2015/1/20
小林祐梨子が現役引退発表
高3時の06年に1500mで日本記録更新2回
1500mで世界ユース銀メダル、世界ジュニア銅メダル、アジア大会銀メダル
そして5000mで世界陸上11位
世界への可能性を見せてくれたスピードランナー
豊田自動織機サイトの本人コメント
小林の年次別ベスト記録の推移
年 |
シーズンベスト |
大会順位 |
大会 |
場所 |
日付 |
2003 |
9:38.45 |
7 |
|
神戸 |
4月6日 |
2004 |
4:18.35 |
2-HS |
HS Ch |
浜山 |
8月3日 |
2005 |
4:12.85 NJR |
4 |
Seiko |
横浜 |
9月19日 |
8:52.33 NJR |
1 |
|
神戸 |
10月13日 |
2006 |
4:07.86 NR NJR |
2 |
Super |
横浜 |
9月24日 |
8:52.77 |
2 |
|
袋井 |
10月14日 |
15:31.90 |
3r3 |
|
熊本 |
4月8日 |
2007 |
4:11.41 |
9 |
Pre |
Eugene OR |
6月10日 |
8:54.52 |
2r9 |
|
横浜 |
10月21日 |
15:21.37 |
2r2 |
Kumariku |
熊本 |
4月7日 |
2008 |
4:12.11 |
2r1 |
Jordan |
Stanford CA |
5月4日 |
8:51.85 |
1 |
Hokuren |
札幌 |
6月4日 |
15:05.37 mx |
1 |
|
袋井 |
10月18日 |
2009 |
15:12.44 |
11 |
WC |
Berlin |
8月22日 |
2010 |
4:13.88 |
6 |
MSR |
Walnut CA |
4月17日 |
9:01.39 |
3 |
Hamilton |
Berkeley CA |
4月24日 |
15:31.72 |
5 |
GP |
大阪 |
5月8日 |
2011 |
9:08.38 |
2 |
Hokuren |
網走 |
6月22日 |
15:33.36 |
3 |
Corp Ch |
鳴門 |
9月24日 |
2012 |
15:30.95 |
1 |
|
袋井 |
5月3日 |
31:51.91 |
2 |
Corp Ch |
Fukuoka |
9月21日 |
2013 |
9:50.11 |
1 |
Click |
Tucson AZ |
4月6日 |
16:21.29 |
29 |
MSR |
Walnut CA |
4月19日 |
小林の国際大会成績
2004 |
高1 |
世界ジュニア |
女800m |
予選3組 |
4 |
2005 |
高2 |
アジア選手権 |
女1500m |
決勝 |
3 |
世界ユース |
女1500m |
決勝 |
2 |
2006 |
高3 |
アジア大会 |
女1500m |
決勝 |
2 |
世界クロカン |
女シニア4km |
決勝 |
30 |
世界ジュニア |
女1500m |
決勝 |
3 |
2008 |
社2 |
オリンピック |
女5000m |
予選1組 |
7 |
2009 |
社3 |
世界選手権 |
女5000m |
決勝 |
11 |
東アジア大会 |
女5000m |
決勝 |
1 |
2010 |
社4 |
コンチネンタルカップ |
女3000m |
決勝 |
8 |
2011 |
社5 |
アジア選手権 |
女5000m |
決勝 |
3 |
▼2006年8月
日本記録保持者のインターハイ 1500m編 日本記録時よりも飛ばした理由とは?
▼2006年10月
小林、スーパー陸上〜国体間に動きを改善 前への重心移動がよりスムーズに
▼2006年12月 全国高校駅伝
須磨学園、歴史的な逆転勝利 1区で過去最大タイム差の1分03秒 2区・小林はごぼう抜き最多記録の20人!
▼2006年12月 全国高校駅伝
須磨学園、初V後の変更点とは? 「大きな走りでスピードをつけることが将来につながります」(長谷川先生)
▼2008年8月 北京五輪
15:15.87 5000m予選1組7位
【陸上競技マガジン記事】
小林祐梨子は日本記録を持つ1500mで標準記録を破ることができず、“専門外”の5000mで出場することになった。予選1組7着(15分15秒87)と、プラス通過に“あと1人”という健闘だったが、そこで生かされたのが1500mのスピードだった。特にラスト600
mからの200 m毎は33秒1・32秒7・32秒3。1500mの日本記録はイーブンペースで出しているが、そのときの200
m毎とほぼ同じタイムである。
「1500mのラストと思って北京の5000mの最後は走りました」
仮に5000mで14分40〜50秒の記録を持っていても、5000mの予選はラストのスピードの切り替えと、それを維持することができなければ世界では通用しない。だからこそ、小林は1500mにこだわりたいと言う。
「日本選手は距離を伸ばす傾向があるのに対し、今回のオリンピックでもそうでしたが、海外の選手は30歳を過ぎてもこの種目をやっています。世界ユースや世界ジュニアでメダルを取っていたのに、シニアになるとなんで差がつくのか疑問を持っていました。ここだという課題が見つかったわけではありませんが、私は1500m・5000mという種目にこだわりをもって、長く続けていきます」
中学時代から国内のタイトルを取り続け、高校では日本記録まで出した。だが、昨年は故障がちで世界選手権代表も逃した。“中学・高校のチャンピオンは伸びない”という声も耳に入ってくる。北京五輪を意識しないようにした時期さえあった。
「でも、これまでの経験もすごく生きてくると実感しました。私はオリンピックに出ても満足しませんでしたし、一番強く感じたのは、ここからがスタートだということ。北京で5000mを走り終えた瞬間に、絶対にロンドンに出て、入賞を目指したいと思ったんです」
▼2009年8月 世界陸上ベルリン
15:23.96=SB 予選2組7位
15:12.44=SB 決勝11位
【レース後のコメント】
「2本はきついですね。1000mでいっぱいになってしまいました。通過タイムは(あまりにきつくて)見られなかったですね。
後ろ待機に見えたかもしれませんが、周りを見たら後ろに誰もいなくなっていた。今回はプレッシャーもなく、追われるというよりは前を追うだけの立場でした。今の力ではあれが精一杯というか、あの展開しかできませんでした。
今日感じたのは、もう1回1500mから頑張ってみたい、ということです。以前からそう考えていましたが、今日から、より強く思いました。都道府県駅伝とかもありますが、ロードよりもトラックに集中したい。海外のレースにも出たいですね。ヨーロッパとかに行って。日本でもこういう雰囲気にして欲しいですね」
▼2012年12月 クイーンズ駅伝2012展望TBSコラム
小林祐梨子、“激動” の1年の締めくくりは?
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