2001/6/10 日本選手権3日目
女子1万mは世界選手権を強く意識していなかった選手が1〜3位
有力選手は全員敗退


 女子1万mは、世界選手権を強く意識した選手が全員、敗退した。つまり、世界選手権に“絶対に出たい”と思っていなかった選手が1〜3位を占め、3人とも世界選手権A標準を突破するタイムだったので、自動的に代表に内定した。
 優勝した岡本治子(ノーリツ)と2位の小崎まり(同)は前日の5000mにも出場したし、3位の野口みずき(グローバリー)は、2週間前の東アジア大会ではハーフマラソンに出場している。一方、田中めぐみ(あさひ銀行)、高橋千恵美(日本ケミコン)、弘山晴美(資生堂)、藤永佳子(筑波大)らは5000mに出ず、この種目に絞ってきた。
 なんとも皮肉な結果になってしまったわけである。

 女子長距離は層が厚いと言われているが、ここ数年トラック種目の日本代表は、川上優子、弘山晴美、高橋千恵美、田中めぐみ、志水見千子、市川良子(=シドニー五輪代表の6人)が中心になってきた。新しい選手としては、99年セビリア世界選手権5000mに高校生として出場した藤永佳子がいるくらいだ。
 上位3選手に、「上記の選手たちに勝つつもりでレースに臨んだか、世界選手権をどのくらい強く意識していたか」を質問した。
岡本「2冠ができるとは思っていなかったので、すごく驚いています。監督からは“はまったら行ける”と言われていましたが、私自身は“とんでもない”と思っていました。しかし、走り出してみるといつもより動きがよくて、行けるかなと思って走っていました」
小崎「冬の感じでは、“うまく調子を合わせられれば、胸を借りて走れるかな”と考えていましたが、春になったらそれどころではなくて、“世界選手権は無理だろう”と自分の中では思っていました」
野口「本当はマラソンで世界選手権を狙っていたんです。それが、都道府県対抗(全国女子駅伝)のあと脚を故障してしまって。だかrといって、代わりに1万mで世界選手権とは、正直、考えていませんでした。“あわよくば”くらいです。3位以内に入れるとは、ちょっと意外です」

 俗に言う無欲の勝利、というものかもしれないが、これで彼女たちは“世界で戦わなければいけない立場”に置かれたわけである。上述のシドニー五輪代表たちは、それなりに世界で実績を残し続けてきたし、それに伴い“世界で戦う”意識も強くなってきた。
 野口は世界ハーフマラソンで入賞しているが、今回の3人が、トラックで“世界と戦う”意識にすぐなれるのかどうか。頭で、“戦わなければならない”と考えることと、世界を肌で感じて“この人たちと戦うんだ”と腹の底から思うこととは、明白な違いがある
 今から海外遠征をスケジュールに入れることは苦しいだろうし、いきなり予定を変更すると、逆に疲れがたまって体調がどんどん下降線を描く可能性が高い。少ない国際経験で臨んでともに入賞をした、96年アトランタ五輪の千葉真子(当時旭化成)と川上優子(沖電気宮崎)の例を参考に頑張ってほしい(川上は96年5月に初めて1万mを走ったのである)。

女子長距離はシドニー五輪代表が全員敗退も
男子400 mはシドニー組が上位に。入れ替わった1人は法大つながり


 シドニー五輪代表は、前日の5000mでも志水見千子(リクルート)と市川良子(東京陸協)が大敗。女子長距離種目に関しては、かなり悲惨な状態だった。
 だが、伊東浩司、山崎一彦、苅部俊二という職場を変えた選手を除けば、その他の種目のシドニー五輪代表たちは、順当に代表に選ばれそうな成績を残した(実際に内定した選手も多い)。
 男子400 mは5レーンの小坂田淳(大阪ガス)が200 mを21秒5で飛ばし、明らかにリード。1つ内側の4レーン、故障上がりの山村貴彦(日大)が1〜2mの差でホームストレートに出てきた。3レーンの今季台頭した新戦力、邑木隆二(法大)もそれを追う。しかし、最後の直線でグングンと追い上げたのは、外側、6レーンの田端健児(ミズノ)で、邑木、山村をかわして同学年の小坂田に続いて2位に。
 記録は45秒72。田端の自己ベストは45秒69。72、73、79、93と45秒台をそこそこ出しているし、46秒ちょっとならいつでも出せる選手。だが、なかなか45秒に近づけない。
「足りないのはやはりスピードです。現在200 mは21秒39がベストなんですが、21秒0台まで縮めておきい」と言う。
 小坂田は45秒26と、自己2番目の記録で快勝。田端が45秒72とぴったりA標準で、2位までが自動的に代表に内定した。3位の山村が45秒78、4位・邑木が45秒95で4人が45秒台のハイレベルのレースだった。この4人が世界選手権4×400 mRの代表に選ばれるのは確実(5位の佐藤光浩・仙台大が微妙)。昨年のシドニー五輪メンバーから、苅部俊二が抜けて、法大の後輩の邑木が入った形だ。
 日本人選手45秒台が4選手というのは、昨年9月のスーパー陸上に続いて史上2度目。その時は、山村、小坂田、田端、苅部の順。順位こそ違うが、やはり、苅部と邑木が入れ替わった形だ。