2001/9/15 スーパー陸上
マイケル・ジョンソン現役最後の会見
『1人、名前を挙げるとしたらフレデリクスだ』


Q.最後のレースを走って感傷的になりましたか?
ジョンソン 特に感傷的にはならなかった。理解してもらえるかどうかわからないが、私のレースに対する気持ちと、皆さんの思いは違うと思う。私にとって大事なレースだったが、特に感傷的にはならなかった。
Q.走り終わったあと祈りを捧げられましたが、いつもと同じ祈りですか、違う祈りですか。
ジョンソン いつもと同じ祈りを捧げさせてもらった。
Q.今回はアメリカのユニフォームで走られましたが、特別な理由が?
ジョンソン 今年はずっとUSAのユニフォームで走ってきた。事故で来られないメンバーもいた。USAとして走りたかった。
Q.3番目で(実際は2番目)バトンを受けてトップに出られたわけですが、日本チームに負けるとか考えませんでしたか。
ジョンソン 確かにトップでバトンを受けることはできなかったが、私の仕事はベストを尽くして1番になることだった。日本チームが誰かとか関係なく、私の仕事は速く走ることだった。
Q.チームMJのメンバーが来日できず、新しいチームメートとなって、バトンを落とす心配はなかったですか。
ジョンソン とにかく安全に、しっかりバトンをつないでいこうということで走った。バトンをもらったときに1番でなかった理由の1つだと思う。今回、日本に来させてもらって最後のランをさせてもらったので、バトンは落としたくなかった。
Q.競技生活は長かったですか、短かったですか。そして勝ち続けられた要因は?
ジョンソン 私は10年、世界のトップスプリンターとして走ってきた。確かに長いと思うし、それだけの期間携われたのは幸せだと思う。そのことには自分でもプライドを持っている。長い間、○○(聞き取れませんでした)を持続できたから。
Q.レースが終わって、世界最高を出して、どんな気持ちでしたか?
ジョンソン レース後に車に乗ったのは初めてではないが、こういう機会はよかったと思う。今年1年、ファンと交流したいと思っていた。ファンも喜んでくれたと思う。
Q.もう一度、オリンピックに出場する可能性は?
ジョンソン 引退するとずっと申し上げているし、今年ずっと言い続けている。
Q.今後、どんなことを?
ジョンソン いっろいろなことに挑戦したい。15年間陸上だけをやってきた。1つのことでなく、いろんなことをやってみたい。
Q.コーチとして後輩を指導する可能性は?
ジョンソン コーチにはコーチとしての才能が必要だと思う。私にはコーチの才能はない。
Q.今後やりたいことを具体的に教えてもらえますか。
ジョンソン いくつかのことをやりたい。放送関係の仕事もそうだし、企業の広報的なこと、子供のタレント養成のためのコースに投資するかもしれない。
Q.ベストレースはどのレースだったと考えていますか。そして、特に影響を受けた選手はいますか。
ジョンソン 私にとってのベストランは、常に勝つこと、記録を更新することだった。誰に勝つかはその日によって変わってくる。1人を指名するとしたら、フランキー・フデレリクス(ナミビア)だ。大学時代からずっと一緒で、いつも彼と一緒にいい成績を挙げることができた。1人と言われたら、彼を挙げたい。
Q.今の気持ちをひと言でいうと?
ジョンソン ハッピー。
Q.難しいと思いますが、1つだけ自分の競技歴でハイライトと考えているレースを挙げてもらえますか。
ジョンソン 全てのレースが私にとってハイライトだった。
Q.91年の東京世界選手権200 mで優勝されたとき、表彰台で大粒の涙を流されていましたが、あれは初めて泣いた大会でしたか。
ジョンソン イヤ、何回か泣いたレースはある。
Q.その中でも、最初の世界タイトルだった東京が初めてだったのでは?
ジョンソン いえ、初めてではない。