寺田的陸上競技WEBスペシャル
[PR]創業10周年を迎えたインプレスランニング
人との“縁”を感じながら
世界へ羽ばたく日本人選手を献身的にサポート
 




インプレスランニングがサポートしてきた遠征と活動<写真:インプレスランニング>

 エージェント(代理人。ARとも言われる)という職業が陸上界でまだ広く認知されていなかった2010年頃に、柳原元はインプレスランニングを創設しエージェントとしての活動を開始した。主な仕事は日本人選手が海外の試合に出場するときの交渉役で、エージェントの働き次第で選手が大会に出場できることになったり、短距離種目であれば良いレーンをとれたりする。だが柳原のやりたかったのは、それだけではなかった。海外合宿や外国人指導者とのマッチングなど、日本選手が世界的に活動することをサポートし、陸上界に貢献することだった。大塚製薬、大阪ガス、Hondaと、各チームへのサポートの具体例を紹介することで、柳原たちインプレスランニングの活動と陸上界への思いを紹介していく。

◆1◆大塚製薬:
上門のベルリン・マラソンとトラックのNZ遠征をサポート


@ベルリン……練習場所の選択肢が増えた
 上門大祐(大塚製薬)が昨年(2020年)3月の東京マラソンで2時間06分54秒を出したときに受けた感動は、マラソンを継続して見ている人間ほど大きかっただろう。大塚製薬の犬伏孝行監督は1999年に日本人初の2時間6分台(2時間06分57秒)を出した人物で、選手とその指導者が2時間7分を切った初めてのケースとなった。
 その上門が、犬伏監督が当時の日本記録を出したベルリン・マラソンに挑んだのが、2018年9月だった。前年(2017年)12月の福岡国際で2時間09分27秒と自身初のサブテンをマークし、19年のMGC(東京五輪最重要選考会。代表3人中2人が決定)出場権を得た。犬伏監督は「MGCまでに色々な経験をさせることが目的でした。ベルリンは世界記録が何度も出ている大会ですし」と出場理由を説明した。実際、18年大会ではエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間01分39秒の現世界記録を出している。
 上門の結果は後述するが、その遠征をサポートしたのがインプレスランニングだった。代理人として柳原が、選手の移動・滞在・出席イベントなどの出場条件を数カ月前から大会主催者と交渉し、選手のモチベーションが上がる内容で契約した。
 現地にも帯同し、主催者と接触時のアテンド、公式行事出席やスタート場所への移動の詳細などの情報確認、練習場所や食事の手配などを行った。インプレスランニングにはベルリン在住のスタッフもいるため、かなり細部にわたって情報提供が可能になった。
18年のベルリン・マラソンに出場した上門。海外では初めてのマラソンだった<写真:インプレスランニング>
 その印象を犬伏監督は次のように話す。
「僕が99年にベルリンに行ったときは、主催者に場所を確認して自分で行くしか練習する方法がありませんでした。そのあたり柳原さんが複数の練習場所を見つくろって情報提供をしてくれたおかげで、練習場所の選択肢も増えましたね」
 食事の面も、日本食レストランの場所や営業時間など、細かい情報を提供した。レース当日も、現地在住のスタッフがお米のご飯で、弁当を用意した。
「夜明け前のかなり早い時間に作っていただけたので、本当にありがたかったです」
 インプレスランニングでは出場交渉など代理人業務だけでなく、選手がいかにスムーズに海外遠征や合宿ができるか、という点に心を砕いてサポートしている。
「できるだけ日本に近い環境を提供したいと思っています。選手の持っているパフォーマンスを最大限に発揮して欲しいからです」(柳原氏)
 選手個々が頑張れば、日本の陸上界全体が盛り上がる。それがインプレスランニングの願いでもある。

