2007/4/
本サイト独占インタビュー
佐藤秀和がトヨタ紡織入社
世界を目指す決意を新たに

「高校では渡辺先生に走らせてもらっていた。これからが、自分の力だと思っています」

「家族が大変な思いをしているのに、なんで自分は……」
◆5000m高校記録(13分39秒87)保持者で、今年の箱根駅伝4区区間賞の佐藤秀和が4月からはトヨタ紡織で、実業団選手として走り続けることになった。同社の亀鷹律良監督の説明によると、トヨタ紡織に入社した理由は家庭の事情だという。両親とも体調を崩してしまったのだ。実家を離れ、仙台で高校生活を送る弟(サッカー選手)もいる。仙台育英高の渡辺高夫先生が亀鷹監督に打診。急な話だったが、トヨタ紡織としても才能のある選手に環境を提供しようと採用を決定した。
佐藤 (昨年前半まで低迷したのは)ひと言でいえば練習に取り組む気持ちが乗っていなかったから。理由はいくつかありましたが、そのうちの1つが家族が大変な状況にあったことです。家族が大変な思いをしているのに、なんで自分は走っているのだろう、という思いにもなりました。昨年の9月から両親とも具合が悪くなり、家族とも相談をして、箱根が終わったら大学をやめる決心をしました(※)。でも、最後の箱根は絶対に結果を出したかったので、9月から12月まで実家や仙台と順大を往復して練習をしました。箱根駅伝で区間賞を取り、僅かでも優勝に貢献できたことで、順大にも少しは恩返しができたかな、と思っています。
※順大側の配慮で現在は休学扱い。

「サムエルの世界記録に勇気づけられました」
◆高校時代は5000mの高校新、全国高校駅伝3連勝など、数々の栄光を手にしてきた。俗にいうエリート選手が大学に入って辛酸をなめたわけだが、低迷している間に、気持ちが切れかかったことはないのだろうか。
佐藤 高校を卒業するときにある程度速くなってしまっていて、もっと上を目指せるかな、という思いもありました。でも、1年目から上手くいかなくて、2年間足踏みをしてしまった。そういう状況でも日本選手権は誰が勝ったとか、実業団では誰が強いとか、気にかけていたんです。何よりも注目していたのは専門誌の、海外の記録のページでした。高校で一緒だったサムエル(ワンジル・トヨタ自動車九州)だったり、知っている選手が走っているのをチェックしていました。自分の競技力がそこまで達していないのはわかっていましたが、海外で試合をしてみたい思いはずっと持っていました。一番影響を受けたのはやはり、サムエルの(ハーフマラソンの)世界記録です。高校の3年間、一番身近にいた選手です。自分も頑張らないといけない、と勇気づけられました。単純に、走ることをあきらめたくないっていう気持ちもありました。2年間、休んだと考えて、もう一度作り直せばいい。無駄だった、マイナスだったとは考えていません。

「ケニア合宿は、同じ空間にいるだけで嬉しかった」
◆1月末から約1カ月間、ケニアでワンジルたちと一緒に練習を積んだ。そこではどのような生活をして、何を学んだのだろうか。
佐藤 とにかく一緒にいて楽しかった。サムエルやジョン(カリウキ・トヨタ紡織)、マサシ(スズキ)と、みんな近くに住んでいて、そこにミカ(ジェル・仙台育英高→トヨタ紡織)やポール(クイラ・仙台育英高)も加わって、みんなで一緒に練習をして、一緒に遊んで。面倒を見てくれたのはKIONIさんといって、サムエルやマサシの先生で、2人が来日するまで陸上の指導をしていた方す。僕はコテージに入って、ご飯もそこで出してもらっていました。もちろんケニア食です。ウガリを食べていました。練習で付いて行くことはできませんが、ジョッグは一緒に話しながらできますし、単純に一緒の練習ができることが嬉しかった。一緒に練習をして、同じ食事を食べて、同じ空間にいる。その生活が充実していました。

