技生活のきっかけとなった。

 日大は基本的に男子の陸上部。しかも大森の学年は800m高校記録保持者の川元だけでなく、他の種目にも有望選手が多かった。敷居は高かったと思われるが「女子だし、一般入試だし、本来なら面倒を見てもらえない環境でも面倒を見てくれた」と、大森は意気に感じて飛び込んだ。この辺は、トップ選手としての心の資質は持っていた。
「レベルは違いましたし、練習で罵声を浴びせられることもありました。つらかったですけど、でも、楽しかったんです。こんな私でも男子たちは、嫌がらずに引っ張ってくれました。1人で走っていたときは何をして良いかわからず、そっちの時の方がつらかったですね」

 井部コーチが声をかけなかったら、大森は1年生の後半で走るのをやめていただろう。男子選手たちが大森を受け容れなかったらどうなっていたか。さらに松井コーチが、レベルに合わせたメニューを考えていなかったら…まさに日大での“出会い”が、大森を日本選手権者に成長させた。
 松井コーチは「必死に食らいついてやってくれている姿に感心した」という。
「俺も片手間で大森を見ていてはダメだと思い、2年目以降は本人としっかり話し合い、女子のコーチをしてる人にも相談してメニューを考えました。引っ張ることができる男子がいれば協力させました」
 昨年の関東インカレで大森が優勝し、直後の男子800mで同学年の川元奨と岡田隆之介がワンツーを決めたとき、大森は本当に嬉しそうな表情をしていた。大躍進の日大中距離ブロックに、4年間でなくてはならない存在になっていたのだ。

 トップ選手を取材していると必ず、いくつかの“出会い”が成長のきっかけになっている。結果が出ている選手だから当たり前という見方もできるが、“出会い”を自身の力とできるからトップ選手に成長できた、と見ることもできる。
 ロッテでも、大森は新たな“出会い”を糧としていくだろう。


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