@ニュージーランド……トラック遠征のマラソンとの違い
 昨年2月には、大塚製薬3000mSCコンビの松本葵と打越雄允のニュージーランド遠征(15日ハミルトン大会1500m、23日オークランド大会3000mSC)も、インプレスランニングがサポートした。「世界ランキングを上げること」(犬伏監督)が目的の遠征だった。
 東京五輪は過去の大会と比べ標準記録が極めて高い。3000mSCなら8分22秒00と、日本歴代5位に相当する。種目毎の出場人数が決められていて、その半分程度が標準記録突破者で埋まるように設定され、残りは世界ランキングの上位者が選ばれる。
 世界ランキングは記録をポイントに換算したものと、各大会のグレードによって異なる順位ポイントの合計で決まる。選手としては当然、ポイントの高い大会に出場したい。だが冬期の北半球では室内競技会などは行われても、3000mSCは行われていない。
 選手のレベルと目的に適した大会を探し、出場できるように交渉する。代理人の腕の見せどころでもある。
「2020年の2月くらいに3000mSCのレースに出場したいと、前年の9月か10月に柳原さんに相談して、柳原さんに候補となる大会をピックアップしてもらいました。どの大会も、過去何年ものデータを用意してくれるので判断しやすかったですね。そういったことをすぐにできるのは、大学・実業団でマネジャーの経験があるからでしょう」
 柳原の経歴はインプレスランニング社のホームページに掲載されているが、京産大と八千代工業、Hondaでマネジャーを経験している。現場にとって必要なデータが何か、すぐに理解できるのだろう。
20年2月にニュージーランドで打越らが出場した3000mSC<写真:インプレスランニング>
 この遠征は、柳原ではなくインプレスランニング・スタッフの西田孝広が同行した。西田の経歴はで詳しく触れるが、通訳、国際プロジェクト・コーディネイター、芸術家など多くの顔を持つ。柳原は同時期に米国の室内大会やオレゴンでの仕事があったため、信頼する西田にニュージーランド遠征の仕事を一任した。柳原と西田の出会いや両者の関係も、インプレスランニングには重要な意味を持つ。これもで紹介したい。
 トラック種目の遠征でマラソンと違うのは、練習場所としてトラックを必ず使うことだ。今回、オークランドでは大会会場が使用できなかった。しかし西田がニュージーランド陸連と連絡を取り合い、それまでの期間は、陸連事務所や国立トレーニングセンターが併設されているオークランド工科大学ミレニアム・キャンパスのトラックを使わせてもらうことができた。
 宿泊ホテルについても、トラックの競技会では出場人数が変更になる関係で、ホテルや主催者から部屋の変更を要請されることもある。部屋を移ることもストレスを感じることだが、その際に部屋の広さやタイプを交渉することもストレスになる。それを代理で行う人間がいるだけで、ずいぶん違ってくるという。
 遠征結果は、打越がオークランドの3000mSCで8分38秒43の3位。自己セカンド記録を出し、「考えていた通り、ポイントの上乗せができた」と犬伏監督も所期の目的達成を評価していた。

ベルリンで日本新の犬伏監督から上門に
 話をベルリン・マラソンに戻すと、上門の結果は2時間11分07秒で8位だった。2時間10分を切ることもできなかったし、2時間6分台だった犬伏監督とは比べるべくもない。 MGCへの経験を積む目的だったが、結果的にもMGCも11位で五輪代表権を獲得できなかった。
「もともと、高校・大学で全国トップの実績を持った選手ではありませんでしたし、トラックの記録もそれほど速くありません。上門にはやって来たトレーニングや、経験で自信を持たせようとしました。MGC出場権を早い段階で獲得できたので、世界ハーフに出場したり、陸連合宿に参加したりして経験値を上げてきましたが、ベルリンもその一環です。その効果は現れて意識が徐々に変わってきたのですが、本質的なところ、根本のところで変われたのは、今年の東京マラソンからですね。経験を重ねて東京で2時間6分台を出したことが明確な自信になったようです」
 結果に反映されるのは、選手自身の取り組みや頑張りだ。だからインプレスランニングでも、1つの大会だけでなく、長期的にサポートをしたいと考えている。
18年ベルリン・マラソンに遠征した上門(右)と犬伏監督<写真:インプレスランニング>
 ベルリンの上門も、自身初の海外マラソンだったこと、ハイレベルの選手が多数集まるなかで8位に入ったことは、悪い結果ではなかった。11位だったMGCはピークが早く来てしまい、本番では調子が下降気味だったという。
 しかし東京マラソンでは、派遣設定記録が2時間05分50秒と高いレベルに設定されたので、そこに挑むために速いペースに自信を持てる練習を積み重ねた。
「1km2分57〜58秒のペースに自信を持つことが必要です。僕の頃は1km3分00秒でしたが、上門は2分57〜58秒を意識したトレーニングを積んできました」
 上門の2時間6分台は、犬伏監督とは違ったアプローチだった。そうしたいくつもの経験が、東京マラソンに結びついた。
 経験を積み上げて自信とするタイプの上門にとって、ベルリンのレースも、世界記録を樹立したE・キプチョゲ(ケニア)らと一緒に走ったことが、なんらかの経験になっていたに違いない。

