2008/10/1 為末会見
為末が現役続行を決断
その背景に自身の競技観の変化
「代表になれなくても、走っている方が良い」
スーツ姿で現れた為末大(APF)は、次のように切り出した。
「北京オリンピックが終わって1カ月と少しになりますけど、色々と自分なりに考えまして、現役を継続することに決定しました。考えるところはありましたが、走りたい気持ちには逆らえないな、というのが正直なところです。痛みがなくなったとか、前向きな材料はありませんが、ボロボロになってでも走ることは幸せなことと思い、行けるところまで行こうと」
決断の経緯を問われ、次のように答えた。
「オリンピックを思い出したとき、いやなものしか残らないかな、と思っていました。それが、“ボルトはなんで速いのか”とか、“1週間前にこう練習していれば違ったんじゃないか”とか、発想が走ることしかなかったんです。これは致し方ないかな、と」
現役を続けると決めた以上、上を目指すことに変わりはない。4年後のロンドン五輪や来年の世界選手権の代表になり、ファイナル進出やメダル獲得を目標とする。練習拠点は海外に移すプランだが、海外のレースに出場するなど、強化スタイルもこれまでと変わらない。
だが、それが厳しい状況であることもわかっている。
“選手の目とコーチの目”を併せ持つことが為末の特徴だったが、「コーチの目から見たら、戦っていける体ではない」と、北京五輪から帰国後に話している。会見の冒頭では、その点が良くなる兆しがあったわけではないと明言している。
決断の裏には、自身の競技観の変化があった。なければ続けられなかった。
好きな種目よりも、良い成績を残せる種目をやる。それが、中学の100 mチャンピオンから高校で400 mに距離を伸ばし、さらに世界を狙うために400 mHに取り組んできた為末が貫いてきた道だった。
だが、そのスタンスを変更する。
「実力がかなり落ちることが予想されます。これまでも、かなり無理をしてキープしてきました。負けるようになってまで続ける意味があるのかな、と考えましたが、ふと、負けても気にならないんじゃないかと思う瞬間があったんです。代表になれなくても、走っている方が良い。何が原因かわかりませんが、心境の変化がありました。痛みと戦うことになるかもしれないし、若い頃よりも苦しいことが多くなりますが、そういうことも含めて陸上競技なんだと」
「もう少し合理的に考えたら違う道もある。でも、陸上ばかりやってきて、陸上以外に喜びを感じられなくなっています。最後(の試合)はオリンピックでなく、ヨーロッパの片隅の記録会でも良い」
「朝原(宣治・大阪ガス)さんは清々しい表情で退かれましたが、僕はまだ情念、怨念みたいなものがグラウンドに残っていて、引くに引けない。朝原さんを見ても自分の引き際はイメージできませんでした。引くときではないからイメージできなかったのかもしれません」
「オリンピックを見ていてもほとんどの選手が、注目されないでオリンピックを終えていきます。自分は幸い、これまで華やかなところにいましたが、誰にも気づかれないところで走るのもスポーツの醍醐味だと思います。自分にしかわからない喜びもある。これから色々な評価をいただくことになると思いますが、そういう部分よりも、自分の体がどこまで速く走ることができるかを突き詰めてみたい。その結果体が壊れても、途中で挫折しても、それも幸せな競技人生なんだと思えるようになりました」
好成績を出せるという計算よりも、自身の気持ちを優先した。
しかし、次のようにも答えている。論理的なことを前面に出してきたが、最後に気持ちに引きずられたのはどうしてか、と問われたときである。
「コーチの目で見た場合、引き際としては今だと思います。もう十分走ってきたし、体も使ってきた。それでも、走りたい気持ちには逆らえませんでした。(理論的にやってきた部分は)後から付け加えたものが論理的に見える能力で、本来は“衝動的”に走っていたのかな、と最近は思います。行って戻ってだな、という感じだと自分では思っています」
競技観を変えたというよりも、“素”の為末に戻ったのかもしれない。
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