2001/6/8 日本選手権1日目
畑山vs.中林 10cm差の男子円盤投同学年対決
特徴の出た2人の試合後のコメント
畑山『自分の中ではいつも、(勝負より)記録という感じでやっています』
中林『モチベーションとして、畑山君に勝つことが大きな要素』


 男子円盤投は畑山茂雄(ゼンリン)と中林将浩(法大)の同学年対決が、期待に違わず白熱した。
 2人の自己ベストは54m88(2000年)と54m15(2001年)。足跡を振り返ると、畑山がインターハイ優勝、インカレは日本・関東ともに2連勝、日本選手権も3回優勝と、タイトルを取り続けてきた。一方の中林はインターハイ出場経験がなく、法大入学後にインカレで入賞できるようになった。畑山と肩を並べられるようになったのは、昨年、自己記録を50m96から54m05に伸ばしてからだ。

 今大会、男子砲丸投、ハンマー投、やり投は、優勝候補の力が2番手以下を引き離しているため、今大会の男子投てき種目の中で最も激戦が期待されていた種目なのだ。
 2人の4投目までの試技内容は以下の通り。
畑山:49m32−54m19−51m63−53m43
中林: F −51m72−53m94−53m59
 50mラインを確実に大きく越していく2人の力は、3番手以降の選手とは、明確な差が感じられた。2投目の54m19で畑山がリードしたため、4投目以降は中林の方が試技順が先になっていた。
 5投目、中林の投てきに、観客席から歓声が上がった。法大関係者が陣取っていた一画だ。逆転か――?
 しかし、表示された記録は54m09。10cm及ばなかった。10cmといえば、手の親指と人差し指を広げたとき長さである。50m以上投げて、僅かにその差。中林の6回目が注目されたが、47mあたりに落下し、自らサークルを出てファウルに。
 畑山の3年連続4回目の優勝で決着がついた。

 競技後の2人のコメントが対照的だった。
 畑山「いいイメージができていたのですが、実際に投げてみると噛み合わないことが多かったんです。右足の接地点が弱冠、左によれていて、それが記録が出ない原因になっていました。そこを直そうとすると、他の部分が少しずれてしまい、1つを直すと1つダメになってしまいました。自分なりに思いっきり振り切れていますが、距離が出ません。55mが壁になってしまっています。(この日本選手権は記録と優勝と、どちらが目標だったか?)自分の中ではいつも、(勝負より)記録という感じでやっています。今大会も会社からは、優勝しろと言われていますが、記録を出せば優勝もついてくると考えていました」
 中林「(畑山選手に勝った回数は?)畑山君に勝ったことは、過去4回ありますが、そのうち3回は(畑山が伸び悩んだ)大学1、2年のときです。大学3年以降は一度も勝てませんでしたが、先月の大阪(国際グランプリ)で初めて勝つことができました。(最も僅少差の勝負は?)99年に草薙であった日本選手権が、9cm差でした。6投目に逆転されたんです。(畑山の「覚えていない」という表情に、「中林君はよく覚えているのは負け続けていたから?の質問)モチベーションとして、畑山君に勝つことが大きな要素になっています。そういうことがなければ頑張れませんし、自然と自分の意識に刻み込まれています」

 中林は、2年間休学してドイツ留学をした。単位も1つ、わざと残しておき、今年から法大に復学した。
「陸上で就職したいので、大会で人の目に付くことが就職活動だと思っています」
 2人の今後の軌跡が、どうまじわるのか、注目したい種目である。