◆2◆大阪ガス:
ヨーロッパで60m室内日本新を出した川上を日本からサポート


室内日本新は予定外の転戦の結果
 川上拓也(大阪ガス)が60m室内日本新の6秒54を出したのは、一昨年(2019年)2月16日のワールド・インドアツアー・バーミンガム大会(英国)だった。しかしその大会は当初、川上の遠征スケジュールに入っていなかった。
 川上は2月9日のベルギー・ヘント(6秒64で優勝)と、同11日のアイルランド・アスロン(6秒58の自己新で2位)の2試合に出場した。アスロンで優勝したのは100mアジア記録(9秒91)を持つ蘇炳添(中国)だったが、川上の走りも強いインパクトを残した。レース後にバーミンガム大会のディレクターから声をいきなりかけられたのだ。ワールド・インドアツアーは室内大会の最上位カテゴリーである。
 だが帰国便を変更すれば飛行機代がかかる。移動や滞在も費用が発生するが、声をかけてきた男性は主催者が負担すると話しているようだった。川上の気持ちが動いた。アスリートとして少しでも上のグレードの大会で戦いたい、と思うのは当然だ。自身の強化プランにも合致した大会である。
 その場で出場を要請されたのは理解できたが、出場条件など細かい交渉を川上自身がすることは難しい。すぐに小坂田淳監督の指示を仰ごうとしたが、日本時間が深夜だったために小坂田監督と柳原にメールで連絡した。
19年2月のワールド・インドア・ツアー・バーミンガム大会で川上(左)は、走高跳日本記録保持者の戸邊直人(右)と、ホテルで同室となった<写真提供:戸邊直人選手>
 柳原の行動は迅速だった。早朝にバーミンガム大会主催者に連絡し、小坂田監督にも出場条件などを連絡した。小坂田監督は「柳原さんは行動も早いし、僕らに交渉状況を詳細に連絡してくれるので、社内の調整もしやすいんです」と、インプレスランニングの対応の早さに感謝している。
 小坂田監督の判断も早かった。川上に連絡を取り「これはスゴいことだぞ。コンディション調整が大変かもしれないけど絶対に出よう」と、すぐに滞在延長を決定した。柳原が日本から主催者と交渉して細部を詰め、4日後のレース出場が決まった。
 川上はバーミンガム大会で、大阪ガスの先輩である朝原宣治さんが1997年に樹立した6秒55の室内日本記録を、22年ぶりに更新。歴史的な快走だった。朝原氏によると社内でも、「よくやった!」という声が聞かれたという。

2020年も室内最高峰の4試合に遠征
 川上が室内の60mを強化プランとして重視し始めたのは、武器であるスタートダッシュに研きをかけ、4×100mRの1走として代表入りを実現させるためだ。
 リオ五輪で銀メダルを獲得した日本の男子短距離陣は現在、多くの有力選手がひしめいている。特に川上の学年はゴールデンエイジで、17年に日本人初の100m9秒台を出した桐生祥秀(日本生命)と、18年アジア大会200m金メダリストの小池祐貴(住友電工)の2人が9秒98を出している。桐生は昨年の日本選手権も制した。
 そこに9秒97の日本記録保持者であるサニブラウン・アブデル・ハキーム(タンブルウィードTC)、リオ五輪の1走の山縣亮太(セイコー)、昨年の日本選手権2位のケンブリッジ飛鳥(Nike)らが加わる。1走候補としては、川上と同じようにスタートダッシュを得意とする多田修平(住友電工)もいる。
 個人種目の五輪代表になるには標準記録(100mは10秒05)を突破して今年6月の日本選手権で3位以内に入ることに加え、日本選手権で3位に入っておき、ワールドランキングで各種目の出場人数枠に入る方法がある。室内60mでも100mのワールドランキング・ポイントを積み重ねることができるのだ。小坂田監督は「ポイントで代表圏内に入り、日本選手権で一発、3位以内を狙います」と川上の代表入りプランを語る。
 仮に100mの代表を逃しても、日本選手権で4〜5位に入れば4×100mRの1走に選ばれる可能性はある。
20年2月の世界室内ツアー・ドュッセルドルフ大会男子60mに出場した川上<写真:インプレスランニング>
前年に続き20年の世界室内ツアーを転戦した川上。写真はドュッセルドルフ大会<写真:インプレスランニング>
 2020年もインプレスランニングが、ワールド・インドアツアー4試合への出場を確保した。「前の年のバーミンガムの実績をアピールして、柳原さんがレーンを取ってくれました」
 昨年の川上は「結果を残さないといけない、と考えすぎた」(小坂田監督)こともあり、前年より記録が低下し、6秒7台しか出すことができなかった。4大会とも決勝に進めずポイントを上積みできなかったが、海外レースの経験値は確実に上がった。21年の川上は19年のように室内競技会で結果を出し、ポイントを上積みするだろう。

