2001/6/9 日本選手権2日目
松島が2分03秒21の日本歴代2位
西村と白熱のレース展開で史上初!!
2人が2分3秒台
 レース編人物編

200 m 30秒2
400 m 1分01秒3
500 m 1分16秒3
600 m 1分31秒8
800 m 2分03秒21

<レース編>
 女子800 mで、西村美樹(東学大)が負けることを誰が予想しただろうか。
 今季の西村は、春季サーキットは1試合のみの出場で、兵庫リレーカーニバルに2分08秒15で優勝。ここまではこの種目の、ごく普通の光景だったが、その後が違った。
 5月12日の国際グランプリ大阪で2分02秒23(2位)と、日本記録を1.22秒も更新した。レースぶりがまた、これまでの日本選手とは違った。2月の日中対抗室内でもそうだったが、グランプリTでも西村は一時はトップに立つなど、外国勢を相手にまったく引こうとしなかった。
「結果が出るのは積極的に先頭を走ったとき」
 5月25日の東アジア大会でも、格上の中国選手を従えて先頭を走り、フィニッシュ直前でかわされたが2分03秒43と、前日本記録を再度上回るパフォーマンス歴代2位で2位となった。
 東アジア大会の日本選手2番手は、佐々木麗奈(中京大)で2分08秒98。佐々木は5月6日の水戸国際で2分06秒28の好タイムをマークして日本人トップとなった選手だ。その佐々木の高校(龍谷富山高)の後輩に当たる松島朋子(東海銀行)は、大阪GPで5位と、先輩の佐々木を初めて破った。しかし、西村との差は2秒40。これらの試合結果から、西村が日本選手権で負けることなど想像できなかった。

 そして、今大会も西村が得意パターンである、先頭を積極的に引っ張るレースを展開。通過タイムは冒頭に示したとおりだ。500mを過ぎると西村と松島のマッチレースとなり、最後の直線で西村が引き離すかと思われたが、松島も粘る。粘るどころか、徐々に並びかけて、最後には胸一つリードした。そして、そこがフィニッシュラインだった。

西村「いつも通り先頭に立って、ラストも頑張ろうと思っていました。松島さんはラストが強いので、力が残っていたらやばいかな、と思っていました。実際に並ばれたときは“来るな来るな”って思っていました」
松島「レース展開は2通りを考えていました。(100 mで)オープンになったところで先頭にいたら、譲らないでい行けるところまで行こう、というのが1つ。もう1つは、オープンになったところで前にいたら、その人から絶対に離れず、ラストで勝負しようというものです。自分のいつものパターンから、2番目の方が当たればいいなと、感じていました。実際、自分に合ったペースで、うまく噛み合って今日のレースができました。最後で並ぶことができれば、負けないだろうと。今日は本当に、考えていたことがそのまま達成できました。今年の一番の目標が日本選手権を取ることだったので、達成できて嬉しいです」

 松島の優勝タイム、2分03秒21は、西村の日本記録2分02秒23には約1秒の差があるが、セカンド記録の2分03秒43は上回った。もちろん、岡本久美子の前日本記録2分03秒45を上回る、日本歴代2位である。2位の西村も2分03秒29と自己2番目の記録。1カ月という短期間の間に、岡本の記録を上回る記録が、2選手によって4回も出されたわけである。1人が記録を破って記録保持者となると、周囲への影響は2通り考えられる。
 1つは「あの人は別格だから」と周囲が考え、新しい記録保持者が第一人者として、いつも2番手以下に差をつけて勝ち続けるパターン。もう1つは「あの人にできるのなら私にも」と、周囲が考え、新たな記録保持者に続いて好記録を出すパターンだ。

「大阪GPで2秒40もの差をつけられても、西村さんに勝とうと考えていたのですか?」と、松島に質問が飛んだ。
「大阪の時、タイム的にはだいぶ離されましたが、気持ち的には“この差か”と思っていました。この差なら、(次は)行けるかもしれないと。勝つときも負けるときもあるというか、勝負は1回1回わからないものだと思います。今日はたまたま勝てただけなのかもしれませんが…」
「(今季は)日本記録も塗り替えられると思っていたところで、西村さんが日本新を出したんです。それより上に行けるよう頑張りたいです」
 こう言う松島だが、先輩の佐々木ももしかしたら、同じことを考えているかもしれない。


