2001/9/15 スーパー陸上
女子走高跳で14年ぶりの日本新
今井が
1m96!!
エドモントン予選落ちの理由と、そこからいかに立ち直ったか?  阪本コーチとの写真 今井のサイン

      1m80  1m85 1m90  1m93 1m96 1m99
ババコワ ○   ○     ○   ○    ×○  ×××
今井美希 ○   ○    ×○  ××○ ××○ ×××


 バーが揺れた。
「お尻のあたりがかすったんです。マットへ落ちながらも“やばい、揺れてるー”って思いました」
 しかし、バーは残った。今井美希(ミズノ)のこれまでの苦労を、口惜しさを、一気に吹き飛ばすような幸運だった。
 マット上で感極まったように、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ今井。目に涙をためている。一緒に1m96にトライしていたババコワ(ウクライナ)と抱擁する。しかし、そこからの今井は平常心を取り戻したかのようだった。
「ババコワさんから“次の高さがあるから、泣くのはあとよ”と言われて…」
 1m99は残念ながら惜しい跳躍はなかったが、気持ちが切れてまったくダメ、という跳躍ではなかった。
「99も気持ち的にはすごく積極的に行けました。今まで初めての高さだと身を引いてしまうところがありましたが、今日は気持ちよく挑めました。次のステップに進んでいる部分が、精神的にはあります」
 日本新を出して、さらに記録更新の手応えを感じた今井。彼女にとって、まさに最良の日だった。

 対照的に最悪だったのは、8月10日だった。1m88がクリアできなかった今井は、エドモントン・コモンウェルス・スタジアムのピットの脇で、両膝を抱えて座り込んでしまっていた。
「なんで跳べないのかわかりません。決勝には楽に進めると思っていました。体調はベストで臨んだし、身体も浮いていると思ったんですが。今はなんとも言いようがありません」
 ミックスドゾーンに引き揚げてきた今井は、放心状態だった。
「帰国して分析してみたんですが、エドモントンではアップの状態が今までにないくらい調子がよくて、それで浮かれてしまったところがありました。舞い上がってもいたかもしれません。ピットに入って自分の助走を全然分析できなかったんだと思います。エドモントンでは自分を信用できず、思ったことが怖くてできなくなっていました。誰かに頼りたくて、コーチばかり見ていましたし」
 それほど、世界選手権の今井は絶好調だったのだ。その絶好調ぶりと世界選手権の失敗を、阪本孝男コーチは次のように説明する。
「実際に記録は出ませんでしたが、今シーズンはいつ日本新を跳んでも不思議ではない状態でした。全ての動きがいいし、体力面のデータも全て自己新でした。世界選手権に向けてはおごりがあったのかもしれません。ガンガンいかないといけないのに、気分は世界のトップの仲間入りしたつもりになって、慎重にいってしまいました。考えてみれば、世界はみんな2m前後の記録を持っているんですよ。そのあたり、コーチが慎重になりすぎていたのが失敗でした。調子がいいんだから慎重にと。もっと、ガンガンいけと言うべきでした」

 カナダから帰国しても、しばらくはやる気が出なかった。「グラウンドに行きたくなくて、10日間はぼけっとしていました。ミズノの北海道合宿があって、そのときもそんなにやる気は出なかったんですが、周りが頑張っているのでやるという感じでした。やる気になったのは合宿の後半、9月になってからです。それも、頑張ろうというやる気ではなくて、悔しいからやろう、という気持ちでした。先に(日本新を)跳ばれたら精神的にもっと落ち込むような気もしましたし」
 今回の今井は、助走の開始位置を頻繁に変えている。
「1足長下げたり、3足長下げたりしていました。変えなかったのは、93のときだけです。エドモントンでは自信がもてず、そのへんの決断もできなかったし、慎重に慎重に、という気持ちが色んな点で自分に歯止めをかけていました。今回は、持っているものをもっと積極的に出そうと思いました。身体の切れも、跳躍自体もベストというわけではありませんでしたが、気持ちだけは跳んでやるんだ、と意気込んでいました。口惜しさとやる気が100 %でない部分をごまかすため、ジョッグ中も“大丈夫。お客さんも私を見るために来ているんだ”って、自己暗示をかけていました」
 しかし、技術的にいい点がまったくなかったわけではない。
「最後5歩のいいイメージが1m90から残っていて、それを消さないでいけたのがよかった」

「佐藤先輩を超えられた」
 競技が終了してから初めて、今井は偉大な先輩に思いを馳せた。87年を皮切りに、90年の5月、同年7月と1m95の日本記録を3回跳んでいるのが、佐藤恵だった。92年のバルセロナ五輪では女子跳躍種目初の7位入賞を果たしている。
 今井が日本記録を明確に意識したのは、97年の日本インカレだったという。その年に初めて1m90の大台をクリアすると、日本インカレは1m93で3連勝を果たした。
「そのときすごく惜しい跳躍をして、(日本記録も)すぐなんだと思いました。勘違いもいいとこでした」
 昨年のシドニー五輪は、1m92に成功したが惜しくも決勝に進めなかった。1学年上の太田陽子(ミキハウス)が1m94で予選を突破し、決勝は1m90で11位になった。オリンピックが終わってからも、苦しかったという。
「4年前と違い、去年、今年と実際に体力もついていたので、なんで跳べないんだ、早く跳びたいと焦っていました」
 今年に入ってからも、A標準を跳べないたびに「すいません。いつも同じような記録ばかりで」と、報道陣に対して頭を下げ続けた。
「(今日跳べたのは)やっぱり、口惜しさだと思います。やっと大きい山を越えられました。会心の跳躍ではありませんでしたが、エドモントンの口惜しさを全部ぶつけ、大胆な跳躍ができたと思います」
 これまで、太田と今井にとって、1m95が壁となっていた。今井が破れば、太田も続く可能性がある。もちろん、前述したように今井もさらに上の高さに対し、気後れはない。
「2mも正直、夢じゃない。ここ何年か、2mはきついかな、夢かなと思っていましたが、案外、行けるかもしれません」
 今井の一番にいい点は? と問われた阪本コーチは「僕らは女子では2mは無理かなとか考えてしまうんですが、それを真面目に考えている。高い目標を持っていること」と答えた。
 そういえば、同じミズノの室伏広治も次のようなことを話したことがあった。「現実的な目標というのも大事だが、自分の投げられるのはこの距離までと枠を決めてしまったら、練習でもそれ以上の発想は生まれない」と。