選手自らがやる伝統を側面からサポート
 2019年のヨーロッパ遠征は途中までチームメイトの猶木雅文も一緒に行動していたが、昨年は猶木が国内の合宿で400mの走力アップに取り組んだため、川上は単独で4試合を回った。両年ともインプレスランニングのスタッフがスケジュール的に帯同できなかったわけではなく、大阪ガスが選手に社会経験を積ませる判断をしたのである。
「セカンドキャリアに生かせるように、海外での移動や大会主催者との簡単な接触は、選手たちに自分でさせています」と小坂田監督。
「朝原の頃からの大阪ガスの伝統ですね。もちろん、夜中の移動などがないように、安全面はしっかり考慮します。予算のことも、川上のバーミンガムのときのように使うべきところは使いますが、何でも許されるわけではありません。費用対効果を考えないといけないことは厳しく言っています」
自主的に勉強して資格を取るなど、大阪ガスの社員としても評価されている川上
 だが単独行動している選手だけでは、情報収集が十分にできないこともある。例えば本番会場で練習ができる時間帯など、大会本部ホテルにはロビーなどに貼り出されたりするが、独自でホテルをとった場合は情報が収集しにくくなる。室内競技会はトラックがその大会だけのために設営されるケースも多く、試合会場での練習ができないことも多い。
 そういったケースでは柳原らインプレスランニングのスタッフが、主催者に電話やメールで情報を確認する。場合によっては近くで練習ができる公園などを探したりもする。競技場が練習時間以外だったが、交渉で使えるようになったこともあった。
「時差などもあって連絡が後手、後手になりがちなのですが、柳原さんにそこをフォローしてもらえるのですごく助かっています」
 選手が自身の判断で行動していくための支援をリモートで行う。それもインプレスランニングのサポートの1つの形である。
 大阪夢プログラムのサポートも、同様の形で行ったことがあった。大阪陸協が東京五輪を目指す大阪陸協登録選手たちを独自に支援するプロジェクトで、その1人である女子やり投の佐藤友佳(ニコニコのり。2020年の日本選手権優勝者)は、冬期に南アフリカで長期合宿を敢行した。
 最初に先方の受け入れ態勢などをインプレスランニングが交渉するが、あとは選手が現地に行って自身の判断で進めている。柳原らがときどき確認の連絡をしているが、ほとんどは選手自身が現地のスタッフと相談しながらトレーニングを行う。
 柳原は大学、実業団チームのマネジャーだった経験から、選手や指導者の想いを察知することができる。選手や指導者に寄り添う気持ちを持つことができるから、実情に合ったサポートができるのだろう。

◆3◆Honda:
海外遠征サポートと中距離選手のBTCへの強化委託


 Hondaは藤原正和(現中大監督)や石川末廣、設楽悠太らを輩出してきた強豪チームである。藤原は03・13・15年の世界陸上マラソン代表で、石川は16年リオ五輪マラソン代表。設楽はマラソン前日本記録(2時間06分11秒)保持者で、リオ五輪は10000mで出場した。トップレベルで活躍する選手が多く、強化方法は多岐にわたる。
 Hondaに対するサポートにも、インプレスランニングの特徴がよく現れている。その例として藤原の13年世界陸上モスクワ大会時の下見、19年のゴールドコースト・マラソンのアテンド、荒井七海のBTC(米バウワーマン・トラッククラブ)キャンプへの長期的な参加の3つを紹介したい。
19年のゴールドコースト・マラソン大会前の記者会見<写真:インプレスランニング>

モスクワ世界陸上マラソンコース下見
 藤原のモスクワ世界陸上コース下見が、で紹介した西田孝広のインプレスランニング初仕事だった。柳原はロシアに関しては経験も人脈もなく、Hondaからの下見アテンドの依頼を受けるか迷っていたが、その年に知り合った西田が複数のモスクワ在住の知人ネットワークを持っていることから、インプレスランニングとして引き受けることにした。
 Hondaの小川智監督は「西田さんは『ロシア語はつたないですから』とおっしゃっていましたが、日常会話以上のコミュニケーション能力でした」と、そのときの印象を話す。
「マラソンコースの細かい路地まで案内してもらいました。競技場も西田さんに交渉していただいて中を見ることができましたし、日本食のレストランや、スーパー、コインランドリーの場所など、生活に必要な施設もロシア人のお知り合いのネットワークで調べていただきました。大学の生協で自転車を借りられたことも、練習で大いに役立ちましたね」
 下見は6月に行ったが、競技場内はまだ工事中だった。日本から来たモスクワ世界陸上の代表選手で、下見が目的であること、短時間で済む用件であることなどを西田が粘り強く説明し、了解を得ることができた。
 ロシア人は旧共産圏ということもあり、公的機関の窓口の人間など少しお堅いイメージがある。小川監督もそう思っていたが、西田が紹介するロシア人の多くが親切で、丁寧に応対してくれ、日本語を話せる者も数人いたという。
「以前から駅伝やマラソンの国際大会の通訳をされていた方ですが、練習など現場に合わせて動かれるのは初めてで戸惑いもあったと思います。それでも我々の細かい要求に120%で返していただきました」
 細かい部分まで配慮ができる西田は、それ以降インプレスランニングにとって欠かせないスタッフとなっていく。

