[PR]創業10周年を迎えたインプレスランニング
人との“縁”を感じながら
世界へ羽ばたく日本人選手を献身的にサポート
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インプレスランニングがサポートしてきた遠征と活動<写真:インプレスランニング> |
エージェント(代理人。ARとも言われる)という職業が陸上界でまだ広く認知されていなかった2010年頃に、柳原元はインプレスランニングを創設しエージェントとしての活動を開始した。主な仕事は日本人選手が海外の試合に出場するときの交渉役で、エージェントの働き次第で選手が大会に出場できることになったり、短距離種目であれば良いレーンをとれたりする。だが柳原のやりたかったのは、それだけではなかった。海外合宿や外国人指導者とのマッチングなど、日本選手が世界的に活動することをサポートし、陸上界に貢献することだった。大塚製薬、大阪ガス、Hondaと、各チームへのサポートの具体例を紹介することで、柳原たちインプレスランニングの活動と陸上界への思いを紹介していく。
◆1◆大塚製薬:
上門のベルリン・マラソンとトラックのNZ遠征をサポート
@ベルリン……練習場所の選択肢が増えた 上門大祐(大塚製薬)が昨年(2020年)3月の東京マラソンで2時間06分54秒を出したときに受けた感動は、マラソンを継続して見ている人間ほど大きかっただろう。大塚製薬の犬伏孝行監督は1999年に日本人初の2時間6分台(2時間06分57秒)を出した人物で、選手とその指導者が2時間7分を切った初めてのケースとなった。
その上門が、犬伏監督が当時の日本記録を出したベルリン・マラソンに挑んだのが、2018年9月だった。前年(2017年)12月の福岡国際で2時間09分27秒と自身初のサブテンをマークし、19年のMGC(東京五輪最重要選考会。代表3人中2人が決定)出場権を得た。犬伏監督は「MGCまでに色々な経験をさせることが目的でした。ベルリンは世界記録が何度も出ている大会ですし」と出場理由を説明した。実際、18年大会ではエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間01分39秒の現世界記録を出している。
上門の結果は後述するが、その遠征をサポートしたのがインプレスランニングだった。代理人として柳原が、選手の移動・滞在・出席イベントなどの出場条件を数カ月前から大会主催者と交渉し、選手のモチベーションが上がる内容で契約した。
現地にも帯同し、主催者と接触時のアテンド、公式行事出席やスタート場所への移動の詳細などの情報確認、練習場所や食事の手配などを行った。インプレスランニングにはベルリン在住のスタッフもいるため、かなり細部にわたって情報提供が可能になった。
18年のベルリン・マラソンに出場した上門。海外では初めてのマラソンだった<写真:インプレスランニング> |
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その印象を犬伏監督は次のように話す。
「僕が99年にベルリンに行ったときは、主催者に場所を確認して自分で行くしか練習する方法がありませんでした。そのあたり柳原さんが複数の練習場所を見つくろって情報提供をしてくれたおかげで、練習場所の選択肢も増えましたね」
食事の面も、日本食レストランの場所や営業時間など、細かい情報を提供した。レース当日も、現地在住のスタッフがお米のご飯で、弁当を用意した。
「夜明け前のかなり早い時間に作っていただけたので、本当にありがたかったです」
インプレスランニングでは出場交渉など代理人業務だけでなく、選手がいかにスムーズに海外遠征や合宿ができるか、という点に心を砕いてサポートしている。
「できるだけ日本に近い環境を提供したいと思っています。選手の持っているパフォーマンスを最大限に発揮して欲しいからです」(柳原氏)
選手個々が頑張れば、日本の陸上界全体が盛り上がる。それがインプレスランニングの願いでもある。
@ニュージーランド……トラック遠征のマラソンとの違い 昨年2月には、大塚製薬3000mSCコンビの松本葵と打越雄允のニュージーランド遠征(15日ハミルトン大会1500m、23日オークランド大会3000mSC)も、インプレスランニングがサポートした。「世界ランキングを上げること」(犬伏監督)が目的の遠征だった。
東京五輪は過去の大会と比べ標準記録が極めて高い。3000mSCなら8分22秒00と、日本歴代5位に相当する。種目毎の出場人数が決められていて、その半分程度が標準記録突破者で埋まるように設定され、残りは世界ランキングの上位者が選ばれる。
世界ランキングは記録をポイントに換算したものと、各大会のグレードによって異なる順位ポイントの合計で決まる。選手としては当然、ポイントの高い大会に出場したい。だが冬期の北半球では室内競技会などは行われても、3000mSCは行われていない。