「悠基たちも頑張ってほしいけど自分は自分。目標はあくまでA標準」
◆ワンジルの活躍や海外への興味がモチベーションとなっている佐藤だが、同学年の日本選手の活躍はどう受け取っていたのだろうか。高校時代に“ダブル佐藤”と称された佐藤悠基(東海大)や、早大入学後に大きく伸びてきた竹澤健介。特にこの2人は、昨年5000mで世界選手権B標準も突破している。佐藤は箱根駅伝1区で渡辺康幸の区間記録を更新、竹澤はエース区間の2区で区間賞を取っている。
佐藤 悠基は高校から強かったですし、竹澤も伸びました。もっと頑張って欲しいという気持ちは、自分が走れなくなってからも持っていましたし、今も持っています。自分も頑張ろうという気持ちに、少なからずさせてもらいました。でも、僕は“自分は自分”という考え方です。他人の活躍に関係なく、オリンピックや世界選手権に出るためには日本で勝つこと、A標準の27分49秒(北京五輪は27分50秒00)で走ることだと思っています。A標準で走らない限りは世界に出られないのですから、僕の目標はこれまでもそうでしたが、オリンピック・世界選手権に出るまでは、27分49秒で走ることです。その記録で走れる体にしていくつもりですし、そのタイムで走れるような練習をしていこうと思っています。27分49秒で走れたら、その先の日本記録とか、世界での入賞というのも考えていけると思います。

「自分の考えもしっかり伝えて練習を組み立てたい」
◆今後は豊田が拠点となるが、家族のいる山形に近い仙台にも長期合宿という形で滞在することが多くなる。仙台育英高で練習するときは、仙台市に住む弟の部屋に寝泊まりをすることになる。だが、仙台で練習することはあっても、練習メニューはトヨタ紡織のものを行うと強調した。
佐藤 亀鷹監督にメニューを出してもらって、それを仙台でも行います。その練習ぶりを渡辺先生に見てもらって、動きや調子を判断してもらって、出場する試合なども決めていってもらうつもりです。当初は渡辺先生のメニューでと考えていましたが、亀鷹監督のメニューを見て、27分49秒に行ける自信がつきました。これからは、どのレースに重点を置くのかや、そのレースの狙いなどをしっかりと理解し、だったらこういうメニューをくださいと、自分の考えも伝えて練習を組み立ててもらいます。
 実業団という形でやるからには、もう1回、僕の名前を広げられるように頑張りたい。高校は僕の本当の力じゃなかった、というか、渡辺先生に走らせてもらっていた。これからが、自分の力だと思っています。“自分がやる”という部分が強くなってくる。とにかく結果を出して、強くなっていることを証明したい。
 今年はまず、日本選手権の標準記録(A=28分30秒00・B=28分48秒00)を切らないと、日本選手権はもちろん(国内GPなどの)試合にも出られません。トラックで1万m主体にやっていけば、実業団駅伝はトラックのスピードを維持してやっていけると思います。10km以上の区間でも、練習して対応できると思います。トラックで海外でも走り、将来的にはマラソンも考えています。年齢を重ねる毎に、その方向で行けたらいいですね。

亀鷹監督コメント
ケニア・スタイルの練習で

「チームとしての目標は駅伝ですが、僕が望むのは世界選手権やオリンピックで戦える選手になること。高校時代から彼の能力は見てきました。身長があるわりには身体がぶれないで、長身を上手く使っている選手という印象です。北京や次の世界選手権(09年ベルリン大会)まではトラックをしっかりやり、いずれはマラソンに進んでほしい。
 今、ウチではケニア・スタイルの練習を取り入れています。1000m×10のインターバルだったら、2分50秒〜55秒でリカバリーは1分くらいというのが、今の日本では主流のやり方ですが、ケニアではリカバリーのタイムよりも、1本1本のタイムを上げて行います。レペ的な要素が強くなる。
 朝練習もビルドアップ的にやって、後半は3分に近いペースまで上げる。その分、40〜45分でさっと上がる。佐藤にもそういう形のメニューを見せたところ、『これなら27分台で走れると思います』という反応でした。
 そういう練習を多くすることで、スピード能力が高められていきます。トラックを狙う選手は普段から、もっとスピードをやらないと世界には近づけません。それが、将来マラソンをやる上でも土台となっていくと思います。
 前田(貴史)が佐藤よりも前にケニアに行きましたが、まったく考え方が変わった、と話していました。トレーニングの部分もそうですが、競技への考え方自体が変わったと。
 日本の選手は不満を探していますが、ケニア選手は走ること、そういう生活ができることに感謝をしている。日本人は初めて特注シューズを作ってもらい、こんなにも履きやすいと思った感激はやがて薄れて、そのうちにシューズの悪いところを探すようになる。ケニア選手はシューズを履けることがありがたいと思っています。今の選手は恵まれすぎて強くなれないのかもしれません。我々も原点に帰るときだと思います」


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