19年ゴールドコースト・マラソン(豪州)のサポート
 モスクワ世界陸上から6年。2019年7月のゴールドコースト・マラソンも、インプレスランニングとして西田がHondaの遠征をサポートした。設楽が2時間07分50秒の大会新記録で優勝した大会だ。そのレースに木村慎(8位・2時間12分12秒)も出場し、途中で転倒して不本意な成績となってしまったもののハーフマラソンの部で田口雅也も走った。
 設楽は2カ月後の9月15日にMGC(東京五輪マラソン代表最重要選考会。2人が代表に決定)が控えていたが、「MGC前の実戦的な練習」(小川監督)という目的で遠征した。Hondaとしては初めて出場する大会だったが、柳原が近年のリザルツを調べ、優勝争いをすれば「2時間8分前後の記録になる。無理をしないで走れる」と小川監督が判断した。
 練習と位置づけたレースで2時間7分台を出す設楽もすごいが、3月に初マラソンを走った木村も「年に2回くらい走って経験を積んでいく」ために出場し、その経験を次につなげることに成功した。昨年3月の東京マラソンでは2時間07分20秒(11位。日本人5位)と、大幅に自己記録をアップさせたのだ。
19年のゴールドコースト・マラソン遠征時の西田と設楽悠太<写真:インプレスランニング>
 小川監督はゴールドコーストの西田のサポートについて、「特に印象に残っている出来事はないんです。いつも通りにサポートしていただいた」と振り返る。何度か西田と一緒に行動し"こういった部分は普通にやってもらえる"と、信頼が大きくなっていることの裏返しだろう。
 小川監督も陸上競技に関する英語はある程度理解でき、レース前日にペース設定などが決まるテクニカルミーティングで不自由することはあまりない。タクシーもインターネットアプリで呼ぶことができる。
 練習場所も、ポイント練習以外は選手たちが各自でコースを見つけて走る。特に設楽は、一度走った道や方角を感覚的に理解し、絶対に迷わずに帰ってこられるという。
 だが、レースの数日前に設楽がトラックでペース走をすることになったときは、西田の人脈が役に立った。以前、インプレスランニングがサポートした大阪夢プログラムで、ゴールドコーストの大学のコーチと接点があった。そのコーチに連絡をして、大学のトラックを使用できたのだ。
 またレース後にはバーナード・ラガト(米国)のコーチが、木村に感謝をしたいと、選手控え室で西田に話しかけてきた。ラガトは5000mで12分53秒60の北米記録を持ち、16年リオ五輪は5位に入賞した選手。マラソンは、44歳で出場したゴールドコーストの2時間12分10秒が自己記録だが、昨年2月の五輪選考レースに出場している(18位。2時間14分23秒)。
 おそらく、東京五輪をマラソンで狙っていたのだろう。そのステップと考えていたゴールドコーストで、ずっと木村と併走したおかげで合格点の結果を残すことができた。フィニッシュ後、木村はホテルに戻ってしまっていたので、コーチが望んだその場でのお礼は叶わなかったのだが、夕食前にHondaチームがホテルのロビーに集合していたところに、おしゃれな外出着に身を包んだラガトが現れた。西田がすかさず捕まえて木村と引き合わせ、2人はあらためて健闘を讃え合うことができた。その後も2人はSNSを通じて交流している。
 他の大会でも日本人選手が海外トップ選手に質問をしたいときなど、西田がソフトな物腰でお願いをすると、海外の一流選手でも足を止めてくれることが多い。これは西田が多くの国際大会で通訳やマネジャーを務めてきた縁で面識のある選手が多いことに加え、人と人の間を取り持つような通訳ができるからだろう。

1500m荒井七海のBTCでの強化
 柳原がHondaとBTCの橋渡しを行い、結果を出しているのが1500mの荒井七海である。19年1月からBTCを拠点にトレーニングを積み、7月の米国アズサの大会で3分38秒18の日本歴代5位をマーク。日本記録に0.76秒と迫った。
BTCでの強化で海外レースでも成果を挙げている荒井<写真:インプレスランニング>
 荒井は東海大3年時(2015年)に日本選手権で優勝したが、その後は伸び悩んでいた。Hondaのコーチングスタッフは自分たちで強化することにこだわらず、世界トップレベルの実績があるBTCに委託した方が効果はあると判断した。
 米国のコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞したこともあるジェリー・シューマッカー氏が指導するBTCには、米国以外にもカナダ、イギリスなどから選手が参加している。19年の世界陸上ドーハ大会には男子5000m銅メダルのモハメド・アーメド(カナダ)、女子1500m4位のシェルビー・ホウリハン(米国)ら7人が入賞した。
 厳しさはもちろんあるが、雰囲気はアットホームなチームだという。10000mで米国歴代3位(27分04秒72)を持つロペス・ロモング(米国)は親日家で、荒井にも練習から日常生活まで、細かくアドバイスをしてくれている。中距離選手ではリオ五輪男子1500m金メダルのマシュー・セントロウィッツ(米国)がいて、荒井と一緒に練習を行っている。
 Hondaとしても荒井は短期間の渡米を繰り返すのでなく、ずっと米国でトレーニングを続ける方が良いという決断をした。全面的にBTCに任せ、BTCのノウハウもHondaのトレーニングに吸収しようとした。
 荒井は2019年のニューイヤー駅伝が終わって、すぐに渡米した。BTCの拠点はオレゴン州ポートランドだが、合宿に行くことも多い。そこでは選手たちが自ら車を運転して練習場所に移動する。食事も3食、選手たちの自炊だ。スタッフはポイント練習は見に来るが、それ以外の練習は選手だけで行う。メニューもWhatsapp(日本のLineのようなアプリ)のグループで通達される。
 選手の自主性が重要になるスタイルだが、その点はHondaも同じだった。小川監督は「荒井はもともと研究熱心で、トレーニングだけでなく食事や生活の仕方も含め、自分で積極的に取り組んでいました。そこをさらに深める感覚で行かせました」と、選手の資質も見て米国に送り出していた。

