2015/3/29 
3月いっぱいでミズノを退社
パリ世界陸上200m銅メダルの末續が、現在の心情を飾らずに吐露


 日本スプリント史上、唯一のシニア世界大会個人種目メダリスト(2003年パリ世界陸上200m銅メダル)である末續慎吾が、12年間所属したミズノを3月いっぱいで退社する。退社することを決めた経緯、今季のプラン、競技力が落ちた今も走り続ける理由などを、3月29日に東京の練習拠点である日大で、集まった報道陣に対して語った。1時間近くのロングインタビューを、要約して紹介する。

退社の決断に至った経緯は?
Q.12年間お世話になったミズノを卒業するが?
末續 12年間、勉強させていただいて、そろそろ卒業して自分でやっていく自信を、ここ何年間かで持つことができました。企業スポーツ選手を卒業して、個人として陸上競技を続ける。陸上競技と向き合って、競技者としてレベルアップしていけば、1人でやっていかないといけないことも出てきます。それは自分でコントロールしていかないといけない。それは毎年、どうするか考えてきたことですが、去年、今年と、自分自身で責任を持ってやりたい気持ちが大きくなってきました。個人事業主として1人で走りたい、陸上をしたいと会社にも相談して、その気持ちを汲んでいただきました。今後も違った形で応援していただけるということで、快く送り出していただきました。

『盛り上がっていきますか!?』
Q.個人事業主ということですが、確定申告などで記入する今後の肩書きは? プロアスリートになる?
末續 なんて書くことになるんでしょうね。その辺はノープランで、何になるのか考えながらやっていきます。いったい自分は何なのだろう? と。とにかく楽しみなんですよ。色んなことと向き合っていかないといけないし、当然(周囲やミズノに)頼らないといけない部分も出てくるのでしょうが、1人の駆けっこの大好きな人間としては、こうやってできるのはとても幸せなことだと思っています。自分の中ではあまり、寂しさはないんですよ。『盛り上がっていきますか!?』というところも結構ありますしね。やること自体は変わりません。今はとにかく走りたい。走って行くうちに(新しくやりたいことの)アイデアも出てくるとは思いますが、そのときは(ミズノなどに)相談しながらやっていきたい。僕らは走ってナンボなので、自分の競技力を高め、試合で走ったりすることが基本で、あとは完全にノープランです。色んな人に報告すると(現役で会社を辞めることを)言われますが、そういう感覚が僕の中ではあまりないんです。ものすごく特別なことではないと思いますし、引退するわけでもありません。一競技者としての選択をしただけ。あとは自分の思う道を行く、という。

東京と熊本を練習拠点とする理由は?
Q.練習拠点は日大になる?
末續 東京と熊本の2カ所になります。東京では治療院から近い、ここ(日大)で練習させていただけることになりました。この年齢になると、治療の有無や、(ダメージを受けてからの)スピードが重要になります。一番気をつけないといけないのがケガですが、日大には良い相談相手がたくさんいます。村上(幸史・スズキ浜松AC)さんや澤野(大地・富士通)が練習していましたし、八幡(賢司・モンテローザ)もいました。森長(正樹・日大コーチ)さんも。こういうときにはどうするんですか? という情報が、とにかく早く入手できる。ここに拠点を置くことが必要でした。
 そして残りの競技を続けている間は熊本を拠点として走りたい、という郷土的な気持ちもありますし、九州学院やKKウィングをよく使わせてもらっていますが、練習環境としても関東より良い部分もある。この時期は、熊本の方がいいな、と思うことも多いですから。一定期間、熊本でトレーニングをすることもあると思います。(シーズン中は東京が中心になるが)ひょっとすると熊本で練習することが多くなるかもしれません。やってみないとわからない部分があります。
 熊本では高校生と一緒に走る空間も結構あって、乳酸がきつくて倒れるようなケースでも、ここで格好悪いところは見せられないな、と、ある意味自分に厳しくなれる。日大は日大で、僕よりも速い学生もいて、悔しさを持ったり刺激になります。なんだよ、オレの前を走るなよ、とか。それはちょっと持ち続けたい。

「自分を奮い立たせるものはメダルではない」
Q.しかし、昔の自分とは比べたりはしない?
末續 誇りに思っているところはあります、よくやったな、と。でも、それに変にすがったり、勝負の場や現場でその自分に依存したり、振りかざしたり、引いたり、押したりはしなくなりました。競技者は不安なものですから、自分を奮い立たせるものは欲しいのですが、それはメダルとかではなかったんですね。そのときに、どれだけ速く走りたいか。いかに速く走りたいか。そう(強く)思っている人間が真剣勝負の場に立てる。それが楽しいんです。それを徐々に徐々に再確認してきて、競技に、走りに、熱が通ってきているし、そんな自分が好きで楽しくやれるようになりました。
 オレって、このくらいで走っていたんだよなって、人は思ってしまうものです。もう一度戻りたいって。比較するのも大事かもしれませんが、そのさじ加減を誤ると自分をおかしくしてしまいます。確かに、あのとき頑張った自分、必死にやっていた自分に誇りはあります。でも、それさえあればどこでも走れます。走る場所なんか選ぶ必要はないし、体調は選ばないといけませんが、だから今でも走っているのだと思います。
 そういうアスリートなのか、そういう人間なのかわかりませんが、今、この走りが0.1秒伸びたっていう喜び、自分が今速くなっているのが楽しいな、っていうのが根っこにあったんでしょうね。メダルを取る、タイムを出すというのも当然必要ですが。

9秒台の話題に接して
Q.今日、桐生祥秀選手が9秒87(追い風3.3m)を出しましたが?
末續 速いですね。感想としては、それだけです。そういうことに対して自分の中で、なんて言うか、燃えるものがあるのかな、と思ったら、あるのかな…。9秒台が出そうになったり、そういうことを聞いて、以前は自分の中で何か感じていたのかな、と、ちょっと自分の中で考えている最中です。
 でも、今オレ、それどころじゃないな、っていう状況でもあるんですよね。今はそういうことよりも、自分がどう走るか、どう走って行くかの方が重要すぎて。明日の練習をこうして、こうやって行って、と考えることが大半を占めていて。本来、競技者のあり方はそういうものじゃないか、と。今自分ができることをしたい、できているか、が優先順位の上ではないかと。
(9秒台は)話題性の1つとしてとらえています。でもその一方で、9秒台と聞くと、そうなんだ、と思う競技者的な一面もあります。やっぱり、どこまで行っても競技者なんじゃないですか。


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