2001/5/6 水戸国際
女子やり投・三宅が日本新 61m15!! 
旧規格の日本記録を上回る新世紀的快投!!



投てきの瞬間と“興奮状態”
 三宅貴子(ミキハウス)は6投目をリリースした直後、いつもと同じようにやりを見た。
「いつもならその辺にあるやりが、かなり向こうにありました。弾道も違っていましたね」
 やりは、60mラインをオーバーして着地。99年に女子のやりが新規格になってから、初めて日本選手の放ったやりが60mを越えた瞬間だった。ピット脇で何度も何度も、飛び跳ねて喜ぶ三宅。
 この日、4投目にファウルながら60mラインに迫る投てきを見せた三宅は、「感じをつかめて」きて、5投目に57m86と、99年に小島裕子(三英社)が出した57m79の日本記録を更新した。そして、6投目に歴史的な一投が投じられたわけである。
 世界選手権のB標準は59m00。6投目はその突破が期待されたが、B標準どころかA標準の60m30をも上回ったのだ。
「61mは自分でもかなりの驚きです。日本記録は破れるとコーチからも言われていましたが…。A標準を投げれば(代表の)可能性はあります。いいアピールになったと思います。今はまだ(世界選手権のことは)考えられません。終わったばかりで興奮状態で、考える余裕がありません。今は(この状態を)味わいたいんです」
 選考会でのA標準突破なので、「いいアピール」どころか、日本選手権で3位以内に入れば自動的に代表に決定する。仮りに3番以内に入れなくても、A標準突破者が他に出なければ、三宅が選ばれる可能性が高い。
不安材料と水戸の風
 この日の水戸は風が強く、やり投は追い風で行われていた。通常、円盤投ややり投は向かい風の方が有利とされているのだが。
「今の私には、追ってくれた方がよかったかもしれません。兵庫(リレーカーニバル)では向かいだったんですが、やりが上がるだけ上がって失速してしまいました。馬力があれば向かい風も気にならないのかもしれませんが、(私の場合)強い向かい風だと助走スピードが落ちてしまうんです」
 4月22日の兵庫では、ブロック動作で左足首をひねり、この日もその影響が懸念された。1、2投目までは痛みがあったが、徐々に集中するとともに、痛みも感じなくなった。
 今回は足首の痛みだったが、ここ数年、三宅はケガに泣かされ続けてきた。
「(記録の停滞は)ケガが大きかったですね。軽いヘルニアの腰痛と、そこから来る肩の痛み。どちらかが治れば、どちらかが痛くなる、その連続でした。痛めたのは、59mを投げた(96年)あとだったと思います。その前から、痛みはあったんですが。肩がはまらなくなって、手を振り回して投げた結果だと思います」
溝口コーチの指導でケガも克服
 三宅は卒業後も中京大で練習をし、同校の室伏重信監督がコーチであるが、94年のアジア大会頃から、男子やり投日本記録保持者で、かつて国際グランプリで年間2位になったこともある溝口和洋氏の指導も受けている。電話で連絡して練習メニューの相談をすることもあるし、陸連合宿に溝口氏が出向くこともある。そして、溝口氏が住んでいる京都で合宿することもあるという。
 教えてもらった一番重要な部分は、「言葉で説明するのは難しいのですが、投げるときにしゃくっていた点を、ちゃんと真っ直ぐにする」という点だという。技術的には、かなりいいところまできていると、師弟は感じていた。
 しかし、昨年10月の日本選手権優勝後、痛みがさらにひどくなってしまった。
「今年の2月まで、走っても痛い状態でした。上半身が動かせないんで、右側を動かさずに走ったりしていました。ウエイトもできません。投げてみて、痛くなかったことがないんです。もう、投げられないんじゃないかと思いました」
 そういった状態を克服できたのも、溝口氏の力が大きかったという。
「整体とか鍼とかで治療しました。それに、溝口さんのアドバイスで筋力のバランスがとれてきました。(上体のトレーニングができなかったのに記録が出せたのは)筋肉のバランスがとれて、動いていなかったところが動いたことが、良かったと思います。一番大切な部分が動いてくれたんです。今は、うまく肩がはまって、高い位置で投げられるようになりました。去年は週に1〜2回しか投げられませんでしたが、最近は週に3回投げても大丈夫です」
 師弟には、日本記録はケガさえなければいける感触があった。
「私ができる範囲の技術はついてきていると言ってくださって、それに近づいてきていると思っています。あとは投げて、力をつけてと考えていましたが、こんなに早く(日本記録が)出るとは…」

 ここまでの記録が出ると、次は国際舞台での活躍が期待される。その前に、60mを確実に自分のものとする必要がある。
「世界選手権へは、いいアピールになったと思います。今日の感触を思い出しながら、やっていきます」
 室伏広治(ミズノ)1人だけだった世界に挑む投てき選手に、中京大時代の同級生である三宅が、仲間入りした。そういえば、大学2年時に行き詰まりを感じていた室伏が、立ち直るきっかけとなったのも、溝口氏とともに行なった猛練習だった。