世界のトップチームに飛び込む意味
 柳原はBTCでトレーニングを行うことの有効性を、次のように説いている。
「海外の練習メニューを知りたいと思ったら、ネット上にトレーニング文献はいくつも出ています。しかし実際のチームに飛び込むことで、練習メニューや論文からは得られないことが多くあります。プロとして競技に取り組む姿勢だったり、選手としての感性の鋭さだったりを、肌で感じることができるのが大きいと思います。もちろん順調に行くことばかりではありませんし、落ち込むこともあるでしょう。でも、そこから這い上がるプロセスも貴重な経験になるはずです」
 荒井はその環境に飛び込んで練習を始めたが、脚の痛みなどをBTCスタッフに伝えたいときなど、細かいニュアンスを伝えきれないこともある。そういったケースでは柳原が間に入り、荒井の状態を細かく説明したりもする。
 現地で生じた問題は選手が自力で解決するのが基本だが、上記のように選手に連絡することは怠らない。柳原が米国に行くときはキャンプを訪ね、食事をしながら選手の愚痴を聞くこともある。選手、Honda、BTCの3者が、インプレスランニングを介して意思疎通をスムーズに行っているのだ。
シューマッカー・コーチからアドバイスを受ける荒井<写真:インプレスランニング>
 小川監督によれば、以前は治療に頼っていたところがあった荒井だが、BTCに行ってからはセルフマッサージなど、自身でケアすることにより積極的になったという。
 それでも、日本人トレーナーによる治療が必要になることもある。"どうしても"という場合は柳原が懇意にしているトレーナーに協力を依頼し、米国まで飛んでもらう。そうした人脈もインプレスランニングの特徴だ。
 小川監督はビザの更新や日本選手権などで帰国した荒井を見て、「小さなことに動じなくなりました。自分から取り組む姿勢も強くなったと思います」と、変化を歓迎している。
 トレーニング方法も考え方も、新しい引き出しを持つようになった荒井。インプレスランニングの目的であるグローバルな視野を持つ人材の育成が、成功しつつあるケースだろう。

◆4◆設立10周年を迎えたインプレスランニングが広げてきた人の輪

初仕事は2013年モスクワ世界陸上コース下見だったスタッフの西田
 西田孝広のインプレスランニング初仕事がで紹介した、13年モスクワ世界陸上マラソンコースを下見するHondaチームのアテンドだった。
 その後のサッカーW杯開催などを経て近年は英語の標識や情報も増えてきたが、ロシア語以外での情報収集が難しかった当時のモスクワで、コインランドリやスーパー、コンビニといった現地での生活に必要な施設の情報を素早く入手したり、工事中の競技場の関係者に事情を話して中に入れてもらったりした。自転車を大学生協から借りて練習に活用したが、普通の旅行者にはわからないことだった。モスクワ在住者のネットワークを駆使したサポートぶりに、Hondaのスタッフも感銘を受けた。
 西田がスーパーマン的な能力の持ち主で、それらのサポートがいきなりできたわけではない。それまでの経験や人脈があったからできたことである。
 西田は福岡県出身。上智大外国語学部英語学科を卒業後、ニューヨーク市立大学で絵画、スタンフォード大学で東アジア研究の修士号を取得した。その後はスウェーデンの通信機器メーカーやIT系コンサル、日米を代表するアニメーション・スタジオなどさまざまな業界で「日本と外国の橋渡しをする仕事」を経験してきた。ダブリン(アイルランド)、ストックホルム(スウェーデン)、ウィーン(オーストリア)、コペンハーゲン(デンマーク)など、ヨーロッパの複数都市に滞在し、知り合った友人にはロシア人も多数いた。
「スウェーデンで初めてロシアの人たちと出会ったときに思ったのですが、彼らも最初は自分たちだけで固まって、あまり心を開かない。ロシアに行っても、サービス業の人たちでさえ、ほとんど笑わないんです。よく知らない人間と話すときは警戒を解かない。でも徐々に打ち解けていったん友人の輪に入ると、本当に親身に面倒を見てくれるようになります。友人の多くが、奨学金をもらって留学していた学生や大手メディアのジャーナリストだったので、彼らの語学力や人脈にも助けてもらいました」
 Hondaの小川智監督が「西田さんが紹介するロシア人の多くが親切で、丁寧に応対してくれた」と話していたことと一致する(参照)。丁寧に人と接する西田の人柄だから、西田の頼みに応えてくれる人たちがモスクワに複数いたのだろう。