選手のレベルと目的に適した大会を探し、出場できるように交渉する。代理人の腕の見せどころでもある。
「2020年の2月くらいに3000mSCのレースに出場したいと、前年の9月か10月に柳原さんに相談して、柳原さんに候補となる大会をピックアップしてもらいました。どの大会も、過去何年ものデータを用意してくれるので判断しやすかったですね。そういったことをすぐにできるのは、大学・実業団でマネジャーの経験があるからでしょう」
柳原の経歴はインプレスランニング社のホームページに掲載されているが、京産大と八千代工業、Hondaでマネジャーを経験している。現場にとって必要なデータが何か、すぐに理解できるのだろう。
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20年2月にニュージーランドで打越らが出場した3000mSC<写真:インプレスランニング> |
この遠征は、柳原ではなくインプレスランニング・スタッフの西田孝広が同行した。西田の経歴は◆4◆で詳しく触れるが、通訳、国際プロジェクト・コーディネイター、芸術家など多くの顔を持つ。柳原は同時期に米国の室内大会やオレゴンでの仕事があったため、信頼する西田にニュージーランド遠征の仕事を一任した。柳原と西田の出会いや両者の関係も、インプレスランニングには重要な意味を持つ。これも◆4◆で紹介したい。
トラック種目の遠征でマラソンと違うのは、練習場所としてトラックを必ず使うことだ。今回、オークランドでは大会会場が使用できなかった。しかし西田がニュージーランド陸連と連絡を取り合い、それまでの期間は、陸連事務所や国立トレーニングセンターが併設されているオークランド工科大学ミレニアム・キャンパスのトラックを使わせてもらうことができた。
宿泊ホテルについても、トラックの競技会では出場人数が変更になる関係で、ホテルや主催者から部屋の変更を要請されることもある。部屋を移ることもストレスを感じることだが、その際に部屋の広さやタイプを交渉することもストレスになる。それを代理で行う人間がいるだけで、ずいぶん違ってくるという。
遠征結果は、打越がオークランドの3000mSCで8分38秒43の3位。自己セカンド記録を出し、「考えていた通り、ポイントの上乗せができた」と犬伏監督も所期の目的達成を評価していた。
ベルリンで日本新の犬伏監督から上門に 話をベルリン・マラソンに戻すと、上門の結果は2時間11分07秒で8位だった。2時間10分を切ることもできなかったし、2時間6分台だった犬伏監督とは比べるべくもない。 MGCへの経験を積む目的だったが、結果的にもMGCも11位で五輪代表権を獲得できなかった。
「もともと、高校・大学で全国トップの実績を持った選手ではありませんでしたし、トラックの記録もそれほど速くありません。上門にはやって来たトレーニングや、経験で自信を持たせようとしました。MGC出場権を早い段階で獲得できたので、世界ハーフに出場したり、陸連合宿に参加したりして経験値を上げてきましたが、ベルリンもその一環です。その効果は現れて意識が徐々に変わってきたのですが、本質的なところ、根本のところで変われたのは、今年の東京マラソンからですね。経験を重ねて東京で2時間6分台を出したことが明確な自信になったようです」
結果に反映されるのは、選手自身の取り組みや頑張りだ。だからインプレスランニングでも、1つの大会だけでなく、長期的にサポートをしたいと考えている。
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18年ベルリン・マラソンに遠征した上門(右)と犬伏監督<写真:インプレスランニング> |
ベルリンの上門も、自身初の海外マラソンだったこと、ハイレベルの選手が多数集まるなかで8位に入ったことは、悪い結果ではなかった。11位だったMGCはピークが早く来てしまい、本番では調子が下降気味だったという。
しかし東京マラソンでは、派遣設定記録が2時間05分50秒と高いレベルに設定されたので、そこに挑むために速いペースに自信を持てる練習を積み重ねた。
「1km2分57〜58秒のペースに自信を持つことが必要です。僕の頃は1km3分00秒でしたが、上門は2分57〜58秒を意識したトレーニングを積んできました」
上門の2時間6分台は、犬伏監督とは違ったアプローチだった。そうしたいくつもの経験が、東京マラソンに結びついた。
経験を積み上げて自信とするタイプの上門にとって、ベルリンのレースも、世界記録を樹立したE・キプチョゲ(ケニア)らと一緒に走ったことが、なんらかの経験になっていたに違いない。
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設立10周年を機にデザインしたインプレスランニングのロゴ |
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