2004/1/1
2003年 寺田が勝手に選んだ最優秀選手賞
男子200 m世界選手権銅メダル 末續慎吾
ミズノ本社での合同懇談会取材インタビューから


「達成感はありましたが、満足感はありません」

――社会人1年目を振り返って。
末續 出すべき結果が出せた1年でしたね。そのなかで感じたのは、ものすごく多くの人に応援してもらっていることです。特に世界選手権が終わってからですね、それを感じたのは。毎日トレーニングをしているわけではないので、そういった方たちにお礼をしていく時間も作っていいと思いましたね。その中でまた、頑張ったねと言ってもらえるような結果を出せるよう、切り替えが大事だと思いました。
――世界選手権を改めて振り返って。
末續 銅メダルを取った時点で達成感はありましたが、満足感はありません。全てが通過点になればと、ずっと思っています。現時点の練習も、そういう考えでやっています。欲張りなんですね、僕は。(高野先生に言われたのは)冷静に燃えろっていうことです。練習でもそうなんですが、やる気があるのはいいけどケガをしてしまったら意味がない。もちろん、やる気がないとダメなんですが。その辺が僕は未熟者で、やりすぎてしまうことがある。かなりマシにはなってきましたが。

「いかに、楽な走りでやれるか」

――アジア・アフリカ選手権以後の練習は?
末續 1〜2週間、羽を伸ばしました。それから練習に入って、最初の1〜2週間は様子見という感じでしたが、今は軌道に乗っています。全体的なボリュームがかなりあって、普通の時間では終わらないですからね。砂浜で6時間とか。そのくらいやったら、次の日は動けないと思うんですが、出てくる連中もいます。ケガをしてしまう危険性すらある。その中で新しい物を見つけていけたらと思っています。
――意識して取り組もうとしていることは?
末續 きつい練習をいかに、楽な走りでやれるかってことですね。色々と考えていたら、そう考えるようになったんです。一緒に練習していて、ゆっくりに見える動きなのに実際は速い選手もいる。去年も意識はしていたんですけど。色んなところに力が入っているみたいなので。結果的に、200 m4本を走りきるという課題は残りましたし。
――“なんば”のような新しい走りも何か?
末續 今のところまだ、ありません。高野先生と相談しながら、いい走り方が見つけられたら、そのときに取り組んでいきます。(ひらめきで練習・動きを変えることは)結構、ありますし、辛いすよ。
――プロ的活動について。
末續 会社に一任しています。(先駆者の高橋尚子や室伏広治は)あの人たちは、なるべくしてなった人たち。陸上競技への意識が違います。為末さんもそうですが、陸上競技をプロにしますと言った責任も負い、意識も高い。見習わないといけません。
――為末選手とはよく話をする?
末續 仲がいいですから。人それぞれ、考えを持っていますよね。(オリンピックについても)もちろん話します。僕の場合は最終的にシドニー五輪は、悔しい結果に終わっています(4×100 mRの決勝で負傷)。為末さんもずっこけた(転倒した)。その借りは、同じオリンピックでないと返せないと。僕の場合は(伊東浩司に200 m準決勝で敗れて)どうしても伊東さんを超えないといけないと言っていますが、一緒に走ってみないとそれはできないこと。せめてオリンピックで、その思いを晴らしたい気持ちがあります。自己中心的な考えではあるのですけど。
――オリンピックまでの大まかな流れは?
末續 オリンピックでちゃんと走れるようにすることを、一番に考えていきます。そのために課題となる試合をこなし、その課題に全力でぶつかっていく。今年もそうでしたが、春先に膝が痛かったことと、ウェイトを始めたことで増えた筋肉の使い方がわからなくて、仕上がりが遅れました。水戸でようやく走れて、大阪グランプリと日本選手権でやっと確認ができた。日本選手権も決して完璧ではありませんでしたが、それでも(200 mで20秒03の)日本記録が出て、地力がついているのがわかりました。それが確認できたので、あとは世界選手権まで2カ月、きっちりやろうと、試合間隔を空けたわけです。

「オリンピックの上位で争う力を付ければ、19秒台はいつでも出せる」

――シドニー五輪後の3年間を振り返ると?
末續 シドニー五輪は何の準備もなく、何がなんだかわからないうちに終わってしまいました。そこから1つずつステップアップしてきたことを、どう出せるか。シドニー五輪後も毎年、世界選手権・アジア大会・世界選手権と大きな試合が続いてきて、やっていることが大きく変わったわけではありませんが、毎年100%の努力をしてきました。オリンピックは特別な物かもしれないですけど、いい意味で言って特別とも言えない。思いっきり個人的なことですけど、シドニー五輪のときの(伊東に勝ち逃げ去れたという)思いを払拭したい気持ちもある。現時点では競馬で言ったらまだ、△(さんかく)馬です。それを◎(二重丸)、本命と言われるようにしてやろうかと。でも、金メダルと言われても、ピンと来ませんね。世界選手権のときは金が欲しいと思いましたが。
――記録的な部分について。
末續 オリンピックの上位で争う力を付ければ、条件に関係なく19秒台はいつでも出せます。世界選手権で痛感したのは、記録で世界にアプローチしてもダメだということです。何秒で走りました、と言っても、じゃああの場で4本走りきれるかといったら、実際に勝負をしてみないとわかりません。記録は目安にしかなりません。
――種目について。
末續 本当は両方行きたいのですが、アテネとなると……。(現時点では)決めない方がいいかもしれません。具体的に決めず、漠然と突っ走って、その中に課題があって、という感じで行く方が。去年も、どちらとは絞っていませんでした。100 mだけに絞ると、鍛錬期から練習の仕方が大きく違ってきてしまいますから。これまでも200 mを念頭に置いて、アプローチをしてきました。
――オリンピックへの思いの強さは?
末續 やっぱり小さい頃からの夢ですからね。シドニーではあまりにも準備不足で、挙げ句の果てにケガをして、泣きべそをかいて帰ってきた。エドモントン(01年世界選手権)の準決勝落ちも悔しかったですけど、ケガをして帰ってきたあのときが一番悔しかった。アテネではどんなレースをすることになるんだろうという期待と不安を抱きつつ、次はしっかりと準備をしていこう、と思ってやってきました。


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