関わった選手の活躍がやり甲斐
 インプレスランニングの仕事を行うとき、西田はどんなことを心がけているのだろうか。
「競技やトレーニングについては監督やスタッフの指示で動きますから、ハプニングなどがあって対応が求められるとき以外は、私が何か意見を出すことはありません。試合では選手がストレスなく、集中して臨めるように、つかず離れずの距離感を保ち選手の様子を見守ります。交渉などが必要なときはしっかりサポートし、大会サイドと円滑な意思疎通ができるようにパイプ役となります。主催者と選手の信頼関係が築けるように心がけています」
 西田と一緒に遠征した指導者たちも、西田の仕事ぶりや人柄を高く評価する。
「我々が気づく前に、交渉事を先回りしてやってくれます。昨年のニュージーランド遠征は僕が前半で帰国しないといけなかったのですが、西田さんがいてくれたから安心して後を託すことができました」(大塚製薬・犬伏孝行監督)
「たまにしかお会いしませんが、いつも一緒にいるスタッフのような方です」(Honda・小川智監督)
20年のニュージーランド遠征時の西田と同国出身の1500m五輪メダリスト、ニック・ウィリス<写真:インプレスランニング>
 クライアントから何を求められているか、理解度が深く、それに見合った対応ができるから上記のような評価を得られるのだろう。
 多くの国で多くの経験を積んでいることが自然とにじみ出るので、西田と話したがる選手もいると聞く。「経験の中で築き上げた人間性というか、人としての深みがある」という評価も聞いた。
 自身も絵画の筆を取るアーティストで、一流ホテルの壁に作品を提供したりしているが、語学を生かして人と人をつなぐ仕事を中心に行ってきた。自身が関係した人たちの仕事や生活に役立ち、その人たちに少しでも喜んでもらえたら、自身も喜びとする。そんな考え方をする男だ。
 インプレスランニングの仕事をするようになり、「関わった選手がその後、活躍してくれること」が西田のやり甲斐になった。
「一緒に行った大会に限らず、その後の大会で好成績を出してくれるとうれしいですね。また一緒に海外遠征に行けるように頑張ります、とメールをもらったり」
 陸上界の人と人、大会と人をつなぎ、関係するみんながハッピーになる。陸上界発展の潤滑油としての役割がインプレスランニングの大きな目的の1つだが、西田はそのためにうってつけの人材である。

西田とインプレスランニングの接点はリガ・マラソン
 西田と柳原が接点を持つようになった経緯も、今思えば運命的だった。
 西田は2002年頃から国内で行われる国際マラソンや駅伝、トラック&フィールドの通訳を務めてきたが、柳原との接点はなかった。ファーストコンタクトは、西田が柳原にメールを出した2012年だった。
 西田は2008年に自身の誕生日に開催された石垣島トライアスロンに初挑戦。その後、仕事で海外に行くことも多いことから、2012年の初マラソンの舞台として選んだのが、北欧バルト三国ラトビアのリガだった。美しい街並みなどランナーにとってうれしい趣向が盛りだくさんのリガ・マラソンがすっかり気に入った西田は、翌年、同マラソンのレースディレクターとリガ市長の来日を契機に日本でのPRイベントを企画する。
 当時の駐日ラトビア大使は、大使館開設と同じ2007年に始まった東京マラソンを第1回から、毎年すべて完走している人物で、話はとんとん拍子で進んだ。
 そこで西田が柳原に相談をしたのである。12年のリガ・マラソンでインプレスランニングがアテンドした清水智也(佐川急便。現SGホールディングス)が2位に入り、そのときのことを柳原がブログに書いていた。それを目にした西田が、エリート・ランナーの代理人としての目線からリガでの体験を上記PRイベントで話してほしいと依頼したのだ。そのとき2人は初めて話し、柳原は西田の語学力や海外経験、東欧にも人脈を持っていることを知った。そしてHondaからモスクワ世界陸上マラソンコースの下見アテンドの依頼があったとき、西田が適任だと思いインプレスランニングとしての仕事を託したのである。

