2001/6/9 日本選手権2日目
3000mSCで久しぶりに快レース
岩水がB標準突破の8分26秒77、学生歴代2位


 3000mSCでこんなに気持ちのいいレースを見るのは、いつ以来だろうかと、かすかな記憶をたどってみた……ら、92年の日本選手権を思い出した。仲村明(富士通)がオリンピックA標準の8分29秒00に挑み、8分28秒98と見事に突破したレースだ。あのときも、記録を相手に手に汗握る展開だった。
 その後、日本選手が8分30秒を切ったのは、97年の国体で内冨恭則(中国電力)が8分26秒48を出した1レースのみ。このときもかなり盛り上がったのだが、いかんせん、世界選手権やオリンピックに直接結びつかないレースだった。
 その内冨は、98年のアジア大会、97年と今年の東アジア大会で優勝と、アジアのタイトルは取っている。しかし、世界一を決める大会には出たことがない。それだけに、今大会にも「B標準(8分29秒00)ではなく、A標準の8分25秒00が目標」と、言い続けてきた。

 今回、大会初日に行われる予定だった予選が、棄権選手が出たため一発決勝となった。だが、選手は招集所に行って初めて、そのことを知らされた。内冨は2日目の決勝より、夕方に行われる初日の予選で記録を狙っていた。拍子抜けしたことは想像に難くないが、その招集所である成果を得ることとができた。
「ドリウッチと、(1000m毎)を2分47秒で行くことを話し合ったんです。最初は自分が引っ張って、1200mくらいからドリウッチが引っ張ろうと。そのくらいで行ける自信はありました」

 レースは、功労者となった(こういう表現をする場合、結果を出したのは別の選手というニュアンスになることが多い)内冨は、予定通り1000mを2分47秒で引っ張った。予定通り、その後ドリウッチが先頭に出て、2000mは5分35秒の通過。その間の1000mは2分48秒で、これまた予定通り。ドリウッチに岩水嘉孝(順大)と内冨がつけていたが、内冨は2m、3mと遅れ気味。かろうじて食い下がっている。
 一方の岩水は、「記録を狙えるペースだったら、それに付いていく」作戦通りの展開。「総監督(沢木啓介順大総監督)からは、ラスト2周をしっかり走れ、勝ちに行け、と指示されていました」
 ラストの1周。内冨は2人と5m差となり、ちょっと苦しい。岩水の表情もきつそうだったが、ドリウッチから離れず、最後の直線で僅かに前に出た。そして、最後の障害でドリウッチが転倒。「勝負よりも、記録のことしか頭にありませんでした。水壕を越えてからペースを上げたんです」。8分22、23、24、25……。残念ながらA標準には届かなかったが、8分26秒77はB標準突破。1979年に出された8分25秒8の学生記録にも迫った。
 内冨もあきらめずに追走し、8分29秒63で2位。この種目を長年引っ張ってきた内冨の踏ん張りで、初めて日本人2人が8分30秒を切るレースが実現した。

 レース後の岩水は、次のようにコメントした。
「春先は調子が上がりませんでしたが、レースをする毎に調子も上がり、ゴールデンゲームでは1万mで大幅な自己新(28分26秒18)が出て、自信がつきました。1万mが走れれば3000mSCの記録が出るというものでもありませんが、自分は高校から3000mSCをやっていますので、走力が付けば自ずと記録が出ると思っていました」
 だが、岩水躍進の理由は、走力アップだけではない。
「去年はまだ、全部の障害で足をかけて跳んでいましたが、今年はスピードが上がったらかけずに跳んでいます。今回は仲村監督の指示で、1周目は浮いてしまうので足をかけてじっくりいきましたが、2周目からは基本的にかけずにいきました」
 岩水を指導する仲村監督こそ、92年の日本選手権でバルセロナ五輪A標準を切った、その人である。仲村監督は派遣枠との兼ね合いもあり、残念ながら五輪には出られなかった。しかし、前年の91年東京世界選手権には出場している。今回、岩水が監督に続いて世界選手権に出場する可能性が、かなり大きくなった。