<人物編>
「(練習の)違和感、ありましたよ。これは絶対、長距離の練習だって」
 東海銀行に移って来た当時のことを、松島朋子はこう振り返った。

 松島は99年のインターハイ女子800 m優勝者。そのときの2位は西村美樹で、タイムは2分06秒09と2分07秒08。松島はその2週間後、全国高校女子400 mHにも59秒33で優勝。2種目で99年の高校チャンピオンとなった。
 翌2000年は松島の地元、富山で国体が行われる。成年種目は800 mと400 mH。800 mには龍谷富山高で松島の2年先輩、佐々木麗奈(中京大)がいる。佐々木は97年のインターハイ400 m&800 mの2冠。ベスト記録は54秒56と2分05秒92。しかし、佐々木は卒業後、膝を痛めて1年後に手術する状態で、2年間、つまり松島が2種目で高校チャンピオンとなった99年までは低迷した。詳しい事情はわからないが、松島は2000年、大学にも実業団にも所属せず、富山陸協所属で競技を続けることになった。

 20世紀最後の国体、富山国体年が行われる2000年になって佐々木が、5月の水戸国際800 mで2分05秒00と復活。そのレース後に佐々木は、「ようやく高校時代の記録を破ることができました。でも、これは通過点。日本記録(2分03秒45)が目標です」とコメント。地元国体では佐々木が成年800 mで優勝し、松島は400 mHで4位(59秒98)だった。昨年は松島が、400 m、800 m、400 mHと3種目ともに自己記録を更新できなかったのだ。
 不調の原因を、松島は次のように振り返った。
「精神的に弱かったのだと思います。高校生の時は、一般の試合は“高校生だから”と開き直って走れて、高校生の試合は自信を持って走れました。でも、高校を卒業したら、“西村たち高校生に負けたらどうしよう”とか、“狙わないといけない試合だけど、記録が出せなかったらどうしよう”と、悪い方ばっかりに考えていました。故障はしていなかったので、高校時代より成長していたはずなんですが…」
 記録は出なかったが、地元で過ごした社会人1年間は故障していたわけでも、遊んでいたわけでもない。それが翌2001年、花開くことになる。

 地元国体が終わると、10月のうちに愛知に移った。しばらくリフレッシュして、11月から東海銀行・竹内監督のメニューで練習を始めた。その頃の感想が、冒頭に紹介した「違和感、ありましたよ。これは絶対、長距離の練習だって」というものである。
「富山にいた頃は、1日に走る距離は5kmもいかなかったと思います。今は1日15km走ることもあります。1本毎の距離も、本数も増えました。今は600mとかよくやりますが、富山ではやりませんでしたから。ずっとスピード練習はしなくて、シーズンに入ってからですね、300m、200m、100mという練習が入ってきたのは」
「初めは練習全部が不安でした。その中でも、スパイクを履かないので“大丈夫かな”って、一番不安だったと思います。富山でも、たまに雪をどかしてスパイクを履いていましたから。
 でも、シーズン最初の試合が2分10秒だったか11秒で、2試合目の兵庫で2分08秒台(西村と0.15秒差の2位)が出ました。昨年のベストより速かったんです。そして大阪GPで2分4秒台ですから、今は、この練習が合っているんだと信じてやっています。大阪GPのあともスパイクを履かず、昨日の予選のアップで初めて履いたんです。(スパイクを履かないのは、監督が)動きを見るのが目的じゃないかと思うんですが」

 1学年後輩の西村は、松島にインターハイで1秒差で敗れた年の秋、高2で早くも日本選手権を制した。昨年は2分04秒00と、当時の日本歴代2位をマーク。そして今年の活躍である。
 積極的なレースでこの種目の殻を破ったのは、明らかに彼女の功績である。だが、時代を切り拓く先頭に立った選手が、必ずしも世界に出ていく選手と同じとは限らない。もちろん、年上の選手が年下の選手を追い越してはいけない法律があるわけでもない。
 3年後のアテネ五輪に出場しているのは、佐々木かもしれないのだ。
 でも、西村のレースぶりはすごい。