設立10年が経過した今の、柳原の思い
 柳原は世界陸連が新たな公認代理人(AR)制度をスタートさせた2011年に、試験を受けて資格を取得した。インプレスランニングを立ち上げたのが2011年。10シーズン目となった2020年はコロナ禍の直撃を受けて活動がほとんどできなかったが、創業時には予想できなかったほど多くの選手たちの活動を10年間でサポートしてきた。
 2019年1月から20年2月の間に関わった海外試合は32大会あり、 のべ101人の選手の遠征に携わった。また海外合宿は、冬はオーストラリア、夏は米国を中心に合計8チーム、13の合宿をサポートした。
 柳原はその間約190日、海外に滞在した。1人でカバーできない部分を西田や、他の外部スタッフに依頼している。ヨーロッパや米国、豪州在住のスタッフもいて、インプレスランニングの組織としても世界的なネットワークを構築していると言っていい。
米ポートランドにてBTCヘッドコーチのシューマッカー氏と打ち合わせをする柳原<写真:インプレスランニング>
 人との縁に恵まれていたことは、柳原も感じている。柳原は京産大陸上部でマネジャーだったが、卒業後は一般会社に就職した。だが、陸上競技の世界に身を置きたい気持ちが強く、最初に転職しようとした先が大塚製薬だった。京産大で同期だった選手が、陸上部の一期生として活躍していた。
 陸上部マネジャーとして採用してもらうことを希望し応募、書類選考と筆記試験は通ったものの、最終的には合格できなかった。「今思えば、単に実業団陸上部スタッフの仕事をこなすだけの実力がなかった。考えが甘かったということ。それを若い時期に身をもって知ったことは今となっては良かった。やはり自分の好きなことを職業にし、それを継続するには、しっかり準備をして実力を付けないといけないと思いました」と柳原。それから20年以上が経過し、大塚製薬をサポートできていることに、柳原は「不思議な縁」を感じている。
 大塚製薬に合格できず落胆の中、その後20代後半の大部分は平凡なサラリーマン生活をしていたが、その間もいつか陸上関係の仕事に就きたいという思いだけは消えることはなかった。そして1995年に米国コロラド州ボウルダーに語学留学。そこで、合宿に来る日本人選手をアテンドする機会に恵まれたことが、今の仕事につながる経験となった。
 1996年末に帰国後はHonda陸上部のマネジャーを約10年間務め、その後一般業務を4年間行ったが、2010年に独立し、間もなくインプレスランニングを立ち上げた。当初は仕事を受注する数も少なく時間を自由に使えたため、各種セミナーに出席したり、各方面で秀でた人物に話を聞きに行ったり、書物やネット上の文献を読み込んだりした。自身を研き、視野を広げることにも時間やお金も投資したのである。
「独立してARを志した当初は周囲から『難しいのでは』と言われることも多かったですし、自分でもこれでやっていけるのかな、と不安に思った時期もありました。しかし指導者やトレーナーになるのは、周りを見たら無理だとわかったので、この道を進むしかないと腹をくくりました。ARは日本の陸上界ではまだ浸透していない領域だったので、頑張れば最先端のビジネスになるかもしれない。日本の陸上界では前例がほとんどない領域の仕事ということもあり、戸惑い、失敗もしましたし、凹んだことも何度もありました。しかし少しずつサポートできるチームが増え、当初は点で関わっていたものが、やがて線につながっていきました」
 最初のサポートが次のサポートへとつながり、そのサポートぶりが話題になり、他のチームからも依頼が来るようになった。人との縁で実現できた例としてはで紹介したニュージーランド遠征実現がまさにそうだった。ニュージーランド陸連のCEO(最高経営責任者)と柳原にパイプがあったので話がスムーズに進んだ。CEOは米国人の元長距離トップ選手で、柳原が19年の世界陸上ドーハ大会に自費で行った際、BTCのスタッフから紹介されていた。
 またで言及したように、Hondaのゴールドコースト・マラソン遠征時の練習場所は、大阪夢プログラムの豪州合宿で知り合ったコーチの大学を借りることができた。そして西田のようにインプレスランニングの仕事に最適な人材とも、リガ・マラソンに選手と一緒に遠征したことが縁で巡り会えた。
「この仕事はビックリするような出会い、ワクワクするような出会いがいくつもあるんです。人との縁を大事にしないといけないと、心から思います」
 柳原の仕事が人と人をつなぎ、それによってインプレスランニングの活動が広がり、柳原たちを介した人の輪もさらに大きくなっていく。コロナによる活動制限がある今は雌伏の時期ではあるが、陸上界をさらに活性化させるためのアイデアを練る好機でもある。活動制限が解かれたとき、インプレスランニングがどんなサポートを提案していくか、期待して見ていきたい。
インプレスランニングPR動画
世界を舞台に 〜陸上アスリートたちの躍動〜 /Japanese athletes on the world stage
設立10周年を機にデザインしたインプレスランニングのロゴ


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